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国定忠治の墓

 前回のエントリー(過去記事⇒「幕末維新遊侠列伝」)で紹介した、江戸時代後期の侠客・国定忠治(1810?~1851年)の菩提寺・養寿寺(天台宗 群馬県伊勢崎市国定町1丁目1235)です。写真はすべて2007年撮影です。
 養寿寺


 前回のエントリーで国定忠治の生涯をかいつまんで書きましたが、忠治は磔に処せられた後、その首は密かにこの寺へ運ばれました。
 当時の住職は忠治が子供の頃、読み書きを教えた人だったとかで、ここに忠治の墓(首塚)が建てられました。
 国定忠治の墓2

 伊勢崎市近辺は昔から博打のメッカでもあり、近代に入ってからもギャンブルに手を染めている人たちが忠治にあやかろうとして彼の墓石を削り取って持ち帰ったため、墓石はボロボロに傷み、今では墓石保護のため鉄柵で囲いがされています。
 その後、お寺さんでは忠治の墓石の隣に、「長岡忠治之墓」という大きな供養碑を建てました。(古いデジカメで撮ったので写りが悪いですが)
 国定忠治の墓1

 岩波新書「国定忠治」を著した高橋敏・国立歴史民俗博物館名誉教授が群馬大学にご在職の折、ゼミの学生さんたちを連れてたまたまこの寺を通りかかり、忠治の墓に参ったことからインスピレーションを得たのだそうです。
 その後、群馬県内でフィールドワークを重ね、少ない史料を読み解き、「国定忠治」をお書きになりましたが、忠治と彼が生きた時代をあますところなく描きだしています。
 
 近年地元では忠治を顕彰する動きもあったそうですが、いまだに忠治に対してネガティブなイメージを抱く人も多く、昨年でしたか忠治関連のイベントが中止になってしまったとか。
 彼の墓も地元教育委員会から史跡指定は受けていません。ですから、忠治の墓の案内板はお寺さんが独自で立てたものです。
 高橋先生のご著書にもある通り、天保飢饉の折に忠治が民衆を救ったことは史実であり、同時代に生きた代官で、水野忠邦の天保改革にも参与した官僚・羽倉外記でさえ、忠治のことを「劇盗」と呼び、単なる悪党ではない、という事を書き残しています。もう少しあたたかい目を向けてもよいのではないでしょうか。

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