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【清正が愛した女性たち1】本覚院(加藤清正側室)の墓

 熊本城の南西に、「横手」という名の一画があり、寺院の密集する寺町となっています。もしかしたら、ここに寺を置くことで、加藤清正はある種の防御施設を想定していたかもしれません。

 その横手の町に、清正の側室「本覚院」の菩提寺である「本覚寺」(日蓮宗)があります。
 地元では「六角堂観音」として知られており、安産祈願に御利益があるとのこと。
  本覚寺3

 清正には正室のほか、数名の側室がいたことがわかっています。
 そのうちの一人、本覚院は菊池武宗の娘と伝わりますがはっきりしません。
 慶長4年(1599年)に清正の子・熊之助(忠正)を生みますが、悲しいことにわが子・忠正は8年後の慶長12年(1607年)に幼くして病死してしまいます。
 本覚院は熊本藩の御蔵があった川尻町の御茶屋に長く暮らしたので、「川尻殿」と称されました。
 寛永3年(1626年)4月9日死去。法名 本覺院殿月心日圓大姉。
 平成17年に本覚院第380遠忌を記念して寺内から墓を移設し、新たに廟所を建てたとのことです。

  本覚寺2

 廟所の中に墓が二基あり、右側の大きい方が本覚院のものです。
 左側の一回り小さい墓は、寺伝によると清正の三男・忠広の供養塔だということです。通常、忠広の母は正応院(玉目氏)とされますが、本覚寺の寺伝によると、実はその生母は正応院ではなく、本覚院だといいます。
 ただし、なぜか供養塔自体には女性の法名が刻まれているので、この辺りは判然としません。

  関連記事⇒加藤忠広(加藤清正息子)および母・正応院の墓 (山形県鶴岡にあります)

  本覚寺1

 ※なお、墓移設に際して発掘調査したところ、遺骨とともに副葬品が数点発見されました。

 参考サイト 本覚院殿(加藤清正側室)墓出土品 (熊本市HPより)


 清正は長男、次男に早世されており、このことは大大名となってからの加藤家の存続に際してもさぞや懸念されることではなかったか、と思われます。
 本覚院をはじめ、清正が愛した女性たちは出自や俗名など詳細が伝わらないためその素顔を知るのは難しく、唯一お墓が彼女たちの生きた証を残しています。


 参考サイト 六角堂観音 本覚寺

   熊本市中央区横手1-14-20
  
より大きな地図で 本覚寺 を表示


 すみませんが、二日くらいお休みさせていただきます。


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日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
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歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
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大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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