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国友村(鉄砲の里)

 
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 かつて、近江国坂田郡国友村(現 長浜市国友町)は、戦国時代に泉州堺と並んで鉄砲の生産拠点となった場所です。
 時の将軍、足利義晴の命で、この国友村の鍛冶屋たちが鉄砲を作るようになったといわれています。
 現在、この地に鉄砲に関する資料館があると聞き、立ち寄ってみました。

国友鉄砲の里資料館

 入館料を払って、1Fでビデオを10分くらい見せられ、その後2Fの展示室を見ました。本当に狭いスペースで、火縄銃や大筒などが展示されていました。
 
 私たちが学生時代、日本史の教科書で習ったのは、種子島の領主・種子島時堯が漂流してきたポルトガル商人が持っていた鉄砲を買い入れ、それを元に八板金兵衛という鍛冶屋に鉄砲を作らせたのが起源という話でした。
 しかし、最近の研究では、それ以前に倭寇などからすでにわが国に鉄砲はもたらされていたようで、時間的にはもう少し遡ってよいらしいです。

 早くから鉄砲のもつ威力に目をつけ、それを効果的に使ったのは織田信長で、「長篠の戦」などが有名ですが、鉄砲をはじめて実戦で使ったのは九州における「黒川崎の戦い」といわれる戦で、島津軍が加治木の肝付氏を破った戦いで使用されたのが記録として確認できる初出らしいです。

 さて、その国友村ですが江戸時代は天領として鉄砲の生産を行い、明治を迎えたそうです。

 国友村地図

 
 「国友一貫斎生家跡」 国友一貫斎は江戸時代後期の鉄砲鍛冶で、後に望遠鏡など様々な物を発明したそうで、望遠鏡を使って天体観測も行っていたんだそうです。
 今はご子孫がお住まいのようで中は見れませんでした。
 国友一貫斎生家

 一貫斎宅前でモニュメント(「星を見つめる少年」)がありました。少年時代の一貫斎をイメージしているんでしょうか?
国友村モニュメント

 下の写真のお宅は、ご先祖がやはり鉄砲鍛冶だったようで、石碑がありました。この近隣は先祖代々お住まいのような、立派なお宅が多いです。
 国友村職人宅

 下水のマンホール蓋?にも鉄砲の絵がありました。

鉄砲のマンホール蓋


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日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
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歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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