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侯爵家のアルバム

 先月、千葉市佐倉にある国立歴史民俗博物館で開催中の企画展「侯爵家のアルバム~孝允から幸一にいたる木戸家写真資料~」を見てきました。

侯爵家のアルバム


 1984年から1998年にかけて、同館に対して「維新の三傑」の一人である木戸孝允(1833~1877年)の子孫から旧木戸侯爵家(孝允―正二郎―孝正―幸一)に伝わった多数の資料が寄贈されたそうなのですが、その整理がやっと終了し目録刊行することになり、それを記念して膨大な資料の中から今回は写真資料に限って公開するというものです。

 詳細→歴博 企画展示案内

 桂小五郎・・・後の木戸孝允ですが、彼が明治維新の立役者の一人であることは改めて説明するまでもないでしょう。維新後も新政府のメンバーとして、近代国家の建設に力を尽くしました。
 木戸は写真を撮られることにあまり抵抗がなかったようで、まだ髷をつけ帯刀していた頃から積極的にカメラの被写体になっています。
 そして、明治以後撮られた写真は断髪し洋装をまとっているのですが、ご承知の通り、彼はなかなかの男前だったこともあり、これがよく似合っています。彼なりに考えてポーズをとったりしています。
 それから、忘れてはならない木戸の妻である芸者「幾松」こと松子ですとか、男子のいなかった木戸の養子になった甥の正二郎、孝正など家族の写真も残されていました。
 詳しくは歴博のHPで概要をご覧いただきたいのですが、木戸ファミリーをはじめ長州関係者、維新に活躍した人物等、歴史上の人物の写真がわんさか展示してあって、素直に面白かったです。

 私の個人的な感想ですが、これだけ多くの写真が残されていたことで、木戸家の親戚関係がよく把握できました。たとえば、「長州ファイブ」の一人である山尾庸三や、児玉源太郎は木戸家の姻戚ですから当然多くの写真が残されていました。私のように歴史上の人物の墓参りをしている者にとりまして、系図というのはけっこう重要なのです。

 「維新の三傑」の内、西郷や大久保は維新激動の時期にもかかわらずそれぞれ子宝に恵まれていますが、木戸孝允という人は残念ながら実子に恵まれませんでした。彼の糟糠の妻である松子との間にはついぞ子供ができませんでした。
 こうして跡継ぎとなる男の子がいなかったため、仕方がないので、木戸は自分の妹・治子と長州藩士・来原良蔵との間の子、つまり甥っ子にあたる正二郎を養子にします。子供の頃からこの正二郎を目にかけ、洋行に出すなど木戸にしてみればかなり期待していたようです。正二郎が留学中も日本語の勉強を怠らないよう諭した手紙を送るなど、教育パパぶりを発揮しています。
 木戸孝允の死後、正二郎が木戸侯爵家を継ぎますが、彼はドイツ留学からの帰路、航海中に病のため24歳という若さで死んでしまいました。正二郎はまだ妻帯もしていない若さで子供がいなかったので、正二郎の実兄である彦太郎が跡を継ぎました。(後に孝正と改名) 彦太郎(孝正)が継ぐにあたっては、伊藤博文のプッシュがあったようです。なぜなら、若き日の伊藤はかつて彦太郎の実父である来原良蔵に世話になり恩義があったからなんだそうです。

 ところで、木戸孝允には実は「隠し子」がいたんですね。明治2年に生まれた「好子」という女の子がいたのです。ところが、好子を生んだ女性は誰なのか詳らかではないということです。正妻である松子に隠れて、木戸はこっそりどこかの女性に手をつけていたようです。松子の目を恐れたのか、木戸の唯一の実子であるにもかかわらず好子は別のところで養育されていたようで、長じて木戸家の養子となった孝正の妻になりますが、病のため早世しました。

 それから、木戸にはもう一人養子がいました。奥さんの松子の妹である生咲信が生んだ忠太郎という人です。しかし、忠太郎は跡継ぎになれなかったため、別家を立てました。達磨のコレクターとして有名です。(実はこの人も父親が誰だかよくわからないようです)以前私は京都で、忠太郎が収拾した達磨を見学したことがあります。

 以上、木戸孝允にまつわる家族関係をざっと書いてみましたが、今回出された写真から彼の政治家としてよりもむしろプライベートな一面が見えて興味深かったです。奥さんに隠れて子供をこさえていたとか、養子に対しても教育熱心だったとかそんなところですね。維新にあたっては多大な貢献をした彼ですが、家族にはあまり恵まれなかったなあというのが正直なところですね。
 それから、奥さんの松子の写真もありましたが、彼女は芸者をしていた割にあまり美人ではなかったですね(笑)
 あとは、意外にも長州の高杉晋作や、土佐の坂本龍馬の写真はまったく残っていなかったそうです。ただし、晋作の遺児と松子が一緒に写った写真があったので、多少の交流はあったようです。

 加えて、今回の展示の目玉としては、「岩倉使節団」に随行した人たちの写真が多数残っており、この辺も忘れずに見ていただきたいですね。(展示替え有)有名な人からマイナーな人たちまで色々いて、明治維新期に関心のある人なら見ていて損はないでしょう。
 その他、だいぶ時代が下って内大臣を務めた木戸幸一の時代になりますと、皇室との関係も近くなり、昭和天皇の写真などもいくつかありました。木戸幸一も東京裁判をはじめイロイロあった人物なのですが、長くなるので割愛します。
 今回は写真一色だったのですが、いずれ文献資料のほうも何かの形で展示していただけるとありがたいですね。歴博には大久保利通の資料も所蔵されており、これで維新の三傑のうち二人の重要資料を収蔵していることになるので、近代史関連の研究をしている人にとっては便利になったことと思われます。

 やはり木戸孝允は幕末維新では人気があるようで、会場には若い世代の方も多数見受けられました。
 なお同展示は地震の影響で会期を延長し、5月29日(日)までとなっています。


 関連記事 木戸孝允夫妻の墓

 
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