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丹羽長重の墓

 白河小峰城(福島県)を築いた丹羽長重のご紹介です。

 丹羽長重は元亀2年(1571年)、丹羽長秀の子(母は織田信長の姪)として岐阜に生まれました。
 天正10年(1582年)、長重が12の年に「本能寺の変」がおき、その後の遺領配分で父・長秀が佐和山城から大溝城に移ると、長重は坂本城に配されます。この年、織田信長の5女(報恩院)と結婚しています。
 翌天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いに父と共に参陣しますが、これが彼の初陣となりました。
 天正13年(1585年)に父・長秀が没すると長重は遺領である越前国・若狭国・加賀国二郡123万石を相続しますが、同年閏8月、越中の佐々成政征伐の折、長重の家臣が軍令に背いたとの理由で羽柴(豊臣)秀吉の命により若狭一国(12万3千石)のみに減封され、小浜城へ移りました。
 さらに、2年後の天正15年、秀吉の九州征伐に従軍しますが、ふたたび家臣が狼藉を働いたとの理由で、加賀松任4万3千石の小大名に転落してしまいます。秀吉による過酷な仕打ちは、かつての同僚であった丹羽家を警戒し、その勢力をそぐ目的があったのでしょう。この過程で、多くの家臣が丹羽家を去っていき、家臣団も瓦解するという憂き目に遭います。

 慶長3年(1598年)、小田原征伐に従軍した功として加賀小松12万石に加増されます。
 秀吉亡き後の慶長5年(1600年)の関ケ原合戦では西軍に属し、前田利長と戦ったため(浅井畷合戦)、戦後領地を没収され、長重はわずかな伴を連れて浪々の身となってしまいます。

 しかし、徳川家康が征夷大将軍に任ぜられると、関ケ原没落諸大名への懐柔策がとられ、長重は慶長8年(1603年)に常陸国古渡1万石を与えられて大名に復帰します。
 家康没後、長重は二代将軍・秀忠の「御伽衆」に加えられ、元和5年(1619年)常陸国江戸崎2万石に加増、さらに元和8年(1622年)には陸奥国棚倉5万石で入封します。
 寛永4年(1627年)、幕命により陸奥国白河に国替となり、10万石の居城を築きます。これが小峰城です。この時、長重は57歳という老齢に達していました。
 白河小峰城2008b



 寛永14年(1637年)閏3月6日、長重は江戸桜田屋敷にてその波乱に満ちた生涯を閉じました。享年67歳。

  墓は白河市の円明寺にあります。(2008年4月撮影) 高さ4.27mの宝篋印塔です。
  丹羽長重の墓


  墓の傍らにある霊廟
  丹羽長重の墓1


 こうしてみると、長重の若き日は常に秀吉から睨まれたため辛酸を舐め、白河の地に小峰城を築いたのは老境にさしかかってからという苦難の人生だったことがわかりました。
 大名としてはいささか地味な印象ですが、築城家としてもなかなかの名手だったことがうかがえ、その手腕を買われて東北の押えとなる白河へ配されたのでしょう。
 
 
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まとめ【丹羽長重の墓】

 白河小峰城(福島県)を築いた丹羽長重のご紹介です。 丹羽長重は元亀2年(1571年)、丹羽長秀の子(母

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丹羽長秀は、米五郎左と言われたり、織田信長
と、長秀、長重と縁戚関係にあり
いかに、信長から信任されていたかが伺われます。

これが、秀吉の妬み、警戒をかってしまったんでしょうね。
幕末まで、存続した丹羽家。

最後の藩主長国は、家臣より先に逃げたと
聞いた事があります。

日本百名城の存在を知ったのは、四年前。
八王子城に行った時です。
全て廻るのが夢です(^-^)/

Re: タイトルなし

 ひでち様

 こんばんは。コメントどうも有難うございます。

> 丹羽長秀は、米五郎左と言われたり、織田信長
> と、長秀、長重と縁戚関係にあり
> いかに、信長から信任されていたかが伺われます。
>
> これが、秀吉の妬み、警戒をかってしまったんでしょうね。
> 幕末まで、存続した丹羽家。
>
> 最後の藩主長国は、家臣より先に逃げたと
> 聞いた事があります。

 
 そうですね。丹羽長秀は織田家と密接な関係があったと思います。

 羽柴秀吉は、自分の苗字は「丹羽長秀」と「柴田勝家」から一時ずつもらったとか。。。
 信長死後、この両者は目の上のたんこぶだったんでしょう。しかし、秀吉も性格悪いなーと思いましたね。



> 日本百名城の存在を知ったのは、四年前。
> 八王子城に行った時です。
> 全て廻るのが夢です(^-^)/

 八王子城・・・心霊スポットといわれますが、私は大丈夫でした(笑)
 100名城巡りは去年終わってしまったのですが、ぜひ制覇を目指して頑張ってください!
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