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釧路の町に「お城」発見!? (゜д゜;)

釧路市内で車を走らせていたところ、突然「お城」らしき建物が目に入りました。
 鳥取神社1

 どうしてこんなところに三層の櫓が???と不思議に思ったので、入ってみることに。



 実は・・・。





 この建物はある神社の施設でした。




 鳥取神社は、明治維新後、旧鳥取藩士が北海道へ移住する際、明治24年(1891年)に出雲大社より大国主神を拝請し、創建されたということです。
 上のお城のような建物は鳥取城を模して建てられた「鳥取百年資料館」といい、受付へ行ってみたところ、内部を見学させていただけました(無料)。 
 中の展示室には、旧鳥取藩ゆかりの甲冑、武具などの展示や、旧鳥取士族の北海道移住の歴史が紹介されていました。
 鳥取藩は江戸時代を通して池田家が治めていましたが、幕末の頃は勤皇側についております。
 何故なら、12代藩主・池田慶徳(1837~1877年)は水戸斉昭の息子で、徳川慶喜の異母兄だったからです。戊辰戦争では東北へ向けて出兵もしています。

 しかし、維新後やはり藩士たちは俸禄を失い、新天地を求めて北海道移住を考えたのでしょう。彼らはこの神社がある場所の周辺に移住し、「鳥取村」と名付けました。
 資料館の展示を拝見したところ、彼らは片時も離れざるをえなかった故郷・鳥取のことを忘れなかったようで、鳥取の郷土芸能である「麒麟獅子舞」や「鳥取傘踊り」の伝承にも力を注いでいるそうです。
 なお、日本三大仇討ちの内、有名な「伊賀の仇討ち」で、姉婿である荒木又右衛門の助勢を得て弟の仇を討ち、めでたく本懐を遂げた渡辺数馬のご子孫も、この時北海道へ移住しているということです。
   鳥取神社2


 「鳥取村」は後に「鳥取町」となり、戦後になって釧路市と市町村合併しました。現在も地名として「鳥取」の文字が残っています。
 鳥取神社4

 なお、敷地の奥手にはちゃんとお社もありました(当然ですね・・・)
 鳥取神社3

 厚岸の町に続き、釧路の町にも「もののふ」の足跡を見てとることができました。厚岸に移住した旧米沢藩は幕府方だったのに対し、鳥取藩は官軍方でしたが、維新後は同じ北海道へ移住しているというのが歴史の「あや」といったところでしょうか。

 参考サイト 鳥取神社ホームページ
 

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日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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