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「白虎隊生き残り」飯沼貞吉の墓

 ここ3年くらい、宮城県仙台市内の史跡巡り・・・とくに墓めぐりを強化しております。

 仙台市青葉区北山というところに「北山五山」といわれる古刹の寺が5軒東西に連なっている場所、すなわち寺町があります。仙台藩主、伊達政宗は北山の丘陵に多くの寺を配置し、有事の際の防御施設としての役割を担っていました。

 そのうちのひとつに、金剛宝山輪王寺(曹洞宗)という寺があります。

 輪王寺

 輪王寺は嘉吉元年(1441年)、伊達家九世政宗(※戦国時代の伊達政宗ではありません)の夫人「蘭庭明玉禅尼」の所願により、十一世持宗が太菴梵守和尚を開山として、伊達郡梁川(現・福島県)に創建されました。
 その後、伊達家の居城の変遷に伴い寺も6回引っ越しをして、慶長年間に仙台の地に置かれました。
 伊達政宗・愛姫夫妻の夭折した息子さんの墓や伊達家の姫君の墓もあり、伊達家とは縁の深いお寺といえるでしょう。

 ところで、こちらの寺に「白虎隊の生き残り」である飯沼貞吉の墓があるというので、昨年参詣いたしました。(天気があまりよくなくて、写真が暗いですがお許しを)

 飯沼貞吉の墓1


 飯沼貞吉は飯盛山で自刃した白虎隊士中2番隊の少年たち20名の中で、唯一生き残りました。
 貞吉は喉に刃を突き立てたものの、死にきれずにいたところを会津藩士の妻に助けられ、長岡藩軍医により手当を受けた彼は一命を取り留めました。
 維新後の貞吉は、「貞雄」と名を改め、明治5年(1872年)に工部省(後に逓信省)に入り、電信技師の道を進み、各地を転々とします。明治43年(1910年)には仙台逓信管理局工務部長に就任、日本の電信電話の発展に貢献しました。
 大正2年(1913年)60歳で退官した後も仙台に住みつづけ、昭和6年(1931年)に亡くなりました。享年77。


 戒名は「白巖院殿孤虎貞雄居士」
 飯沼貞吉の墓2


 生前、貞吉(貞雄)は会津戦争や白虎隊について、ほとんど語ることはなかったといいます。


 ところで、輪王寺の墓域はとても広くて、お墓を見つけるのに苦労しました。
 方々見てまわり、あきらめて「お寺の方にお尋ねしよう・・・」と思ったら、うちの主人が見つけました。本堂裏のかなり奥まったところに飯沼家の墓はありました。
 先述しましたが、うちの主人のご先祖様も「白虎隊」の寄合隊(士中隊よりも家格が下)の生き残りでしたので、何か引き寄せられるものがあったのかもしれません。


  戦に出る直前、母ふみが貞吉に送った和歌
 梓弓むかふ矢先はしげくとも  ひきなかへしそ武士(もののふ)の道


 仲間と共に死ねなかったことをおそらく終生悔いたであろう貞吉ですが・・・
 「あなた様は立派にもののふの道を貫きました」
 貞吉の墓前にて、主人と共に貞吉の冥福を心から祈りました。
 彼のために念のため書いておきますが、実は全白虎隊の約8割の人たちが生き残っております。(うちの主人のご先祖様もそうですが)


 なお、昭和32年(1957年)戊辰戦争90年祭の時に関係者の手によって、飯盛山にも貞吉の供養墓が建てられました。


 大河ドラマ「八重の桜」ですが、もう少し他の会津藩士の人々のその後を描いてほしかったですね。
 現在は同志社と山本家のお家事情だけのストーリーになってしまいましたので。


      伊達竹松丸・志賀潔・今村均の墓 へつづく


関連記事 鶴ヶ城(会津若松城)を守った男 遠藤敬止の墓
       山川浩(大蔵)の墓 (※母方の従兄)



  参考サイト 金剛宝山輪王寺HP (仙台市青葉区北山1丁目14−1)



  飯沼貞吉のご子孫が書かれた本↓
 
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関連記事

テーマ : 大河ドラマ 八重の桜
ジャンル : テレビ・ラジオ

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小生も今年、サザンライブの翌日に足がヘロヘロになっていたのですが唯一訪れた場所が此方でした。

いろいろ探したのですが、無理でしたので お寺さんで御線香を頼んで御参り致しました。

「八重の桜」で会津を舞台にしてくれたのは、色々な意味でタイムリーだと思いますが・・・

Re: タイトルなし

 酔いどれJohnny様

 こんばんは。コメントどうも有難う御座います。


> 小生も今年、サザンライブの翌日に足がヘロヘロになっていたのですが唯一訪れた場所が此方でした。
>
> いろいろ探したのですが、無理でしたので お寺さんで御線香を頼んで御参り致しました。
>
> 「八重の桜」で会津を舞台にしてくれたのは、色々な意味でタイムリーだと思いますが・・・

 

 長時間ライブの翌日行かれたとのこと、大変でしたね。本当に広い寺でしたから、歩きまわると疲れますよね(泣)・・・。
 
 私は昨年のちょうど梅雨の時期に行ったのですが、雨がぱらつく中、なんとか墓を探しました。

 今年は「八重の桜」の影響で、墓参の方も増えたかもしれませんね。

こんばんは

昨年に輪王寺に行ったのに、気づかなかったです(笑)
伊達関係者の墓参りはしたのですがねぇ

会津のその後を描かないで、会津を(東北を)元気付けることができるのか疑問ですね

☆ぽち

Re: タイトルなし

 四十路様

 こんばんは。コメントどうも有難うございます。

> こんばんは
>
> 昨年に輪王寺に行ったのに、気づかなかったです(笑)
> 伊達関係者の墓参りはしたのですがねぇ
>
> 会津のその後を描かないで、会津を(東北を)元気付けることができるのか疑問ですね
>
> ☆ぽち


 あらら・・・せっかく行かれたのに、残念でしたね。墓域がかなり広かったので、わかりにくかったかもしれませんね。
 調べた範囲では、同寺の伊達家関係は、政宗愛姫の息子さんと、愛姫のお母さんと、その他伊達家の姫君(戒名しかわからない)の墓がありました。
 
 「八重の桜」ですが、今のところ挫折せず見続けていますが、やはり明治編から会津と遠ざかってしまったようで寂しいです。
 脚本も一部変更があったそうです。(原作者とは別の脚本家が起用されていた)

 ぽち☆も有難うございます。 m(_ _)m

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日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
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