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加藤忠広(加藤清正息子)および母・正応院の墓

 今回の山形県鶴岡行で、どうしても行っておかなければ!と思ったのがコチラです。

 金照山本住寺(日蓮宗)
 こちらのお寺には、名将・加藤清正の子・忠広(1601~1653年)とその母・正応院の墓があります。
本住寺1

 
 本堂の隅の方に墓所への案内が。このように明示していただけると大変助かります。
  本住寺2


 本堂の裏手に加藤忠広・正応院の霊屋があります。
本住寺3


 加藤忠広の墓
 加藤忠広は父・加藤清正、母正応院(側室)の間に生まれる。
 慶長16年(1611年)、父・清正が死去したため、11歳で藩主となる。
 寛永9年(1632年)5月、突如改易され、出羽庄内へ配流となった。

 忠広が改易となったのは、三代将軍・徳川家光が将軍に就任してから間もない時でした。家光は「御代始の御法度」として、忠広に厳しい処分を下すことを諸大名に宣言しました。
 改易の直接の原因は、忠広の嫡男・光広が謀反を企てる内容の文書を書き回したこと、忠広が自分の子とその母親を無断で国許に遣わしたというのが幕府の公式な見解とされています。
 豊臣系大名である加藤氏を改易したことで、家光は自らの存在と力を諸大名に見せつけることが出来たわけで、故意に仕組まれた一件である可能性が高いです。

 一方、熊本52万石を召し上げられた忠広は出羽庄内藩・酒井忠勝のもとへお預けとなったわけですが、出羽丸岡(鶴岡の南)に堪忍分一万石を与えられ、死ぬまでそこで暮らしました。酒井家からの待遇も良く、悠々自適の生活を送っていたようです。承応年(1653年)閏6月死去。亡骸は本住寺へ葬られました。
 加藤忠広の墓

 
 忠広の墓の隣にある母・正応院の墓。
 正応院は玉目丹波守の娘。清正の側室となり、忠広を生みました。わが子忠広の改易後行動を共にし、出羽丸岡にて亡くなりました。
 正応院の墓


 こうして、この数年の間に、加藤清正(本ブログでは未紹介)、忠広、瑤林院(清正娘)ファミリーの墓参をすることが出来ました。
 南無妙法蓮華経・・・(-人-)



  関連記事⇒加藤清正の墓
     加藤清正の娘・瑤林院の墓


 熊本城(2008年撮影) 清正が渾身で築いた天下の名城も息子の代であえなく改易。後には細川氏が入り、明治維新まで続きました。
熊本城


                        つづく

    鶴岡市三光町1-46
  
より大きな地図で 本住寺 を表示


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まとめtyaiました【加藤忠広(加藤清正息子)および母・正応院の墓】

 今回の山形県鶴岡行で、どうしても行っておかなければ!と思ったのがコチラです。 金照山本住寺(日蓮宗) こちらのお寺には、名将・加藤清正の子・忠広(1601~1653年)とその母・正応院の墓があります。  本堂の隅の方に墓所への案内が。このように明示していただ...

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こんばんは

そういえば私も、清正の墓と忠広の次男の墓(群馬県沼田市)に行きましたな~

ところで、忠広の嫡男はどこにとばされたんでしたっけ?

ぽち凸

Re: こんばんは

 四十路様
 
 こんばんは。コメントどうも有難うございます。

> そういえば私も、清正の墓と忠広の次男の墓(群馬県沼田市)に行きましたな~
>
> ところで、忠広の嫡男はどこにとばされたんでしたっけ?
>
> ぽち凸

 そうでしたか。忠広の次男の方は自害したのかな。お気の毒ですね(泣)
 忠広の長男は飛騨高山に流罪となり、一年後に亡くなったようです。清正ファミリーの墓参、まだまだ続きそうです(汗)

 ぽちも有難うございます (^ω^)♪
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歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
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