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武市半平太・冨夫妻の墓

 つづき

 瑞山神社の右手にある石段を登ると、武市一族の墓があります。
 前列左が武市半平太夫人の冨の墓、その隣が半平太のお墓(国史跡)、その他半平太の両親等親族が眠っています。
  武市一族の墓


 半平太の後半生を簡単に記しておくと、文久元年(1861年)江戸で「土佐勤王党」を結成し、時の参政・吉田東洋に「一藩勤王」を説くも退けられ、翌文久2年(1862)年4月、東洋を暗殺し、藩論を勤王化へと導きます。
 同年10月、半平太は「柳川左門」と称し、副勅使・姉小路公知の雑掌として護衛にあたり、江戸へ向います。
 同年12月、留守居組〈上士)に昇格、翌文久3年(1863年)には京都留守居役加役となり、他藩の志士たちとも誼を通じます。
 ところが、同年「8月18日の政変」により状況は一変し、藩政に復帰した隠居の山内容堂は腹心の吉田東洋を暗殺した土佐勤王党員らの捕縛・弾圧を開始、9月に土佐へ戻った半平太も捕らえられ、入牢します。
 2年後の慶應元年(1865年)閏5月11日、南会所にて切腹。享年37歳でした。

 1年数ヶ月にわたる牢獄生活で、半平太は妻の冨に宛てて、実に200通もの手紙を書きました。妻への思い、政事のこと、自白した岡田以蔵への恨みつらみ、獄中生活の辛さ等々、時には得意の絵をまじえて、率直な気持ちをつづった手紙を送ったのです。
 半平太はやがて恩赦が下るのでは、という淡い期待を抱いていたようですが、容堂の半平太に対する怒りはおさまらず、ついに死を命じられました。
 切腹の日、長い牢獄生活のため半平太の身体は衰弱していましたが、泰然とした態度で見事に三段に腹をかき切ったと伝えられています。その時、介錯をつとめたのは妻・冨の弟・島村寿太郎と半平太の義理の甥・小笠原保馬の二人でした。保馬は半平太の壮烈な最期を目の当たりにしたことがトラウマとなって、一生顔面神経痛を患ったということです。
 (余談ですが、土佐藩は武士が切腹する場合、介錯は親族が行う事が多いようです)

 中岡慎太郎の言によれば、半平太は薩摩の西郷隆盛と肩を並べる程の人物であったといいます。半平太の死から二年後に「大政奉還」が行われ、維新の夜明けはもうすぐそこまで来ていましたが、勤王の夢破れ、あたら命を落としました。

  武市半平太の墓
  武市半平太の墓1

 墓の後方にある石碑に「明治四十年」と刻まれているので、この墓石が建てられたのはだいぶ後年になってからです。世間をはばかるということもあったでしょうし、その後困窮した武市家ではなかなか墓も建てられなかったものと思われます。
    武市半平太の墓2


 半平太の死後、跡継ぎのいない武市家は没落。未亡人となった冨の生活は困窮をきわめ、マッチ作りの内職によって細々と食いつなぐ日々を送っていました。
 半平太の名誉回復が最初に行われたのは、明治10年(1877年)3月のことで、高知県令渡辺国武によって士族の族籍と家禄が回復されました。
 明治政府は明治24年(1891年)、半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎、吉村虎太郎に正四位を追贈します。同年5月、未亡人の冨は皇后美子(後の昭憲皇太后)に拝謁し、白縮緬と金100円を下賜されました。東京九段坂の富士見軒において、祝賀会も開催されました。
 その後、冨は元土佐勤王党員で新政府で出世した田中光顕の強い支援を受け、養老金3000円を下賜され、かつての主家である山内家からも終身慰労年金200円が交付されました。
 大正6年(1917年)、冨は満87歳をもってこの世を去りました。半平太を失ってからの長い歳月を、ひたすら亡き夫を偲びつづけた人生でした。
 二人の間に強い愛情と信頼がなければ、冨も逆境を強く生きることはできなかっただろうと思います。

   武市冨の墓
  武市冨の墓


 冨の亡骸は半平太の墓の隣に葬られ、この夫婦はやっと安らぎを得ました。私は半平太、冨夫妻、および一族の方々の墓に合掌し、冥福を祈りました。(ー人ー)
 なお、武市家には後年他家から養子が入り、その方のご子孫が半平太の遺した書簡、その他を大切に保管していました。


  関連記事 武市半平太の手紙
         「龍馬伝」武市半平太の死



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