スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

飯能炎上(飯能市郷土館)

 埼玉県飯能市にある飯能市郷土館では、現在特別展
「飯能炎上~明治維新・激動の6日間~」を開催中です。(12月11日まで)
 飯能市郷土館
 

 【展示趣旨】
  現代は、明治維新、敗戦に続く大きな変革の時期にあると言われています。その明治維新を目の当たりにするような出来事に、飯能の人々は遭遇しました。それが「飯能戦争」です。
  「飯能戦争」は、慶応4(1868)年5月23日に飯能の「町」を中心として行われた「振武軍」を中心とする旧徳川幕府方と明治新政府方との間の戦争のことをいいます。この結果、飯能では民家200戸、寺六ヶ寺が焼失するなど大きな被害がありました。
  江戸時代以降、飯能の市街地で行われた唯一の戦争について、新たに見つかった史料などをベースに、振武軍の結成から壊滅までの具体的な流れを紹介していきます。特に飯能戦争で使われた大炮の実物大模型はまさに迫力満点です。この大事件について知らなかった方はもちろん、知っていた方はその新たなイメージをぜひ体感して下さい。



 実は飯能方面へ来たのは、実に十数年ぶりくらいで、こちらのほうに用事があったのでついでに寄ってみました。(体調崩す前の話)
 上の写真でわかる通り、郷土館は町の小さな資料館、といった感じでした。
 
 幕末、幕臣を中心に結成された江戸市中取締りの任にあたった「彰義隊」という組織がありましたが、選挙によって頭取には渋沢成一郎(実業家・渋沢栄一の従兄)、副頭取に天野八郎がそれぞれ選ばれました。
 ところが、渋沢と天野の意見が対立し、渋沢は身の危険を感じて彰義隊を離脱してしまいます。この後、渋沢は同士と共に、飯能の能仁寺にて「振武軍」という新たな組織を結成し、隊士を募ります。
 慶応4年5月15日、上野で官軍と彰義隊との間で戦闘がおこります(上野戦争)。その前日、箱根ケ崎(現東京都西多摩郡瑞穂町)付近にいた振武軍も行動を開始し上野に向います。しかし、彰義隊敗戦の報を受け田無に戻り、彰義隊の生き残りを受け入れ、5月18日、能仁寺へ到着し、陣を置きます。その数、およそ1500人ほどだったといわれます。
 5月23日、飯能へやってきた官軍(約3500人)は早朝から攻撃を開始、わずか数時間で勝敗は決まってしまい、能仁寺の陣営は焼き払われてしまいます。
 成一郎は被弾して負傷、伊香保(現群馬県渋川市)へ逃亡します。一方、参謀の渋沢平九郎(尾高惇忠の弟で渋沢栄一の見立養子)は変装して顔振峠を越えて敗走、黒山村(現埼玉県入間郡越生町)で官軍に捕捉され負傷、平九郎は切腹し果てました。まだ22歳という若さでした。
 その後、成一郎と惇忠は密かに江戸に戻り榎本武揚の艦隊に合流し、最後は箱館まで転戦しました。

 このように、「飯能戦争」というのは官軍と振武軍との間で、たった一日(それも数時間)で戦闘終了、犠牲者数名という超ローカルな、あっけない戦いではあったのですが、近年、こちらの飯能市郷土館へ地元の方たちから「飯能戦争」に関する問い合わせが多数寄せられたため、担当学芸員さんは数年前より企画を暖めていたそうです。
 戦闘の際に飯能の村々は官軍により焼き払われたため、古くから代々住んでいる方たちにはその時の記憶が子々孫々に語りつがれていたみたいです。
 しかし、なぜこの近辺の方たちがどちらかといえば幕府に「同情的」であったか、といえば、付近17箇所に御三卿の一橋領があったせいだそうです。渋沢は一橋家の家臣をしていましたからね。
 そのため、振武軍は付近の村々で短期間に3500~4000両のもの軍資金を集められたといいます。
 戦闘終了後、振武軍の隊士たちは逃亡し、渋沢成一郎らを追いかけて遠いところで箱館まで行ったそうです。

    飯能炎上
 
 ところで、上のポスターですが、地元の方たちには好評だったようで、「飯能戦争をテーマとした映画ですか?」という勘違いの問い合わせまで来ていたそうです(笑)
 男性二人の写真がありますが、左が振武軍の渋沢平九郎で、右が官軍側の大村藩兵(名前不詳)の若者です。
 左側の渋沢平九郎ですが、私は知らなかったのですが、イケ面ということで歴女(幕末系の・・・)にも密かに人気があるのだそうです。そういえば、歌舞伎役者の中村獅童さんに似ていなくもないですね。

 展示のほうですが、出品数こそ少ないですが、いろいろなところから史料を借り受け、充実したものでした。担当した学芸員さんは幕末史が専門ではないとのことですが、展示物のチョイスにセンスが感じられ、限られた展示物でもイメージが喚起できるような工夫がされていました。よく調査してあったと思います。
 それから奇遇ですが、この前鳥取の博物館で見た史料2点が、こちらにも来ていたのはご愛嬌でした。

 過去記事 因州兵の戊辰戦争(鳥取市歴史博物館)

 それにしても、私自身飯能に土地勘が全然ないのと、飯能戦争についてもあまりよく知らなかったわけですが、ここ数年地方へ遠征ばかりしていたので、来年は近場の歴史というのを辿ってみようかと思いました。

 参考サイト 飯能市郷土館


 りらっくま
 よかったらクリックお願いしま~す♪
  ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
 人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ 
関連記事

テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

NoTitle

上野戦争は知っていましたが、埼玉県飯能市でも戦いが有ったのは知りませんでした。

地元の歴史を知るうえで、こういう展示会を増やして欲しいですね。

Re: NoTitle

酔いどれJohnny 様

 こんにちは。コメント有難うございます。

> 上野戦争は知っていましたが、埼玉県飯能市でも戦いが有ったのは知りませんでした。
>
> 地元の歴史を知るうえで、こういう展示会を増やして欲しいですね。

 そうですね。彰義隊の方が一般的には有名ですね。
 しかも、彼らは負けた後もまだくじけずに、振武軍に参加していたことがわかります。
ブログランキング
「もののふの心」および歴史的遺産を後世に伝えましょう♪
うさぎ
  ↓ ↓ ↓ ↓
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
カテゴリ
ご注意 ごくたまに、「城」「史跡」「お墓」等の話題が、ドラマ関連やその他のカテゴリとして登録されている場合があります。
月別アーカイブ
最新コメント
FC2カウンター
おきてがみ
お気軽にどうぞ(お返事が遅くなる場合があります)
プロフィール

A☆六文銭

Author:A☆六文銭
ブログテーマ
日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

★当ブログ内の文章、写真等はすべて無断転載禁止です。宜しくお願いします。
★当方と連絡を取りたい方は、下部メールフォームからお願いします。(ご感想はなるべくコメント欄のほうにお願いします)
※Twitter、Facebookはやってません。

最新記事
おすすめ書籍
リンク
RSSリンクの表示
検索フォーム
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。