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山内容堂の墓

 品川のほうに用事があり、ついでに余った時間で史跡探訪です。

 今、NHK大河ドラマ「龍馬伝」が放映中ですが、その中の主要人物のひとり、土佐藩主・山内容堂のお墓です。品川区東大井の立会川小学校の敷地内にあります。
 大河ドラマのお陰なのか、参詣した時中高年の方たちが5,6人ほど訪れていました。

山内容堂の墓

 
 ドラマの方の容堂公は俳優の近藤正臣さんが演じられています。ただ、近藤版容堂公は総白髪なのが少々気になります。実年齢から照らし合わせても、ちょっと年寄りすぎます。実際の容堂公はまったく枯れてなんぞおりません(笑)
 というのは、容堂には肖像写真(←文字をクリックすると、容堂の肖像写真のサイトへ飛びます)が残っていて、当時の彼の容貌はまだ男ざかりだったのが明らかだからです。

 どうして、このような演出になったのか???ちょっと不思議ではあります。

 さて、その容堂公ですが、土佐山内家の分家に生まれながら本家の当主が急死したため、後継者として彼に白羽の矢がたちます。24万石の大藩の藩主に就任した容堂は、激動の幕末政治に関っていくのですが、これがまたいろいろ苦労している。あまりに幕政に口を出しすぎて、安政の大獄では井伊直弼から隠居・謹慎を申し渡されていましたね。
 容堂は個性の強いなかなか豪放磊落な人柄だったようです。一言でいうなら、酒と詩と女を愛した(笑) 典型的な殿様気質だったのでしょうね。
 大政奉還という、歴史の転換点にまさに居合わせた人物だなと思います。結果的に、彼が望んだ展開にはなりませんでしたが。。。

小御所


 上の写真は、以前京都で撮った小御所の写真です。
 有名な「小御所会議」の開かれた場所ですが、ここで容堂公は岩倉ら倒幕派に対して文句を言ってましたね(笑)
 

  明治維新後は一度政府の役職に就くもののすぐに引退し、お妾さんが十数人もいる中で暮らしていたんだとか。かなりの艶福家だったみたいですね。これはと思った女性には手が早かったようです。

 しかし、長年の深酒が祟ったのか、明治5年(1872年)に脳溢血で倒れ、46歳をもって他界しました。
 遺言によって、亡骸はここ大井村の下総山にに葬られました。
 当時、この辺りは紅葉の名所で、高台に位置しているので品川の海もよく見えて、生前の容堂がお気に入りのロケーションだったそうです。(すぐ近所に土佐藩の下屋敷がありますので見慣れた風景だったのでしょう)

 容堂の人生については、司馬遼太郎が「酔って候」で書いていますし、人物叢書(吉川弘文館)から出ている「山内容堂」(平尾道雄著)なども参考になろうかと思います。

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テーマ : 国内、史跡・名勝巡り
ジャンル : 旅行

tag : 有名人の墓(や行)

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