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“江”の姉“初”、ダンナが侍女に産ませた子を殺そうとしてた

 「松江城(三)」のつづき

 松江開府400年祭にあわせ、今年の3月、松江城の東側の堀端に松江400年の歴史と文化を紹介する新たな観光拠点として、「松江歴史館」という施設がオープンしました。ところが、3月11日の震災もあり、ひっそりとしたデビューとなってしまったようです。
 今回、時間がありましたので寄ってみることにしました。(以下、写真はクリックで拡大します)
  松江歴史館

  参考サイト 松江歴史館ホームページ


 この日、ちょうど同館では秋の特別展
「松江藩主・京極忠高の挑戦」という展示を開催中でした。(10月30日にて終了しています)
 「京極」ときけばピンとくる方もいらっしゃることと思いますが、京極忠高というのは、今年の大河ドラマのヒロイン“江”の次姉である“初”の夫である京極高次の庶子になります。おそらく大河ドラマ関連ということで取り上げられたのだろうと思われます。
  京極忠高の挑戦

 こういってはアレですが、実は私、今年の初め頃には例年のように大河ドラマ関連のイベントでも出かけてみようなどと考えていたのですが、ドラマが展開していく中で「清洲会議」の辺りからどうしてもその内容についていけなくなってしまい、自分の中で盛り下がっていく一方だったので、従って大河ドラマ関連イベントにはまったく足を運んでいませんでした。
 今回、偶然このような展示を見たという次第です。
 
 正直、あまり期待もせず見てみたのですが。。。その展示内容がいささかショッキングなものでした。

「追記の開閉」をクリックしてください↓
 お江の姉であるお初(後の常高院)は周知の通り、自分の従兄にあたる京極高次に嫁いだわけですが、二人の間にはついぞ子供ができませんでした。
 ところが、ある時夫の高次は“お崎”という侍女に手をつけ、孕ませてしまいます。
 高次はどうやら恐妻家であったようで、正室お初の怒りを恐れ、懐妊したお崎をとある武士に下げ渡そう(所謂「拝領妻」ですね)と画策するも失敗します。
 この時、すべてを知ったお初は嫉妬のあまり、お崎とお腹の子を殺そうとたくらんだというのです。

 やがて月満ちて、お崎は京にて無事男の子を生みました。これが熊麿、後の忠高です。(下の写真)
  京極忠高

 正室・お初に気兼ねした高次は、生まれた子の処置に困りはて、家臣の磯野信隆という者にわが子を匿うよう依頼します。
 しかも高次は、信隆の屋敷や知行を取り上げ、磯野が一人で子を隠匿したように見せかける工作までしたのでした。
 この時、高次はこれから先も信隆を決して見放さないと約束した日付入りの書状を与えています。(今回展示されていました)

 こうして、望まれない形で京極忠高は生まれてきたわけですが、これを気の毒に思った京極高次の母・マリアや、姉の龍子が忠高の庇護と磯野信隆のとりなしに奔走したようで、その事を示す書状が展示されていました。

 結局、京極マリアや龍子の奔走もあってか、3年後に熊麿(後の忠高)は父・高次とその妻・お初に正式に対面を許され、京極家の嫡子として育てられていったといいます。

 まあ、それにしても夫が手をつけた女とその子を殺そうとしたという
お初KOEEEEEE Σ( ̄□ ̄lll)!! と思いましたね。
 お初も織田家の血を引いていますし、こういう恐ろしいことを企むとはさもありなん、と思いました。妹のお江も嫉妬深かったということですが、姉の方も同様だったわけですね。
 加えて、旦那の京極高次のなんともだらしないこと。。。(呆)
 
 お初の侍女殺害を企んだ件については、生まれたばかりの忠高を匿った磯野家のご子孫(滋賀県在住)宅に伝わった文書に出てくる話なのですが、今から30年くらい前にこの文書の所在についてはすでに知られていたそうです。しかし、内容について精査されておらず、今回松江歴史館の学芸員さんが改めて精査し、詳細が判明したという話でした。この文書も今回展示されていました。

 お初については、おおかたこれまで大坂の陣で大坂方と江戸方との連絡役を務めたことくらいしか知られてなかったと思うのですが、大河ドラマ放映ということも手伝って、いろいろ新たなことが判明してきたように思います。


 ところで、お初はとうとう石女だったため、妹のお江が伏見で生んだ娘を生まれてすぐに貰いうけて自らの養女とし、自分の諱を与えて「初姫」と名付けたのはドラマを見ていた方ならご存知だと思います。
 「初姫」は京極家で大切に養われて成長するのですが、長じて後に義兄である京極忠高と結婚します。
 義母であるお初にしてみれば、自分の血を引く初姫と忠高とを夫婦にすることで、これで京極家も安泰だという気持ちがあったのかもしれません。
 
 ところが、お初の期待もむなしく、当の忠高と初姫はあまり夫婦仲がよくなかったようで、ある時初姫は熱病にかかり、症状が悪化してとうとう危篤に陥ってしまいます。
 初姫が死の淵をさまよっていた時、夫の忠高は妻を見舞おうともせず、力士を集め、相撲観覧を楽しんでいたというのです。
 奥向きから何度も忠高のもとへ連絡が行きましたが、相撲に夢中だった忠高は臨終を迎えた妻を顧みることなく、ついに初姫は28歳の若さで死んでしまいます。

 この事を知った初姫の実父で二代将軍・徳川秀忠は大いに怒り、初姫の葬儀は徳川家で行い、忠高の参列を許さなかったそうです。
 初姫は徳川家ゆかりの小石川・伝通院(徳川家康の母・於大の方の菩提寺)に葬られました。(下の写真は伝通院にある初姫の墓)
 この初姫の臨終時に忠高が相撲に高じていたという話は、以前東大の山本博文さんが書かれた『江戸城の宮廷政治』(講談社学術文庫)という本で読んだことがありました。
  初姫の墓


 その他、特別展では忠高が松江を統治していた3年間の事績などについても紹介されていましたが、忠高は寛永14年に45歳で死んでしまい、跡継ぎがいなかったため、京極家は無嗣断絶してしまいます。
 しかし、徳川家の縁戚ということもあり、忠高の甥・高和をもって京極家は播州龍野6万石に封じられ、再興されました。

 今回の展示では出品数は少なかったものの、今まで焦点の当たらなかった京極忠高という人についていろいろ興味深い事が明らかにされ、それなりに面白かったです。ただ、人物としてはイマイチ魅力に欠けるという感じでしたがね。

             つづく


 
松江400年祭キャラクター「あっぱれくん」
 あっぱれくん
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日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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