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安政大地震で圧死した藤田東湖(前)

 先日起きたニュージーランドの大地震には驚きました。そして、現地へ留学していた日本人の方たちが被災し、倒壊した語学学校の建物の下敷きになり、閉じ込めらている人たちが多数いて、日本からも災害救助隊が駆けつけましたが、救出作業が難航しているとのこと。いまだに救出されていない方たちの安否が心配でなりません。
 今回の地震で被災された日本人の方たち・・・ほとんどが留学生だそうですが、圧倒的に若い女性ばかりでした。彼女たちは向学心もあり、真面目な事から夢を持ってはるばる留学したのでしょう。折からの就職難ということで、語学スキルを身につけたという希望もあったものと思われます。行方不明の方たちが一刻も早く救出されることを願ってやみません。

 さて、このところ水戸黄門関係の史跡を辿ってきましたが、ここらで少し話題を変えて、幕末の話です。水戸藩は幕末に尊皇攘夷の旗頭であったため、歴史に名を残した人たちが多数輩出しています。
 そのうちの一人、藤田東湖(1806~1855年)を紹介します。幕末史に関心がないと、ちょっと?な名前や事項が出てくるかもしれませんがご了承ください。

 藤田東湖は文化3年、水戸学者・藤田幽谷の次男として水戸城下に生まれました。名は彪(たけき)、字を斌卿(ひんけい)、通称は虎之介といいました。
藤田家は元々百姓だったそうですが、東湖の祖父の代で水戸へ出てきて古着屋を営む町人となり、父・幽谷は学問に優れていたため、異例の抜擢で彰考館の館員、後には総裁にまでになった人です。
 後年使用する「東湖」という号は、彼の生家が千波湖の東にあるという事にちなんだものだということです。現在、生家跡には東湖産湯の井戸と東湖の銅像、および石碑が建っております。ここではよく知られた「東湖」の号で呼ぶこととします。
藤田東湖生誕の地
藤田東湖像

 父親は教育熱心な人だったようで、幼年の折から息子の東湖を厳しく教育したそうです。
 東湖が14歳のとき、父・幽谷と共に江戸へ出府し、神道無念流・岡田十松の道場・撃剣館に通うようになります。
 文武両道に励む東湖でしたが、文政7年、水戸藩領の大津浜(現・北茨木市)にイギリス船が来航し、乗組員たちが上陸するという事件が起こりました。この事態を憂慮し、異国人を非常に警戒していた父・幽谷は東湖に対し、船員達を暗殺するよう命じ、東湖は父からの命を受けて現地へ赴きましたが、時すでに遅く、船は退帆した後でした。東湖はその生涯で、三度死を決意したといいますが、その最初の出来事でした。
 その二年後の文政9年(1826年)、父の幽谷が急死したので、東湖が家督を継ぎました。二百石で進物番兼彰考館勤務を命じられます。

 その頃、水戸徳川家の藩主は八代・徳川斉脩という人でしたが、この人は病弱な人で、正室の将軍・徳川家斉の息女・峰姫との間には子がなく、峰姫に遠慮して側室も持てず、世継がいませんでした。
 文政12年(1829年)、斉脩が病で危篤状態となると、後嗣を巡って藩内に揉め事がおこりました。将軍家斉の子で峰姫の弟である清水恒之丞を推す一派と、死んだ斉脩の弟である敬三郎を推す一派とが対立を深めていました。この時、東湖は敬三郎を推す一派に与し、二度目の決死の覚悟で脱藩して、同志と共に急遽江戸へ出府しました。東湖、時に24歳。
 やがて、藩主斉脩は没し、枕元から遺言が見つかったということで、世継は弟の敬三郎に決まり、第九代藩主に就任しました。この敬三郎こそが、後の烈公・徳川斉昭です。

 この後、新藩主である斉昭に認められた東湖は順調に昇進を重ね、斉昭が目指す藩政改革に従事します。
 斉昭の改革の目玉の一つであった藩校開校にあたって、東湖は心血を注いで「弘道館記」を起草し、その甲斐あって、天保9年(1838年)に藩主斉昭の名で発表されました。こうして東湖は藩校「弘道館」の建設に尽力しました。
弘道館正庁

 長くなるので続きます。


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藤田東湖

藤田東湖の名前は知っていますが、どういう活躍をした人なのかは知りません。
水戸藩であった事も初めて知りました。
次の記事が楽しみです。

Re: 藤田東湖

> 藤田東湖の名前は知っていますが、どういう活躍をした人なのかは知りません。
> 水戸藩であった事も初めて知りました。
> 次の記事が楽しみです。

★merry様
こんばんは。コメント有難うございます。
水戸藩は御三家であること、尊皇攘夷派が多く、多くの歴史的著名人を輩出していますので、とても全ては追いきれません。気楽に読み流していただければ幸いです。
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