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名を高松の苔に残して・・・備中高松城(二)

 400年ぶりに咲いた「宗治蓮」・・・備中高松城(一) のつづき


 この橋を渡った先が高松城の本丸になります。
備中高松城2


  国史跡「高松城址 附水攻築堤跡」の標柱
  史跡・高松城址

  

 現在はただの広場?になっています。水攻めの頃には、本丸の北側に城主の居館があったそうです。
 城主・清水宗治が籠城策を採った際、場内には5000人(農民が多かったらしい)もの人で溢れかえり、その上敵方から水攻めに遭って城は孤立し、たちまち兵糧が尽きていったといいます。
備中高松城本丸5



 ここには高松城主であった清水宗治の首塚があります。秀吉からの講和条件を受諾した宗治は、天正10年6月4日切腹しました。享年46歳。
  清水宗治肖像


 元々は羽柴秀吉が陣を置いた石井山にありましたが、明治42年(1909年)に現在地へ移されたということです。
 移転にあたり元々の首塚の下を掘ったところ、首甕のようなものと歯が3本、短刀3片、土師器の盃が出土したので、この新しい首塚に祀ってあるそうです。
清水宗治首塚2

  首塚拡大
  清水宗治首塚1


 清水宗治辞世
「浮世をば今こそ渡れ武士(もののふ)の 名を高松の苔に残して」
  備中高松城本丸1
  


 「清水宗治城跡ノ碑」子爵・毛利元徳の揮毫によるもの。建立したのは毛利家の家臣であった宗治の子孫の方だそうです。残念ながら文字は摩耗していて、判読しにくい。
  備中高松城本丸4


  本丸跡の隅っこにあった祠。宗治を祀っているのでしょうか???
  備中高松城本丸2


 
       ********************

 
 高松城二の丸跡
備中高松城二の丸



 高松城三の丸跡 城址公園の駐車場の向こう側が三の丸跡だということです。(現在は民有地)
備中高松城三の丸


 ものの20分程度あれば、ここまで見れてしまいます。


                           つづく


 参考文献 『備中高松城の水攻め』市川俊介著 (岡山文庫 184))
      高松城址資料館パンフレット


 
  
より大きな地図で 高松城址 を表示


 いつもご覧いただき、どうも有難うございます。
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A☆六文銭

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日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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