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南蛮美術の光と影(サントリー美術館)

 ここのところ、どうも体調面が低下気味です。先般の風邪は投薬の効果もあり、だいぶ良くなってきたのですが、今度は右肩を痛めてしまいました。毎日アクセスしてくださる一部の方には申し訳ありませんが、しばらく休み休みのアップになりそうなので、ご了承ください。

 先月、東京・六本木にあるサントリー美術館にて、開館50周年記念展
「南蛮美術の光と影~泰西王侯騎馬図屏風の謎~」を見学してきました。私もうっかりしていて、この展示は今週末くらいまで開催していると思っていたら、あいにく昨日で会期終了していました。
 サントリー美術館

【展示趣旨】
16世紀半ばから17世紀初頭にかけて、ポルトガルやスペインからいわゆる南蛮船が来航し、西欧の地や中継の港で荷積みされた貴重な文物を日本にもたらします。また南蛮船に乗船した宣教師がキリスト教を日本に伝え、いわゆる南蛮美術や文化が花開きました。

南蛮美術の中でも重要文化財「泰西王侯騎馬図屏風」は、桃山時代から江戸時代初期の初期洋風画の傑作として世に知られています。神戸市立博物館とサントリー美術館が分蔵するこの屏風は、もとは福島・会津城の障壁画であったと伝えられてきました。描いたのはイエズス会の神学校であるセミナリオで、キリスト教とともに西洋画法を学んだ日本人の絵師と推定されており、それを描かせたのもイエズス会の宣教師とみなされています。その画面描写には、当時の西欧の画家たちが身につけていた遠近法や陰影法を、積極的に学んだ跡が見受けられます。しかし、セミナリオで西洋画法を学んだ日本人の絵師が、いかにしてこの記念碑的な「泰西王侯騎馬図屏風」の大画面を描き上げるに至ったかという具体的な制作の経緯については、今もなお、大いなる謎が残されているといってよいでしょう。

今回は展覧会に先立って、東京文化財研究所の特別協力により、この「泰西王侯騎馬図屏風」の画面各部を高精細のデジタル画像で撮影、また近赤外線撮影、透過エックス線撮影、蛍光エックス線分析などによる光学調査を行いました。本展覧会ではこれらの研究成果もご覧いただきます。

また、「泰西王侯騎馬図屏風」と同時代の初期洋風画を中心とする南蛮美術を一堂に集め、主題や構図、顔料や技法、注文主や制作環境などから「泰西王侯騎馬図屏風」をはじめとする初期洋風画の制作の実態に迫ります。さらには、我が国におけるキリスト教の布教に関連する史料や作品から、南蛮屏風などに見られる南蛮趣味の広がりまでを展示します。

16世紀後半から17世紀初頭までという短期間に生み出された初期洋風画や南蛮屏風に代表される南蛮美術は、西洋と東洋の出会いが生み出した稀有な作品群と言えるでしょう。本展覧会を通して、キリシタンや南蛮人をとりまく日本近世初期の歴史の光と影を実感していただければ幸いです。



 上記の展示趣旨にもあります通り、今回の展示の目玉は、かつて会津の鶴ヶ城内にあった西洋画「泰西王侯騎馬図屏風」といわれるもので、明治維新後、一対であった二つの屏風がそれぞれ数奇な運命を辿り、現在に伝わったというものです。

 そのうち、片方が四曲一隻のもので、現在は神戸市立博物館に所蔵されています。
 こちらの屏風は、戊辰戦争後に会津戦争の戦後処理を行った長州藩の前原一誠(1834~1876年)の手にわたったものです。前原は会津藩に対しては寛大な態度であったため、松平家からお礼としてこの屏風を贈られたという話が伝わっています。(前原が勅使として東京の松平家を訪ねた際に気に入り、譲ってもらったという話もある) 

    前原一誠

 前原一誠は維新史に多少関心のある人ならすぐピンとくると思いますが、後に士族の反乱として有名な「萩の乱」の首謀者で、乱鎮圧後に処刑されました。
 その後、前原家にあったこの屏風は、戦前に兵庫の財産家で南蛮美術のコレクターとして知られていた池長孟という人が買い取り、彼が開いた私設の美術館に所蔵・公開されていました。(池長の美術館はその後、「南蛮美術館」と改称され、現在は神戸市立博物館がその機能を受け継いでいます)
 こちらの画のほうが、描かれた人物に動きがあって、躍動感が感じられます。
 img03.jpg

