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伊達な墓巡り 栽松院

 去る3月10日、昨年の大震災から一年経った宮城県仙台へやってきたことは先述しました。

 過去の訪問で、仙台城や瑞鳳殿(伊達政宗の墓)などはすでに訪問しましたので、今回の日帰り旅の主たる目的は伊達家の方々の墓参りということで参りました。

 JR仙台駅の東口を出て歩きます。駅東部へ来たのは初めてです。折しもこの日は朝から雪模様。吐く息も白いです。

 まず最初にやってきたのは耕徳山「栽松院」(曹洞宗 仙台市若林区連坊1丁目3-18) 
 伊達政宗の祖母・久保姫の位牌所として、慶長6年(1601年)に政宗によって創建されました。
 ※下の写真の白っぽい斑点は雪です。
 栽松院2


 久保姫は陸奥国磐城領主・岩城重隆の娘で、伊達政宗の祖父・晴宗の正室となった女性です。
 久保姫は美人として名高く、当初白河城主・結城氏のもとへ嫁入りすることになっていましたが、輿入れの道中、伊達晴宗が強引に久保姫を略奪したという逸話が残っています。(随分、乱暴ですね。。。)
 衝撃的な出会いをした晴宗との夫婦仲は良好だったようで、政宗の父・輝宗をはじめ6男5女!に恵まれています。
 
 また、久保姫は母親から疎んじられていた幼少期の政宗を慈しんだと伝えられ、政宗もまたこの祖母を大変慕っていたようです。
 晴宗が息子の輝宗に家督を譲ると、晴宗・久保姫夫妻は米沢から福島の杉目城へ移住。天正5年(1578年)に晴宗が亡くなると、久保姫は髪を下ろし、亡き夫の菩提を弔う日々を送ります。
 その後、豊臣秀吉の奥州仕置により、伊達家が信夫・伊達両郡を失ったため、政宗は岩出山城へ、それに伴い久保姫も白石城(現・仙台市泉区根白石)へ移ります。
 文禄3年(1594年)久保姫は亡くなり、亡骸は晩年を過ごした白石城内の屋敷跡に葬られました。法名は裁松院殿月盛妙秋禅尼大姉。
 政宗は亡き久保姫の供養のため、仙台城下に彼女の法名から寺名を採った栽松院を創建し、位牌所としました。
 下の写真は久保姫の供養塔です。
  栽松院供養塔

 久保姫供養塔の傍らにあった、政宗遺愛の樫の木。樹齢400年以上!ということになりますね。
 栽松院3


 本堂の傍らにあった観音堂。仙台の地名の由来とされる千躰佛を祀っています。
 栽松院1


                              つづく

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日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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