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上杉家廟所

 米沢城からやや離れた北西の地に、米沢藩主上杉家廟所があります。(米沢市御廟1-5-30)
 昭和59年(1984年)に国の重要文化財に指定されています。
 深閑とした杉林の奥に墓所はありました。(以下、2007年夏撮影) 大河ドラマ「天地人」の放映前だったので、訪れる人の姿もまばらで静かにお参りすることができました。
    上杉家廟所1

 中央には上杉謙信の墓が、以降左右に交互に11代藩主(謙信から数えると12代)・斉定まで歴代藩主の墓が立ち並んでおります。
  上杉家廟所2

 上杉謙信の墓。謙信は天正6年(1578年)3月に他界しましたが、その遺骸は甲冑を着せられた後、甕に納められたそうです。そして春日山城下の林泉寺に葬られました。
 しかし、上杉家が会津若松に移ることになり、謙信の遺骸も会津へ引っ越すことになりました。さらに関ヶ原合戦後、上杉家は米沢へ移封させられますが、またもや謙信の遺骸も一緒に引っ越すことになり、米沢城内に安置されました。
 明治維新後、廃藩置県により米沢城が廃城となると、謙信の遺骸はこの上杉家廟所に移されました。
 結局、謙信の遺骸は都合3回も引っ越したことになります。甕ごと移設したのですから、運んだ人たちも大変だったでしょうねえ。
    上杉謙信の墓

 
 謙信の墓の向って左隣に初代藩主・上杉景勝の墓があります。景勝は元和9年(1623年)3月に亡くなりましたが、その時にこの地に廟所が築かれました。
 しかし、私が米沢で得た情報によれば、景勝の遺骨は高野山に築かれた墓に安置されているとのことです。土葬ではなく、火葬されたということなのか???どちらが本当のお墓なのか、ちょっとはっきりしません。。。
 上杉景勝の墓

 「名君」と謳われた米沢藩中興の祖、上杉鷹山(治憲)の墓です。上杉景勝の玄孫(外孫)にあたります。
 日向高鍋藩主・秋月種美の次男として生まれますが、8代藩主・上杉重定の養子となります。
 米沢藩の財政窮乏を救うため、藩内守旧派の頑なな「抵抗」に遭いながらも、様々な藩政改革を打ち出します。
 「なせばなる なさねばならぬ 何事も ならぬは人の なさぬなりけり」という言葉は有名です。

 なお、景勝から8代重定までは霊廟が社造りでケヤキが使われていますが、藩の財政難ということもあり、鷹山以降の藩主の霊廟はスギやヒノキを用いた宝形造りに変更されています。
 上杉鷹山の墓


 
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ジャンル : 学問・文化・芸術

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Author:A☆六文銭
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日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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