 
 そして、もう一方の四曲一双の屏風は明治維新後、鶴ヶ城から運びだされ、会津松平家と共に東京へ移りました。先の大戦の際に東京大空襲に遭いますが、奇跡的に難を逃れ、戦後ある個人の手を経て、サントリー美術館が入手し、現在に至ります。
 imgA.jpgimg02.jpg

 この「泰西王侯騎馬図」ですが、どういう経緯で制作されたのか、まったく記録が残っていないため、謎多き西洋画とされています。
 今回の展示を前に、二つの屏風のくわしい調査が行われました。その結果、使用されていた絵具は日本画で使用されるものであり、やはりこの西洋画が日本人の手によるものという見方が一層強まりました。
 そして、長らく一対と考えられてきた二つの屏風の顔料の成分の割合が異なることが判明し、どうやら同時に制作されたという説には疑問符がつけられることになりました。
 
 専門家の手によって科学的に調査された結果が提示されていたので、それはそれで興味深い事実だったのですが、私的にはかつて会津・鶴ヶ城にあったこの屏風が、運命のいたずらで互いに袂をわかち、そして長い年月が経過し、再びこの場でめぐり合ったという話のほうに興味をひかれ、静かな感慨がありました。(もっとも、同時展示は二十数年前にも開催されたとのこと)
 
 そして、こういう歴史的な美術品を見た満足感で見学し終わり、家路についたのですが、その途中、ひとつ気になったことがありました。それは・・・
「蒲生氏郷について一言も触れてなかったじゃん!」
ということでした。
 
 蒲生氏郷(1556?~1595年)は戦国時代のキリシタン大名で、鶴ヶ城を築いた人です。過去に私が読んだ書籍等にも、「泰西王侯騎馬図」は蒲生氏郷が制作させたのではないか、という話が載っていましたし、自分もこの謎の西洋画のもともとの主は氏郷であると信じて疑いませんでした。

 後日、その疑問は解消されました。NHK・Eテレビの「日曜美術館」の中でこの展示について特集していたのを見たのです。
 この「泰西王侯騎馬図」にはお手本としたと見られる原図が存在し、それはアムステルダム刊行の1606~1607年のウィレム・J・ブラウ世界地図を、1609年に改訂した大型の世界地図(現存しない)の装飾画だったのです。
 ですから、この原図の存在が明らかになったことで、屏風画が描かれた時期は少なくとも1610年以降ということが判明しました。
 しかし、長らく屏風画の発注主と思われていた蒲生氏郷は1595年(文禄4年)に亡くなっていますので、画の制作推定時よりも前にすでにこの世からいなくなっているわけで、蒲生氏郷との関連の可能性はほぼなくなったんですね。

 その後は専門家の推理になりますが、どうやら徳川幕府のキリスト教に対する強硬姿勢に危機感を抱いたイエズス会が、幕府との関係改善をはかるため、この画を制作し、贈呈したらしい。
 そして、当時の幕閣の一人で実力者であった保科正之(実は二代将軍・徳川秀忠の庶子)の手にわたったのではないか・・・という推論が示されていました。
 ついでに付け加えると、蒲生氏郷と「泰西王侯騎馬図」の関連を言い出したのは、この画を前原家から購入した池長孟であったようです。当時はこの絵についてほとんど詳細がわからなかったわけで、キリスト教との関連性から池長が氏郷との関連性を推定し、それを文章に記した事が、その後もまことしやかに伝わっていたというのが本当のところだったみたいです。


 展示はその他、歴史の本や教科書で多くの人が知っているフランシスコ・ザビエルの肖像画やら螺鈿細工などのきらびやかな南蛮美術品がいろいろあって、楽しかったです。
 ただし、全体のボリュームとしては昨年見学した名古屋市美術館の展示のほうがやや多かったような気がしました。
 南蛮文化は、長い歴史の中で一瞬煌いて、たちまち消えていったという印象です。

 過去記事 信長・秀吉・家康~天下人が織り成すきらびやかな時代

 歴史的な内容からしてもなかなか貴重な展示だったので、このブログを見てくださっている方にもおススメしたかったのですが、会期が昨日で終了してしまっており早くお伝えできずスミマセンでした。
 ただし、来年の春、神戸市立博物館で巡回展が開催予定ですので、「しまった見そびれた!」という方や関西在住の方はそちらを是非ご覧いただければと思います。


 参考サイト サントリー美術館


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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

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2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
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東京生まれ東京育ち。
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