スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

松前崇広の墓

 松前藩主松前家墓所より、一人ご紹介します。

 第十二代藩主・松前崇広(1829~1866年)の墓
松前崇広の墓

 第九代藩主・松前章広の6男。嘉永2年(1849年)家督を相続する。同年、幕命により福山城(松前城)築城に着手する。
 文久3年(1863年)以降、寺社奉行、老中格、陸海軍惣奉行、陸海軍総裁、老中を歴任。外様大名からの老中就任は異例であった。(老中は通常、5万石以上の譜代大名から登用される)

 慶応元年(1865年)、英・米・仏・蘭公使が兵庫開港を要求したが、老中の阿部正外と崇広は勅許を得ずに独断で開港を決めた。このため、幕府内の攘夷派より突き上げられ、一橋慶喜からは朝廷へ訴えられた。将軍・徳川家茂はやむなく両名を罷免し、官位剥奪の上、国許謹慎を命じた。
 翌慶応2年(1866年)1月に崇広は松前へ戻り、城内の一室で謹慎生活を送るが熱病にかかり、同年4月38歳という若さで失意のうちにこの世を去った。

松前崇広肖像

 幕末史に関心のある方なら名前くらいはご存知かもしれません。上の肖像写真は第二次長州征伐の途上で撮影されたものです。正装し、自信に満ち溢れた表情をしています。
 若い頃より西洋通でもあり、外様大名ながら老中へ異例の抜擢をされたのも、ペリー来航以後の混乱する国情に対応するためと思われます。
 しかし、上にも書きましたように、時代の趨勢は崇広を長くは生きさせておきませんでした。彼もまた幕末維新の激動の中で一瞬のうちに政治の表舞台から姿を消したのです。上の写真を撮影してからわずか一年あまりで失脚、ほどなくして亡くなったことを考えると、運命の残酷さを思わずにはいられません。

関連記事 暴風雨に大苦戦 松前城


★おかげ様で97城目。いつも応援いただき有難うございます★
にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ 人気ブログランキングへ 
関連記事

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 有名人の墓(ま行)

コメントの投稿

非公開コメント

ブログランキング
「もののふの心」および歴史的遺産を後世に伝えましょう♪
うさぎ
  ↓ ↓ ↓ ↓
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
カテゴリ
ご注意 ごくたまに、「城」「史跡」「お墓」等の話題が、ドラマ関連やその他のカテゴリとして登録されている場合があります。
月別アーカイブ
最新コメント
FC2カウンター
おきてがみ
お気軽にどうぞ(お返事が遅くなる場合があります)
プロフィール

A☆六文銭

Author:A☆六文銭
ブログテーマ
日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

★当ブログ内の文章、写真等はすべて無断転載禁止です。宜しくお願いします。
★当方と連絡を取りたい方は、下部メールフォームからお願いします。(ご感想はなるべくコメント欄のほうにお願いします)
※Twitter、Facebookはやってません。

最新記事
おすすめ書籍
リンク
RSSリンクの表示
検索フォーム
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。