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浜松城主 堀尾吉晴(浜松市博物館)

 静岡県浜松市にある浜松市博物館では、現在特別展「浜松城主 堀尾吉晴」を開催中です。(11月25日まで)
浜松市博物館1

展示趣旨】
 皆さんは浜松城の天守を誰が建てたかご存知ですか?

「もちろん、徳川家康でしょ!」

と言う方がほとんどなのではないでしょうか?
 実は浜松城に石垣を築き、天守を建てたのは、徳川家康ではなく、堀尾吉晴という大名なのです。

  堀尾吉晴
  (同館ポスターより)


 堀尾吉晴は、尾張国の出身で、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という三人の天下人に仕えました。豊臣政権下では秀吉の重臣となり、秀吉の天下統一を助けました。

 吉晴は、小田原の北条攻めのあと、十二万石の知行で浜松城主となりました。
浜松在城は、わずか十年でありましたが、吉晴が浜松に残したものは大きなものがありました。私たちが現在見ることの出来る浜松城の石垣は、吉晴が築き、天守台の上に巨大な天守を建てたと考えられています。
 堀尾氏は知行地内の二俣城や鳥羽山城も石垣を持つ城へ改修しました。浜松城や二俣城を家康の築いた戦国の城から近世城郭へ大きく変貌させ、豊臣政権の天下を世に知らしめました。

 その後吉晴は、関ヶ原の戦いで徳川家康の東軍側につきました。関ヶ原の戦いでは、息子忠氏の活躍もあり、二十四万石に加増され出雲・隠岐国の国持大名へ大出世しました。

 今回の展示では、吉晴の浜松在城期を中心に、豊臣秀吉の下で頭角を現し、やがて、佐和山城主四万石、浜松城主十二万石と領地加増で出世を繰り返し、秀吉没後は家康に付き、関ヶ原の合戦後に出雲・隠岐国二十四万石の大大名となる生涯を信長・秀吉・家康との関係を交え現存する資料を中心に紹介していきます。


 

 堀尾吉晴(1543~1611年)という人は、島根県の松江城(重要文化財)を築いた人として知られていますが、孫の代で家が改易されたためか、名だたる戦国大名の内でもその足跡はあまりよく知られていません。
 吉晴は「仏の茂助」と呼ばれ、どちらかというと武将らしからぬ温厚な人物だったとされています。

 以前このブログでも書きましたが、松江城は吉晴の最晩年に築いた城であり、集大成のお城ということが言えると思います。
 松江城天守閣5


 今回の展示では、最新の発掘調査の結果などをもとに、地元の浜松城や二俣城などが実は吉晴の手によって大幅改修されていたことが紹介されていました。

   浜松城
  実はこの石垣部分も家康ではなく、吉晴が築いたものなんです。
  浜松城


  また一般的には石田三成の城として有名な、佐和山城(滋賀県)も三成の居城となる前は短期間ではありましたが吉晴の城であり、ある程度彼の手が加えられていたようです。
  佐和山城


 また関ケ原合戦後、吉晴・忠氏父子は出雲・隠岐24万石に加増・転封される際も、浜松から大工などの職人や商人を伴って行ったこともわかったそうです。今回、出雲大社の建物の棟札に、吉晴の名前が記載されているものが出展されていました。
 意外なところでは、豊臣秀吉の朝鮮出兵・・・文禄の役の講和交渉の際、明の国王から秀吉を「日本国王」に冊封するという内容の国書が送られ、秀吉はこの内容に激怒し、再出兵することになった(慶長の役)といういわくつきの文書、「明王贈豊太閤冊封文」(重要文化財 大阪歴史博物館蔵)の複製が展示されていましたが、この文書、実は秀吉から吉晴に下げ渡されたものなのだそうです。秀吉は即刻処分しようと思っていたようですが、吉晴がそれはもったいないと言って譲ってもらったらしいとか(笑)。

 今回の特別展は約一年かけて準備したということで、担当した学芸員の方はわざわざ島根県松江にも足を運んで調査したそうです。展示点数はやや少なめではありましたが、吉晴が浜松の町の基礎作りに寄与していたことや、築城名人としての足跡を辿った好企画でした。お城の模型などもあって、楽しかったです。
 会期が今週末までですので、ご興味を持たれた方はぜひご覧になることをおすすめします。

          ※図録あり



 なお、松江城や堀尾吉晴の人となりに関しては過去記事で詳しく書きましたので、是非そちらをご覧ください。

       松江城(一)
       松江城(二)
       松江城(三)
       松江城選定の地 床几山
       堀尾吉晴の墓
     

 この日、展示室に学芸員さんらしき人がいたので、2,3質問したらていねいに答えてくださいました。後でわかったことですが、実はこの方は館長様でした。ずいぶん腰の低い方で、こちらが恐縮してしまいましたが、その他事務系の職員の方も親切な対応で、今回初めて来館しましたが感じの良い博物館でした。
 また、堀尾氏の末裔とおぼしき方がたがお見えになっていました。堀尾氏は三代で断絶しましたが、傍系のご子孫の方がおられるようです。


   浜松市博物館 (←詳細はこちらにて)
  浜松市博物館2

 

 いつもご覧いただき、どうも有難うございます。
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ジャンル : 学問・文化・芸術

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似てますね

そう!言われてみれば浜松城と松江城は似てますね。
石垣の無骨さや黒塗りの天守など。堀尾つながりでした。
松江城が完成品で浜松城はまだ発展途上という感じはよく分かります。

茂助さんは藤堂高虎や加藤嘉明らと並ぶ築城名人だったのですね。
三人とも武将よりも職人というイメージです。業で生きる人は長続きします。

Re: 似てますね

 柴様

 こんばんは。コメントどうも有難うございます。ご返事が遅くなり、すみません。

> そう!言われてみれば浜松城と松江城は似てますね。
> 石垣の無骨さや黒塗りの天守など。堀尾つながりでした。
> 松江城が完成品で浜松城はまだ発展途上という感じはよく分かります。
>
> 茂助さんは藤堂高虎や加藤嘉明らと並ぶ築城名人だったのですね。
> 三人とも武将よりも職人というイメージです。業で生きる人は長続きします。


 浜松城というと、やはり一般的には家康の城なんですよね。しかし、最近の調査で堀尾吉晴が石垣を組んだことがわかったといいます。
 きっと城作りの場数を踏んでいって、最終的に松江城のようなすばらしい城が出来上がったんでしょうね。

 「業で生きる人は長続きします」というお言葉には思わず納得です!
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