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堀尾吉晴の墓

 松江城を築いた堀尾吉晴(1543~1611年)は、岩倉織田氏の家臣・堀尾泰晴の子として天文12年に尾張国丹羽郡御供所(愛知県丹羽郡大口町)で生まれたと伝えられています。
  堀尾吉晴像

 岩倉織田氏が同族である織田信長に滅ぼされると、堀尾父子は牢人し、永禄7年ごろに信長の家臣である木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)に仕えるようになります。
 以後、吉晴は秀吉のもとで数々の戦に出陣しますが、本能寺の変後、秀吉が明智光秀と戦った山崎の戦いで功を挙げ、天正11年の賎ヶ岳の戦いの後に秀吉から丹羽長秀の旧領であった若狭国高浜に1万石で配され、大名の仲間入りを果たします。
 天正13年には近江の佐和山城に4万石で入封します。
 天正18年、小田原の北条氏滅亡後、秀吉は徳川家康を北条氏の旧領であった関東に国替えさせると、空いた土地に子飼いの武将たちを配します。吉晴は一時期家康が本拠を置いた遠州浜松に12万石の加増を受けます。
 吉晴が浜松にいたのは約10年でしたが、この時浜松城の改修を行っています。
  浜松城

 このように秀吉から認められていた吉晴でしたが、秀吉の死後は徳川家康に接近します。
 しかし、関ヶ原合戦直前、吉晴は浜松から越前府中へ向う途中、三河国池鯉鮒にて水野忠重と供に宴席の場にいた際、加々井秀望という者が忠重を斬殺するという事件がおきます。その時、吉晴は忠重の家臣らに犯人と勘違いされ、斬りつけられてしまいます。
 この事件で重傷を負った吉晴は命からがら浜松へ帰り、関ヶ原合戦に参陣できなくなってしまいました。代わりに息子の忠氏が東軍として本戦に参加し、戦後の論功行賞の結果、出雲・隠岐24万石を与えられ、かつて尼子氏の居城であった月山富田城へ入ります。この頃、吉晴は息子・忠氏に家督を譲り、隠居の身となったと考えられます。

 しかし、富田城は地理的に領国の東側に偏っており、周囲を山に囲まれ、町場を多くとれない事や水運と陸上交通の上で不便な土地であることから、幕府の許可を取り、日本海に近い宍道湖のほとりに拠を移し、新たな城と城下町を築くことになります。
  松江城選定の図


 ところが、跡継ぎの忠氏が蝮に咬まれ急死するという悲劇がおこります。(過去記事「松江城選定の地 床几山」を参照のこと)
 忠氏の子・忠晴はまだ6歳という幼児であったため、吉晴は後見人として政事を見ることになります。
 松江城は、このような状況のもと、吉晴が老体に鞭うって、渾身で築いたお城なのです。
 松江城天守b


 松江城の築城には様々な困難が伴いましたが、そんな中で今度は後継者を巡って「お家騒動」がおきてしまいます。
 吉晴の長女「勝山」は、一番家老の堀尾河内守に嫁いでいましたが、河内守との間に掃部という15最になる息子がいました。河内守夫妻は甥にあたる6歳の忠晴を廃し、自分たちの子である掃部を堀尾家の跡継ぎにしようと企み、忠晴の暗殺を謀ります。
 やがてこの陰謀は露見し、堀尾河内守・掃部は死罪となりました。
 また、吉晴は次女である小那姫が婦人病を患ったことを苦にして、二十歳の若さで自殺するという悲哀も味わいました。

 厳しい戦国の世を生き抜いてきた吉晴でしたが、晩年はこのように不遇でした。
 そして、慶長16年(1611年)6月、城の完成を待たずして吉晴は亡くなりました。享年69歳。

 遺言により、亡骸は松江ではなく、富田城下に葬られました。
 下の写真は島根県安来市広瀬町の月山富田城下「巌倉寺」境内にあります吉晴の墓です。(2008年撮影)
  堀尾吉晴の墓2


 「地 水 火 風 空」を象ったといわれる五輪塔です。
  堀尾吉晴の墓1


 
 堀尾吉晴は加藤清正や、藤堂高虎等と並び、普請上手だった人ですが、清正や高虎と比べるとどちらかといえば地味な存在でした。
 私の手許にある戦国武将のガイドブック等にも、堀尾吉晴はまったく紹介されておりません。
 今年、「松江開府400年祭」ということで、このように吉晴の人生にも光が当てられたことは良かったのではないかと思います。
 昨年は彼の出身地である愛知県丹羽郡大口町から有志の方々が団体で墓参りに来られたということです。
 なお、京都にある堀尾家の菩提寺・春光院には吉晴の木像が安置されていますが、その頬には刀傷が刻まれているそうです。戦乱の時代を生き抜いた吉晴の実像が伺えます。

 関連記事 松江城(一)
        堀尾忠晴の墓


   
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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最新日記から、こちらへ。

堀尾吉晴…地味ィな武将というイメージですが、なかなか味わい深い人物のようですね。

彼を主人公にした小説もあってもいいかも?などと思いました。

Re: タイトルなし

 とま様

 こんばんは。コメント有難うございます。

> 最新日記から、こちらへ。
>
> 堀尾吉晴…地味ィな武将というイメージですが、なかなか味わい深い人物のようですね。
>
> 彼を主人公にした小説もあってもいいかも?などと思いました。


 古い記事までお読みいただき、どうも有難うございます♪
 他の武将と比較すると地味ーな感じのおじさん、という印象ですが、どこか憎めない人物だなあと思いましたね~。
 もう少しその人となりを、詳しく知りたいと思いました。
 
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