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【終戦】鈴木貫太郎の墓

 鈴木貫太郎(1868~1948)

   鈴木貫太郎

 旧関宿藩士の子として大阪にて出生。
 明治20年(1887)海軍兵学校卒業。日清戦争に従軍。31年(1898)海軍大学校卒業。日露戦争では日本海海戦に従軍。海軍省人事局長、第2次大隈内閣海軍次官、海軍兵学校校長、呉鎮守府司令長官、連合艦隊司令長官などを歴任。大正14年(1925)海軍軍令部長。昭和4年(1929)侍従長兼枢密顧問官に就任。侍従長在任中の11年(1936)、2・26事件により襲撃を受け、一命をとりとめるが辞職。19年(1944)枢密院議長、翌年昭和天皇の大命を受け、第42代内閣総理大臣に就任。無条件降伏による戦争の終結を導いた。


 鈴木の墓は彼が晩年を過ごした旧関宿町(現・千葉県野田市)の実相寺(日蓮宗)にあります。
  鈴木貫太郎の墓


 吉田茂の発案により「鈴木貫太郎記念会」が組織されたことを契機に記念館が建設され、昭和41年に開館しました。
 鈴木が着用した軍服や日常生活品などの遺品、肖像、御前会議の絵などが展示されています。
 昨年でしたか、同館に泥棒が入り、展示品が数店盗まれたとか・・・(全くもって不届き千万です)

 なお、写真の右手にある「為萬世開太平」の文字。これは鈴木内閣で内閣書記官長を務めた迫水久常の手による揮毫で、迫水が草稿を作成した終戦詔勅の中の一節(「堪へ難きを堪へ忍ひ難きを忍ひ以て万世の爲に太平を開かむと欲す」)です。

 鈴木貫太郎記念館


 今日もテレビで終戦特集番組をやっていましたが、敗戦の色が濃厚となっても終戦工作は困難を極めていたことが明らかとなっています。
 最終的には、天皇の「聖断」という非常手段をとらざるをえなかった鈴木の苦衷が偲ばれます。


  
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 ※今後も墓参りを通じて、戦没者の慰霊、平和の祈念に努めてまいります。




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A☆六文銭

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日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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