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細川幽斎~古典へのあこがれ~

 東京・文京区にある永青文庫では、現在「没後400年 細川幽斎 ~古典へのあこがれ~」展を開催しています。
永青文庫

 永青文庫というのは、旧熊本藩主であった細川家に伝わる古文書や美術品などを管理・研究、展示している美術館です。(※永青文庫公式サイト)もと細川家のお屋敷だった土地にあり、周囲は田中角栄元首相の屋敷や講談社、椿山荘などがある閑静な住宅街の中にあります。
 細川家というのは、ひと昔前に連立政権で総理大臣を務めた細川護熙氏の生家ですね。

 細川家の祖である戦国武将・細川幽斎(1534~1610年)が亡くなってから昨年で400年目という節目の年でしたので、東京国立博物館「細川家の至宝展」(←過去記事参照)をはじめとして、京都や熊本において細川幽斎関連の催しが開催されたのですが、今回のものは一連の細川幽斎関連の最後をしめくくる展示となっております。
 昨年、東博の展覧会はブログにも書いたように足を運んだのですが、熊本県立美術館での展覧会はちょっと興味を引かれつつも、なかなか都合がつかなくて結局行かずじまいだったんですよね。

細川幽斎

 細川幽斎は将軍足利義晴の側近・三淵晴員の子として京都に生まれました。母は清原宣賢という学者の娘であり、幽斎の文化的素養はこの辺の生育環境によるもののようです。一説には、足利将軍の御落胤という説もあるようです。
 13歳のときに元服すると将軍足利義藤(後の義輝)から偏諱を受け、「細川藤孝」と名乗るようになります。
 長らく仕えてきた将軍義輝が暗殺されると、藤孝は弟の義昭を将軍に擁立しようと画策しますが、義昭と共に近江・若狭を流浪し、やがて越前の朝倉氏のもとに寄寓することになります。
 この時、義昭の支援を依頼したのが織田信長です。信長の助力で義昭は将軍に就任出来ましたが、やがて両者は対立するようになり、決定的な亀裂が生じます。
 この時、藤孝は一大決心して、義昭のもとを離れ、信長に臣従することを決めるのです。(その後、義昭は信長によって京を追われ、室町幕府は滅びました)

 こうした背景を頭に入れておいて、展示を見てみます。永青文庫では実に59通もの織田信長の書簡が伝えられています。
 上の写真を見ていただければわかるとおり、永青文庫の建物は小さくて、今回の展示もたかだか12畳くらいの狭い展示室での開催ですので、展示品は全部で30点くらいしかなかったのですが、その中でも信長関係の文書が多く展示されてあります。
 これらからわかることは、藤孝が主君である義昭と信長との取次ぎ役であったことを契機に、信長とも主従関係を結んでいるということなんですね。信長との遭遇が、藤孝にとって人生のターニングポイントであったということがいえると思います。
 
 それから、興味深いのが藤孝と明智光秀との関係です。藤孝の息子・忠興と、光秀の娘(珠 洗礼名ガラシャ)との婚姻は信長の命によるものでした。
 光秀も信長に臣従するまでは将軍足利義昭のもとにいたので、藤孝とは互いに同等の関係かと思っておりましたが、ともに信長に臣従後、軍事面では藤孝は光秀の指揮下にいたんですね。この両者の関係についてははじめて知ることでした。両者は単なる縁戚関係ではなく、このようなパワーバランスのもとにあったわけです。

 光秀が本能寺の変で信長を自害に追い込むと、縁戚関係であった藤孝・忠興親子に宛てて自分に味方するよう誘いの書簡を送りますが、二人はこれを拒否し、共に髻を切って信長への哀悼の意を表すのです。
 こうして、光秀は山崎の戦いで滅ぼされ、藤孝は家督を忠興に譲って、出家して「幽斎玄旨」と称するようになります。
 隠居後は、武将としてよりも一文化人として、重要な位置を占めるようになっていきますが、ただ文化的なことに勤しんでいるのではなく、豊臣秀吉の九州征伐の折には島津義久との交渉役を務めたりして活躍しています。

