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旧阿部家丸山屋敷跡(文京区西片)を歩く

 つづき
 東京都文京区にある文京ふるさと歴史館で開催中の収蔵展「伯爵家のまちづくり~学者町・西片の誕生~」を見た後、少し時間がありましたので、展示のテーマでもある福山藩主・阿部家の中屋敷(通称・丸山屋敷)跡を散策することにしました。

 私は都心のある町で育ったのですが、小学4年くらいまで家の近所の寺や石碑等を見て歩くのが好きでした。(ただし、文京区ほど史跡などは多くありませんでした)でも、そんな遊び方をしている同級生は誰もおらず、けっこう孤独でした(笑)
 最近でこそ各地へ「遠征」していますが、こうした近隣の町歩きの延長線上にあるといっていいでしょう。

 旧阿部家の屋敷があった西片地区の案内図です。
 文京区西片7

 石坂(文京区西片1-3と14の間) 「町内より南の方本郷田町に下る坂あり、石坂と呼ぶ。』(新撰東京名所図会)」
 この坂を登った先に阿部家の中屋敷がありました。
 現在はほとんどが住宅地となっております。
 文京区西片8(石坂)


 明治以降、阿部家が土地を開発する上で目指したのは文化的な住宅地だったようです。現在でもしっかりした造りの戸建てのお宅が多く、モダンな建築で目を引く家や、戦前からの古い建物のお宅もあります。(個人のお宅様なので逐一紹介は控えます)
 古くから住んでいる方がいる一方で、近年の土地価格の高騰による相続税対策などで持ち主が変わっているところも少なくないと思います。
 文京区西片5


 西片公園。阿部屋敷のほぼ中央に位置しています。開発時に阿部家はここを公園として、地域の住民の憩いの場にしました。
 最近、子供が遊ぶ姿というのは都会ではめっきり見かけませんが、ここでは何人かの子供たちがドッジボールなどをして遊んでいました。
 文京区西片4(西片公園2)

 公園内にあった「大椎樹」の石碑。ここには江戸時代より大きな椎の木があって、丸山屋敷の目印となっており、水道橋辺りからも見えたそうです。残念ながら戦後の昭和23年頃枯れてしまい切られてしまいました。
 現在は地元の方たちによって新しい椎の木が植えられています。
 文京区西片3(西片公園1)


 西片町と森川町に架けられた陸橋「清水橋」。明治13年に架けられた初代の橋が老朽化したため、建築家・武田五一(1872~1938年)設計の新しい橋が架けられました。その時の設計図が展示されていました。
 武田五一は父親が福山藩士だったため、阿部家と親交があり、昭和2年に建てられた阿部家の新宅も彼の設計によるものです(現存せず)。
 現在の橋はさらに後年、架け替えられたものでしょう。
 文京区西片2


 清水橋の近所にあった駐車場ですが、後方が崖になっていて竹が少し生えています。この崖上がちょうど阿部家の屋敷となっていました。
 当時の雰囲気が少し感じられたので撮影。
 文京区西片1


  ***************************

 一方、丸山屋敷の崖下にはあの有名人が住んでいました。
 白山通りに面している文京区西片1-17-17付近。明治時代は「丸山福山町」と呼ばれていました。(福山藩にちなんだ町名と考えられます)
 ここに、夭折の女流作家・樋口一葉(1872~1896年)が亡くなるまでの約2年半を過ごした家がありました。
 現在は紳士服の“コナカ”が入っているビルの下に石碑があるのみですが、ここで「たけくらべ」「にごりえ」などの名作が生まれました。
 文京区西片6(樋口一葉終焉の地)

 一葉が遺した日記に、この家について記した箇所があります。
 
 家ハ本郷の丸山福山町とて阿部邸の山にそひてささやかなる上にたてたるが有けり守喜といひしうなぎやの離れ座敷成りしとてさのミふるくもあらず 家賃は月三円也。たかけれどもこことさだむ

 一葉の借家の隣家は「銘酒屋」という、私娼のいるいかがわしい飲食店でした。彼女はそこで働く娼婦に頼まれて、手紙の代筆をしたりしています。
 一葉の家は阿部邸下の崖沿いにあったわけですが、崖上はお屋敷、崖下のほうは庶民の町であったことがわかります。
 借家は6畳二間と4畳半一間の小さな家でしたが、庭に3坪くらいの池があり、これは阿部邸があった高台から染み出してくる清水を引いていました。この頃書かれた一葉の日記にはこの池にちなんで「水の上」と名付けられています。
 この家は一葉の死後も借家として使われ作家・森田草平などが住んでいましたが、明治43年8月の台風の時、崖崩れがあり倒壊してしまいました。
 現在でも石碑がある建物の裏手を隙間から覗くと、やはり崖になっています。
 

 この後、本郷の東京大学のある辺りを通って帰路につきました。もう少し丹念に歩くと、他にも丸山屋敷の痕跡が見つかるかもしれません。
 こういう町歩きも楽しく、時々散策していますが、何故ブログに書かないかというと、すでに江戸・東京の町歩きを扱った先行のHPやブログが多々あり、内容がかぶってしまうからです。
 都内は現在ではビルが立ち並んでいるばかりで、当時を偲ぶにはよほど想像力をたくましくしないといけません。
 今回は開催中の展示にちなんで、簡単ではありますが紹介してみました。

     
樋口一葉と歩く明治・東京 (Shotor Travel)樋口一葉と歩く明治・東京 (Shotor Travel)
(2004/11)
藤井 恵子

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画像 4枚目の公園近くに、『山極勝三郎住居跡』が有ったような気が・・・
しかし、見所が多過ぎて困ってしまう地域ですね。美味しい御店も多かったです。(笑)

また東大(赤門)前には、昔 八百屋が有って、有名な「八百屋お七」の家でもありました。

Re: タイトルなし

 酔いどれJohnny様

 こんばんは。コメントありがとうございます。

> 画像 4枚目の公園近くに、『山極勝三郎住居跡』が有ったような気が・・・
> しかし、見所が多過ぎて困ってしまう地域ですね。美味しい御店も多かったです。(笑)
>
> また東大(赤門)前には、昔 八百屋が有って、有名な「八百屋お七」の家でもありました。


 ご教示ありがとうございます。この日、思いつきで散策したので、なんの資料ももたず行き当たりばったりでした。たぶん、この周辺は貴方様のほうがお詳しいと思います。
 白山通りのあたりはよく往来しているのですが・・・。

 東大の周辺・・・本郷のあたりも石碑や案内板が多いですね。赤門前でお七の案内板は見つかりませんでしたが、樋口一葉が娘時代住んでいたという案内板がありました。
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日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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