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加藤清正の墓(本妙寺「浄池廟」)

 大河ドラマで「加藤清正」を! のつづき

 やっとここまで来ました。

 熊本城の北西、中尾山の中腹にある発星山本妙寺(日蓮宗)
 ここに、加藤清正の墓があります。
 天正13年(1585年)、清正が父・清忠の追善のため、大坂に寺を建てたのが始まりです。
 天正16年(1588年)に肥後に入封した清正は、同19年(1591年)に本妙寺を大坂から熊本城内へ移します。
 慶長19年(1614年)に城内にあった寺が焼失したのを機に、清正の墓がある中尾山へ移転しました。
 
 写真の数が多いのでちょっと長くなりますが、ご了承ください。
 写真は一部撮り直した分を除き、2008年秋撮影です。


 中尾山の麓に立つ仁王門。大正時代に寄進された、コンクリート製の山門です。
 本妙寺16(仁王門)


 仁王門をくぐると、長い参道があり、両脇には本妙寺の子院の寺が立ち並んでいます。
 本妙寺15


 「胸突雁木」と呼ばれる、176段もある急こう配の石段を登っていきます。ここの石畳は熊本城築城の際に余ったものを利用したのだとか。檀信徒が寄進した石灯籠も多くみられます。
 唱題しながら、ゆっくり登っていきます。
 本妙寺14(胸突雁木)

 
 石段のところに、猫がででんとねそべってました。この辺り、野良猫の数も少なくなさそうです。
   本妙寺12


 石段の中途に「六喜廟」があり、ここには清正の息子・忠広ら清正の家族6人が祀られています。
 今年の春、山形県鶴岡にある忠広とその母、正応院の墓参をさせていただきました。
 
 関連記事⇒加藤忠広(加藤清正息子)および母・正応院の墓

 本妙寺1(六喜廟)



 石段を上りきったところに、「浄池廟」と書かれた扁額のある中門がありますので、くぐります。
 本妙寺2

 

 正面に「拝殿」があります。
 本妙寺3(拝殿)



 拝殿のすぐ裏に清正の墓、「浄池廟」があります。廟の名は清正の法号「淨池院殿永運日乗大居士」に由来します。
 清正は慶長16年(1611年)3月に二条城における徳川家康と豊臣秀頼との会見に同席します。しかし、肥後への帰国途中の船内で発病し、6月24日に熊本城内で亡くなりました。享年50歳。
 家康から毒をもられたという説もありますが、死に際体が黒ずんでいたという話から内臓疾患(肝臓?)が死因だったようです。
 遺骸は熊本城と同じ高さにあたる城の北西・中尾山の中腹に埋葬され、廟が建てられました。
 明治維新後の廃仏毀釈の際、いったん廟は取り壊され、代わりに墓石が建てられましたが、明治27年に廟が再建されました。 
 
本妙寺4(浄池廟)


 「浄池廟」の説明板
 本妙寺5(浄池廟案内板)


 ★調べましたところ、過去にこのような歴史上の人物も清正の墓参をしています。

   頼山陽(陽明学者 漢詩人) 文政元年(1818年)、彼は感動して2度も墓参に来ており、長い詩を詠んでいます。
   頼山陽

   河井継之助(越後長岡藩家老 司馬遼太郎『峠』の主人公)安政6年(1859年)参詣
   河合継之助

   森鴎外(軍医 文学者) 明治32年(1899年)参詣
   森鴎外


 ※調べれば、もっと他にもいたかもしれません。。。

 
  加藤清正ゆかりの品々がおさめられた宝物館。時間があったら覗いてみましょう。
  今回、熊本県立美術館開催「加藤清正展」でも本妙寺所蔵の史料が多数出展されていました。

   本妙寺17(宝物館)



 大木土佐守兼能の墓。
 大木兼能はもともと佐々成政の家臣でしたが、成政が豊臣秀吉によって賜死した後、清正の家臣となります。
 清正の側近として活躍し、関ケ原合戦前夜、石田三成が諸大名の夫人を大坂城内へ人質にしようとした際、大坂の屋敷から清正夫人を脱出させるのに貢献しました。
 清正を追慕し、その死の翌日に殉死。法号:尭心院殿道了日解居士
 なお、大木兼能は加藤神社にも陪神として祀られています。

 この大木兼能なんですが、実は「水戸黄門」に出てくる「助さん」のモデルである佐々宗淳の母方祖父に当たります。おかげさまで、お祖父さんとお孫さん両方の墓参をさせていただきました。

 過去記事⇒佐々宗淳の墓

   本妙寺6(大木兼能墓)


 金宦(きんかん)の墓
 「金宦」とは会計職の意。本名は「良甫鑑」といいます。朝鮮出兵の折にまだ少年だった彼を清正が連れて帰りましたが、なかなか能力があったようで、清正のもとで会計の職に従事していたといいます。
 清正死後、七回忌の際に殉死しました。
 なお、「金宦」も加藤神社に陪神として祀られています。
   本妙寺13(金宦墓)


 この後、廟の裏手に回りますと、300段!の石段が待ち構えていました。
 本妙寺7


 ふーふー言いながら登っていくと、清正公の銅像が姿を現した!
 本妙寺8


 彫刻家・北村西望(長崎「平和記念像」で有名)作の加藤清正公銅像です。
 戦前に建てられたものは戦時中金属供出の憂き目に遭い、現在のものは唱和35年作の再建されたものです。
 本妙寺9(加藤清正銅像)


 銅像が建つ場所からは、熊本市街が一望できます。肥後の国づくりに心血注いだ清正が、今も熊本の町を静かに見守っています。
 本妙寺10

 
    ※拡大図(熊本城が遠望できます)
    本妙寺11(熊本城遠望)


 時間のある方はぜひ参詣してほしい場所です。
 この後、清正ファミリーの墓参りを。
                        つづく


 参考サイト 本妙寺

    熊本市花園4-13-1
   
より大きな地図で 加藤清正墓(浄池廟) を表示

 
 いつもご覧いただき、どうも有難うございます。
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日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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