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藩校 致道館 (山形緊急城攻め 五)

 庄内藩第九代・酒井忠徳は財政改革と士風刷新を図り、藩政を立て直すためには人材の育成が不可欠だとして、寛政12年(1800年)藩校の設立を命じました。
 備前岡山藩の「閑谷学校」の得ずを借り、城下北西の大宝寺に起工。文化2年(1805年)に「致道館」の扁額を掲げ、祭酒(校長)に白井矢太夫が就任し、開校されました。
 当時、幕府は「朱子学」を正学とし、各藩でもこれに随っていましたが、致道館では朱子学ではなく政治のあり方を重視した徂徠学を教学とし、自学と討論を重んじ、各自の長所、可能性を伸ばすことに主眼をおく教育方針だったといいます。
 現在は当時の敷地の半分程度の規模になっておりますが、東北地方に残る唯一の藩校として、江戸時代の姿を今に伝えています。
 
  標柱
致道館5


 表門
致道館6


聖廟  毎月2月と8月に孔子を祀る行事「釋奠(せきてん)」が行われました。
致道館3


講堂
致道館4


「致道館」の扁額
致道館1

御入の間  藩の会議などで藩主や家老が入った部屋。幕末に戊辰戦争に敗れた庄内藩が、官軍参謀・黒田清隆を迎えて降伏謝罪したところで、後年三島通庸が県令室として使っていたといいます。
致道館2


                            つづく


 ※所用により、2~3日お休みさせていただきます。


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まとめtyaiました【藩校 致道館 (山形緊急城攻め 五)】

 庄内藩第九代・酒井忠徳は財政改革と士風刷新を図り、藩政を立て直すためには人材の育成が不可欠だとして、寛政12年(1800年)藩校の設立を命じました。 備前岡山藩の「閑谷学校」の得ずを借り、城下北西の大宝寺に起工。文化2年(1805年)に「致道館」の扁...

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こんばんは、なおやんと申します。
早速ですが、ブログを拝見しました。
とても素晴らしく、良いブログです。
これからも良いブログをよろしくお願いします。

はじめまして

 なおやん様

 はじめまして。コメントどうもありがとうございます。
 お褒めの言葉も頂き恐縮しております。こちらこそ、宜しくお願いいたします。
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日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
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歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
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大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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