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松江城選定の地 床几山

 つづき

 堀尾家の菩提寺である圓成寺をお参りした後、おもむろに地図を取り出し見ていたのですが、寺から東へ250mくらいのところに「床几山」と記されているのが目に留まりました。
 たしか、床几山というのは、堀尾吉晴・忠氏父子が松江城を築くにあたって、その山から場所を選定したといういわれがあったことを思いだしました。
 すでに夕暮れ時にさしかかっていたものの、まだ帰路につくには早い時間だったので、思いつきで行ってみることに。

 地図といっても簡単な略図だったので、その方向を目指して歩いていたのですが、小丘陵みたいなのは見えるものの、「床几山」と記された標識などが見当たりません。

 仕方がないので、たまたま歩いていた年配の主婦の方にお尋ねしてみると。。。
「この道を右へ行って、左へ行って、昔NHKがあったとこかな。ちょっとあの辺わかりにくいのよね。。。」ということでしたが、なんとなく方向がわかったので、御礼を言って言われた通りに歩いてみました。
 しかし、先へ行っても案内板等が見当たらないので、また別の通りがかりの主婦の方に尋ねてみると、
「この辺一帯床几山なんですけどね。。。うーん」と首をかしげている。そこへ、散歩中と思われる年配の男性が向こうからやってきました。
「あら、お父さん!」
 どうやら、その年配の男性の方は主婦の方のお父さん(あるいはお舅さん)だったようです。主婦の方がお父さんを呼んでくれました。
「スミマセン、堀尾公が登ったという場所を探しているのですが」
「ああそうですか、じゃ途中までわたしも行きますよ」
ということで、お父さんに途中まで案内していただきました。
「この辺はここ30年くらいで宅地造成が進んじゃいましてねえ。だいぶ様子が変わってしまったんですよ」
 歩きながらお父さんが教えてくれました。
「この先へ行けばわかるでしょう」
ということで、案内してくれた方へお礼を言って別れました。親切な方で助かりました。

 しかし、またもや一向に床几山の標識などがまったく出てこないので、あちこち見渡しながらうろうろしていたところ、廃墟みたいな建物?があり、建物の上に立ち入れそうだったので、登ってみました。
 そこから遠くを見ると。。。

 松江城の天守が見えました。(^ω^)♪ (クリックで拡大します)
 床几山より松江城遠望A

 後でわかったのですが、この建物は松江市の水道事業創設時の施設で、大正5年(1916年)7月に造られたものとわかりました。大正7年(1918年)6月に通水を開始、昭和58年(1983年)12月末に閉鎖されたといいます。平成元年(1989年)、通水開始70周年を記念し、場内がミニ公園として整備されたようです。
 なにしろ、事前の調べなく行ったもので、この建物が文化財とは知らなかったので、門のところしか撮影しなかったです。。。(この門も国指定有形文化財だそうです)
  旧床几山配水池門

 たしかに、ここからもお城は見えたんですけれども、「床几山」を示す標識のあるところが別にあるはずです。
 建物を出て、付近をうろうろしていると、偶然連れが「床几山入口」と書かれた案内板を見つけました!彼はこの辺の嗅覚は鋭いです。
  床几山3

 細い坂道を登っていくと。。。
 やっと辿りつきました。「床几山公園」という小さい公園になっていました。奥のほうには何故か仏像が。。。???
  床几山1

 園内にはちゃんと「床几山碑」もありました。
   床几山2


 堀尾吉晴と息子の忠氏は新しく城を築くにあたり、当時「元山」と呼ばれていたこの丘陵地に登って、場所選びにとりかかりました。二人は床几に腰掛けて話合ったというので、「元山」は後に「床几山」と呼ばれるようになります。
 父の吉晴は、かつて毛利氏が富田城の尼子氏を攻めた際に陣を置いた宍道湖畔の「荒和井山」〈今の松江温泉のあたり)を主張し、子の忠氏は尼子氏の支城が置かれた亀田山(現在の松江城がある場所)を推しました。
下の絵は、元山から城の選定にとりかかる堀尾親子を描いたものです。(安達不伝・画 座っているほうが堀尾吉晴 傍らに立っているのが忠氏)
    松江城選定の図


 こうして城を築く場所を巡って親子の意見が食い違ってしまったのですが、慶長9年(1604年)8月、息子の忠氏が富田城への帰途、蝮に咬まれたことが原因で26歳という若さで急死してしまいます。
 父・吉晴は突然の息子の死に悲嘆にくれましたが、生前忠氏が選んだ亀田山の地に城を築くことを決意し、さっそく築城に取り掛かりました。
 

 現在、床几山公園から遠望しますと、残念ながら手前のビルに阻まれ、松江城の南櫓がかろうじて確認できるだけで、天守はビルの陰になってしまっていて見えません。。。orz
 床几山より松江城遠望B

 眺めとしては、先に紹介した旧床几山配水池の場所からのほうが良さそうです。
 なお、蛇足ですが、この床几山、標高が41mほどしかなく、島根県で最も低い山とされているのだそうです。

 ほとんど思いつきで行ってしまった結果、我々は床几山の裏手から入ってしまったため少々迷ってしまいましたが、北側の津田街道(国道9号)のほうから行けば案内板も出ていたようで、もう少しわかりやすかったようです。
 (下の写真は津田街道方面から眺めた、中央奥のこんもりした森みたいなところが床几山です)
  床几山4



 松江市上乃木1 (緑のアイコンが配水池跡で、ピンクのアイコンが床几山公園です)
 
より大きな地図で 床几山 を表示

 

  松江400年祭キャラクター「あっぱれくん」
 あっぱれくん
 堀尾父子の絆を感じさせる話じゃのう。不覚にも涙が。。。
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ジャンル : 学問・文化・芸術

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A☆六文銭

Author:A☆六文銭
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日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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