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泉州堺を歩く 3

 つづき

 広晋山妙國寺(日蓮宗)  三好長慶の弟・義賢(実休)は日蓮宗に深く帰依し、日上人に寺建設のため広大な土地を寄進しました。
 もともと三好一族は禅宗だったらしいのですが、この義賢という人が一族をみな日蓮宗に改宗させたということです。
 日上人が書いた日記「己行記」は中世都市堺の様子を知る上で大変貴重な史料となっていますが、最近になって日記の紙背に三好家に関する古文書が残っていたことがわかり、このたびの文化財特別公開に合わせて一般公開されました。
(この日、実物は堺市博物館で展示されていた)
 妙國寺1

 コンクリート製の大きな本堂でしたが、これは戦災で焼けてしまったため戦後建てなおしたものだそうです。
 妙國寺ですが、幕末史のとある事件の舞台となった寺でもあります。

 慶応4年(明治元年 1868年)2月15日、堺港に停泊していたフランス軍艦・デュプレクス号より乗組員が上陸し、堺港付近を徘徊しました。この頃、堺を警備していたのは土佐藩だったのですが、上陸してきたフランス兵を見つけ、捕らえようとしたところ、フランス兵らが逃げ出したため、これを一斉射撃しました。
 その結果、フランス兵の犠牲者は溺死を含め11名、5名の負傷者が出ました。
 この一件に激怒したフランス公使・レオン・ロッシュは新政府に対してフランス兵の死体の引渡しと求めるとともに、事件に関わった土佐藩関係者の処刑、賠償金15万ドルの支払いなど5箇条にわたる賠償請求を行いました。

 フランス兵を射撃した土佐藩士は29名いたといいますが、土佐藩では20名を切腹させることを決めます。もともと責任者である2隊長と2名の小頭は当然ながら責任を免れず、残る16人は土佐藩邸内にあった稲荷神社でくじ引きを行い、切腹する人間を決めました。
 2月23日、妙國寺境内にてフランス軍艦長・トゥアールが立会いのもと、20名の土佐藩士の切腹が行われました。彼らは腹を切る際に内臓を検分のフランス人たちに対して投げつけるなどしたため、そのあまりに凄惨な光景に、トゥアール艦長は11名が切腹し終わった時点で処刑の中止を外国局判事の五代才助(後の友厚)に要請し、その結果9名が処刑を免れました。フランス側犠牲者と処刑者が同数のところで政治的判断により中止になった模様です。
 
 同寺の境内には11名の土佐藩士が切腹した場所が今も残されています。この場所は本堂の脇にあるのですが、通常は表に鉄扉があって中に入れないため、お寺の方にお願いしてみたところ、入れていただけたので撮影してきました。
 「英士割腹跡」の石碑は、処刑の7ヶ月後に建てられた古いものです。この付近の土は、切腹した土佐藩士の血を吸っていただろうと思いました。
 妙國寺「英士割腹跡」

 その手前には大きなソテツの木が。かつて織田信長がこのソテツを安土城へ植え替えたたところ、ソテツが妙國寺を恋しがって夜な夜な泣いたというので気味が悪いということで元に戻されたという逸話が残っています。
 妙國寺ソテツ

 同寺には切腹した土佐藩士の遺品が伝えられていて、この日本堂の方で見学することが出来ました。切腹当日使用されたという血がついた三宝などが置いてありました。

 これが「堺事件」と呼ばれる顛末です。明治時代、森鴎外が小説に書いたことで有名になりました。
 この事件の悲劇は、お互い言語が通じなくて意思の疎通がはかられなかったことと、慶応3年の暮れに定められた「大坂表外国人貿易並びに居留に関する規則」において、堺では外国人の往来が許可されたいたことが警備を担当していた土佐藩側で周知徹底されていなかったためによるものです。

 なお、堺事件には後日談があります。
 切腹した11名の遺骸は、当初妙國寺に葬られることになっていましたが、当時の住職が何故かその日突然行方をくらましたため、やむをえず、道を挟んだ向こう側の「宝珠院」(真言宗)という別の寺に葬られることになりました。
 結局、妙國寺としては元皇室勅願所ということもあって、罪人を葬ることを嫌ったというのが真相のようです。

 お隣の宝珠院にある「土佐十一烈士墓」の石碑。
 宝珠院1

 11名の遺骸は大きな甕に入れられ、同寺へ葬られました。今もお墓が残っていますが、あいにくこの日、寺の門扉が閉まっていて、インターホンを鳴らしても不在のようだったので中へ入れませんでした。
 同寺は今は幼稚園を経営しているみたいで、遊具の先に11名のお墓が見えました。(ちょっとシュールな光景・・・)
 宝珠院2

 近隣の堺の住民をはじめ、大坂の人々はこの11名の土佐藩士の運命を気の毒がり、彼らを「ご残念さま」と呼んで、多くの人たちが墓参りに訪れたといいます。遺体収容に使われなかった9個の甕は宝珠院内に並べられ、こちらも「生き運さま」と呼ばれて人々の信仰を集めました。宝珠院の門前には縁日のような屋台まで出て、多くの参拝者で賑わったといいます。

 この様子を傍で見ていて悔しがったのが、遺体の埋葬を婉曲に拒否した妙國寺。土佐藩に対して墓の改葬を願い出たものの拒否されたそうです。(当たり前ですね)後悔先に立たずとはまさにこの事です。

 仕方がないので境内に彼らの供養塔を建てたり、3日3晩にわたる大供養を行ったりしたんだそうです。
 妙國寺2


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日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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