 それから、もう一点の見所は、関ヶ原前夜の田辺城の籠城戦についてです。
 幽斎は和歌や古典籍に関する教養が深かったため、三条西実枝という公家から見込まれて、「古今伝授」すなわち古今和歌集の秘説を伝授されたんですね。実枝は幽斎に、いずれ自分の息子の公国が成人したら「古今伝授」を伝えてほしいと依頼し、約2年にわたって講釈しました。
 その後、幽斎は実枝との約束通りその子息・公国に伝授しますが、公国は若くして亡くなってしまったため、以前から和歌を指導してきた八条宮智仁親王に伝授することにしました。
 しかし、世情は風雲急を告げるときでした。石田三成と徳川家康との衝突は避けられない情勢になり、幽斎の子・忠興は家康に従って東軍に付き、大坂玉造の屋敷で留守を守るガラシャは三成方の人質になることを拒んで自害。
 その知らせを聞いた幽斎は討死を覚悟で、わずか500の手勢で丹後田辺城に籠城し、城は石田方の1万5千の軍勢に囲まれますが、幽斎は多勢に無勢でありながらも抗戦します。

 幽斎から「古今伝授」の講義を受けている途中だった八条宮は幽斎に開城を勧めますが、幽斎はこれを拒否し、

「いにしへも今もかはらぬ世中に 心の種をのこすことの葉」

という一首を添えて、八条宮宛に「古今伝授」証明書を送りました。
 籠城は二ヶ月に及び、「古今伝授」の継承者が絶えることを憂慮した御陽成天皇が勅令を発し、関ヶ原合戦の二日前に和睦が成立し、幽斎は開城しました。
 今回の展示でも、八条宮に送った「古今伝授」証明書の写し(原本は宮内庁書陵部)や田辺城籠城の絵図があり、当時の緊迫した情勢を知ることができます。田辺城の絵図には、ペットボトル型のような石火矢(大砲のようなもの)の絵も描かれていました。籠城中の細川方は敵方から砲口を向けられていたことがわかります。

 今回の展示は武具や茶器などは一切なくて、ひたすら古文書関係のみ、それも限られた点数ではありますが、細川幽斎の人となりを知るにはなかなか良い内容だったと思います。
 「文武両道」という言葉がありますが、この展示を見るまで、細川幽斎という人はどちらかといえば「文」の人と思いこんでいましたが、戦国の世を生きた一武将としての激動の生涯を知ることが出来ました。
 もちろん、文化人としても第一級の人だったわけで、足利将軍家に仕えた経験から身につけた幽斎の有職故実に関する教養は、信長、秀吉、家康といった天下人たちも武家政権のバックボーンとして重要視していたため、幽斎は大いに重用されたのです。

 以前、永青文庫の史料を研究調査している熊本大学の研究者が、幽斎の記した古典注釈書の奥書を詳しく調べたところ、信長に臣従していた時代のものはほとんど無かったとか。ですから、「藤孝」時代は軍事面で忙しくて、正直文化的活動どころではなかったということがわかったのだそうです。

 私が見学した日は見学者が20人くらいいて、ご年配の方ばかりでした。なお、同展示は3月13日(日)までとなっています。
 永青文庫へは有楽町線の江戸川橋駅から徒歩か、またはJR目白駅で降りて都営バスで10分ほどで行かれます。

 
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ジャンル : 学問・文化・芸術

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細川家

>軍事面では藤孝は光秀の指揮下にいた

江~姫たちの戦国の中に
「三女を名門細川家に嫁がせましてございます」
という光秀のセリフがあるのですが、私はずっと細川家の方が光秀より上かと思ってました。

NoTitle

地震の被害は大丈夫ですか?
無事な事をお祈りしています。

Re: 細川家

> >軍事面では藤孝は光秀の指揮下にいた
>
> 江~姫たちの戦国の中に
> 「三女を名門細川家に嫁がせましてございます」
> という光秀のセリフがあるのですが、私はずっと細川家の方が光秀より上かと思ってました。

merry様
コメントどうも有難うございます。こうして見てまいりますと、新たな事実がわかることもありますね。

Re: NoTitle

> 地震の被害は大丈夫ですか?
> 無事な事をお祈りしています。

taiho様
お見舞いのお言葉、どうも有難うございます。
おかげさまで、家族、身内の者ともどもすべて無事でした。東北の被災者の方たちが心配です。
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2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
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