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小谷城 (三)

 つづき

首据石

 上の写真は「首据石」というのですが、その昔、浅井氏が六角氏と争っていたときに、浅井家臣の今井某というのが六角側に内通したかどで首を切られ、見せしめのためにその首をこの石の上に置いたんだとか・・・ちょっとガクブルです・・・(><) もっとも、当時の人々は「生首」耐性?がありましたけどね。(普段見慣れてますから)
 物騒なので先を急ぎます。

赤尾屋敷方面

 首据石の少し前方に、道が二手に分岐したところがあります。この右側の方の小道を行くと、城主浅井長政が切腹したという家臣の屋敷跡に通じています。(これについては後述)
 とりあえず、右方の方面へ先に行くことにします。
 この分岐点の右側には「桜馬場」という曲輪があります。
桜馬場

 この南西側の隅っこに、物見櫓があったらしいんですが、その位置からですと、敵の織田信長が陣を置いた「虎御前山」を見張るのに最適だったんだとか。現在は木が生い茂ってしまって、視界が悪いですが。

浅井主従供養塔

 桜馬場には浅井主従の供養塔がありました。(-人-)
 供養塔の後方に見える大きな記念碑は、徳川宗家16代家達による揮毫だそうです。
 その記念碑の右側に「小谷城址」の碑がありました。
小谷城址

 記念碑と城址の碑があるところは、石垣が築かれ、桜馬場よりも小高くなっています。
 城址碑の右側には「黒金門跡」があり、ここより「大広間跡」へと通じる重要な出入り口となっています。

小谷城黒金門跡

 「大広間跡」は小谷城内でも最大の広さ(南北85M 東西35M)の曲輪であり、御殿が建っていました。
 そのほか、土蔵や井戸もあったそうで、土蔵の跡とみられる場所からは銅鏡、銀製の化粧道具、貨銭、陶器のかけらなどが出土したそうです。
 浅井長政の三女、お江与(お江、小督)ですが、もしかしたらここで出生した可能性があるといいます。彼女が生まれた時、小谷城は戦時下にあり、麓にある屋敷では危険ということで、母親のお市も山上の曲輪へ移動していたのかもしれません。
小谷城大広間跡


                         つづく

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A☆六文銭

Author:A☆六文銭
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日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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