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【清正が愛した女性たち2】加藤清正母「伊都」の墓・・・母子家庭で育った清正

 つづき

 加藤清正側室「本覚院」の菩提寺である「本覚寺」に隣接して、その北側に壽福山妙永寺(日蓮宗)があります。
 こちらの寺には清正の母「伊都」のお墓があります。
 妙永寺

 清正は永禄五年(1562年)六月二十四日、尾張国中村に父・加藤清忠、母・伊都のもとに生まれました。
 父の清忠はもともと美濃の斉藤氏の家臣でしたが、故あって武士の身分を捨て、鍛冶屋清兵衛のもとへ弟子入りします。ここで清兵衛の娘である伊都と出会い、やがて所帯を持ちます。
 ところが、清忠は清正が3歳の時に病のため他界してしまい、残された伊都と清正は「母子家庭」になってしまいます。今でこそ、ひとり親家庭でも何とか暮らしていける時代になりましたが、当時は生活していくのにかなり苦労したのではないか、と思われます。
 伊都は娘時代から日蓮宗の熱心な信者であり、清正が5歳の時、近くの日蓮宗・妙延寺に清正を預け、経書、仏法、書道を習わせたといいます。この事が清正の人間形成に深い影響を与えました。

 伊都は豊臣秀吉の母「大政所(なか)」と従姉妹同士だったといわれ、その伝手を頼って、清正が9歳の時に秀吉のもとへわが子を預けます。子供がいなかった秀吉・ねね夫妻のもとで清正が養われることになったのは周知のとおりです。


 本堂の手前に、清正の母・伊都の廟所がありました。
 このお堂の中に墓があるのかと思ったら、違っていました。お堂の中には伊都の木造が安置されているそうです。(外からは見えなかった)
 清正母廟所


 お墓はお堂のすぐ裏手にありました。うっかり見過ごすところでした。
 慶長5年(1600年)5月、関ヶ原合戦を目前に伊都は亡くなり、亡骸は高麗門外の現在地に葬られました。
 伊都の墓は朝鮮から運んだといわれる石で造られた五輪塔です。

 法名「聖林院殿天室日光大姉」

 なお伊都の三回忌の時に、墓所に寺が建立され、清正は最愛の母のためにねんごろに供養を行いました。
   清正母墓

 南無妙法蓮華経・・・母が伝えたお題目の七文字は、清正が出陣の折には旗印にも用いられ、武将としての生涯を支えることになったのです。


 なお、寺宝として縦二間・横三間の「涅槃図」が伝わっており、毎年2月15日の一日のみご開帳されているそうです。
 
 
 参考サイト 壽福山妙永寺

     熊本市中央区横手1丁目14−19
   
より大きな地図で 妙永寺 を表示
 



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日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
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歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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