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黒駒勝蔵 対 清水次郎長~時代を動かしたアウトローたち~(山梨県立博物館)

 山梨県笛吹市にある山梨県立博物館では、現在企画展「黒駒勝蔵 対 清水次郎長~時代を動かしたアウトローたち~」を開催中です。
 黒駒勝蔵と清水次郎長

 【展示趣旨】
江戸時代の甲斐国は人やモノの動きが活発で、莫大な金銭がやりとりされていたことから、主として博奕を生業とする博徒達を多数輩出したいわば「博徒の王国」でした。例えば…

・清水次郎長(1820~1893)のライバルとして有名な黒駒勝蔵(1832~1871)、
・幕末期の甲州博徒のさきがげとして、短い人生を駆け抜けた西保周太郎(1797~1821)、
・甲州博徒の大親分として甲斐国一円ににらみをきかせた三井卯吉(?~1857)、
・三井卯吉の子分であり、黒駒勝蔵と激しく闘いを繰り広げた国分三蔵(生没年不詳)、
・同じく、国分三蔵と共に黒駒勝蔵と対立し、後に江戸幕府が組織した警備隊 新徴組に入隊する祐天仙之助(?~1863)、
・いったん新島に遠島刑となるも、島抜けを敢行し、黒駒勝蔵と兄弟分の関係を結んだ竹居吃安(1811~1862)、
・清水次郎長と同盟し、富士川沿い一帯で大きな勢力を誇った津向文吉(1810~1883)

等がいます。
彼等は小説や芝居、映画の世界では有名ですが、その実像はなお謎に包まれていました。
それが近年の相次ぐ新資料の発見、研究の進展により、その活動の実態が次々と明らかとなってきました。彼等は単なる博奕を生業とする武装集団であったのではなく、江戸から明治へという激動の時代を駆け抜け、歴史を大きく動かす重要な役割を担っていました。
本展示会では歴史資料類を丹念に読み解きながら、彼等 甲州博徒の実際の活動を皆様に紹介いたします。



 江戸時代後期、幕府直轄地(天領)であった甲斐国にはとりわけ博徒の親分が各々勢力を張っていました。
 中でも黒駒勝蔵(1832~1871年)という男は名主の倅として生まれますが、身を持ち崩し、25歳で渡世人の仲間入り。やがて、隣村の竹居安五郎(吃安)のもとで子分となります。
 安五郎の死後、勝蔵はその勢力を引き継ぎ勢力を拡大しますが、富士川の舟運をめぐって清水次郎長と対立。抗争を繰り広げます。
 時代の風雲急を告げる時、石和代官所が大掛かりな山狩りを行うと勝蔵は甲州を逃れ、次郎長と対立する親分の元を転々とし、やがて縁あって相楽総三の「赤報隊」に参加します。
 しかし、「赤報隊」が偽官軍の汚名を着せられると、勝蔵も言いがかりともいえる昔の殺人事件の容疑をかけられ捕縛。処刑されました。

 この展示では勝蔵の波乱に富んだ人生を中心に、清水次郎長をはじめ同時代を生きた個性的な博徒たちの生き様が紹介されています。
 侠客も親分くらいになると勝蔵もそうですが、もともとの出自は良い家柄の人が多くて、読み書きOK、中には漢詩を作れる才覚のある人もいたようです。
 なお、上の写真の大きなポスターを見ていただくと、勝蔵と次郎長の背後に大きな富士山が見えますが、これは勝蔵の本拠・甲斐国から見た富士山と、次郎長の本拠・駿河国から見た富士山が描かれています。(作家・子母澤寛が勝蔵を描いた小説「富岳二景」が元ネタになっている) 

 幕末維新史というと、どうしても西郷隆盛や木戸孝允といった大物ばかり注目されがちですが、庶民しかもいわゆる幕府の「士農工商」というシステムから疎外されたいわゆる「アウトロー」たちが時代の転換期にどう生きたか、というところに焦点をあてた好展示で、限られた郷土史料をよく発掘されていました。
 面白かったのは、鰍沢で発掘調査をした際、いかさまサイコロ(半の目しか出てこない)が出土したというので展示されているのには笑えました。
 聞いたところ、地元の方たちの反応の上々ということでした。
 余談ですが、展示を見ていたらある年配の方から声をかけられ、勝蔵の墓のありかを教えていただきました。今度機会があれば探してみようかと思います。

 
 展示は3月18日(月)まで。来月頭には俳優・菅原文太さんによるトークショーなどのイベントも行われるそうです。

 関連記事 幕末甲府博徒バラバラ殺人事件   




 ※黒駒勝蔵については以前も当ブログで少し紹介しています。
【過去記事】
 黒駒勝蔵の碑
 アウトローたちの江戸時代

 
博徒の幕末維新 (ちくま新書)博徒の幕末維新 (ちくま新書)
(2004/02/06)
高橋 敏

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  山梨県立博物館
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

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非公開コメント

おおっ、イイですねぇ
黒駒、清水、国定は周ってみたいと思っています。

そういえば小生の過去記事に、『509 祐天仙之助墓(墨田区太平1-26-16・法恩寺) 』に有りました。
また同じ墓地内に、山岡久乃、潮音斎素川の墓が有ります。

また、この御寺は「長谷川平蔵剣術練習道場跡:高杉銀平道場跡」としても有名みたいです。

Re: タイトルなし

 酔いどれJohnny様

 こんばんは。コメントどうも有難うございます。

> おおっ、イイですねぇ
> 黒駒、清水、国定は周ってみたいと思っています。
>
> そういえば小生の過去記事に、『509 祐天仙之助墓(墨田区太平1-26-16・法恩寺) 』に有りました。
> また同じ墓地内に、山岡久乃、潮音斎素川の墓が有ります。
>
> また、この御寺は「長谷川平蔵剣術練習道場跡:高杉銀平道場跡」としても有名みたいです。


 なんですか、数年前からこの辺の侠客に少々興味があるんですよね・・・(なんとなく)
 黒駒の墓ですが地元の方の話だと、今では墓石がどれだか不明なんだそうです。

 「祐天仙之助」の墓ですが、晩年新徴組に入隊しますね。お墓はたしか錦糸町の方?にあるんでしたっけ。今度行ってみたいと思います。
 いつもご教示有難うございます♪

故郷の山梨の記事を目にできてうれしいです。
私も現在は埼玉に住んでいますが、帰郷してこの展示を見てきました。
驚かされたのは、今まで明らかにされていなかった「三井の卯吉」の死亡年が史料により特定された、というものでした。
彼は安政4年1月、言い伝え通り、小天狗の亀吉一派によって惨殺されます。
彼の死によって、混乱状態に陥った甲州は、
勇天仙之助、黒駒勝蔵、国分三蔵らの台頭を許します
何にしても県博good jobだったと私は思いました。

コメントありがとうございます

 甚左衛門様


 はじめまして。コメントどうも有難うございます。

 三井卯吉ですが、相当の親分だったみたいで、目明しみたいなのをしていたみたいですね。
 しかし、代官所のおとり捜査に協力していたりして、敵対する博徒から相当恨まれていたみたいです。
 最期は夫婦で斬殺されてしまうとは・・・。
 なお、三井卯吉についてはちょっとした史跡めぐりをしてきたので、この後の記事もぜひご覧いただければと思います。
 県博の展示も内容がユニークで良かったです。
 
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日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
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