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頼重と光圀―高松と水戸を結ぶ兄弟の絆― 

 水戸といえば、何を連想するでしょうか。やはり多くの人がこの人物の名を挙げるのではないか、と思います。
 「水戸黄門」です。
 JR水戸駅前。水戸老公と助さん格さんご一行の銅像が出迎えてくれます。
水戸黄門ご一行

 私も親や祖父母がTBSドラマ「水戸黄門」のファンでしたので、幼い頃からドラマをよく見ていました。
 とくに、二代目黄門役の故・西村晃さんの黄門様が好きでした。初代の故・東野英治郎さんの黄門様も素朴で親しみやすくて良かったのですが、西村さんの黄門様には単なる「田舎じじい」ではなく、大藩の、それも徳川御三家の当主であった人の「気品と威厳」が感じられました。ストーリー自体は奇想天外なものですが、西村さんが演じられたことで、実際の黄門様もこんな感じだったのではないか?というリアリティを感じさせられたものです。
 西村さんが降板されてからの水戸黄門はあまり見なくなってしまって、西村さんが亡くなられた時は本当にがっかりしたものです。しかし、今でも再放送などで元気な時のお姿を拝見できるので、今もご健在でいらっしゃるような存在感があります。

 ところで、水戸市内を歩いていて、二箇所で黄門様こと徳川光圀公の銅像を見つけました。
水戸黄門2

 こちらは千波湖のほとりにあったと思います。
水戸黄門1

 私たちが映画やドラマで知っているおなじみの「水戸黄門」のストーリー・・・黄門様が助さん格さんのお供を従えて、諸国を漫遊する・・・は明治20年代くらいから講談などで語られるようになったのだそうです。
 実際、水戸黄門は諸国は漫遊しなかったのですが、弱気を助け、強気をくじく黄門様に、大衆の「世直し」への願いが投影されたものが物語りとなって広まっていったのでしょう。

 それでは、実際の黄門様はどんな人物だったのでしょうか。

 現在、水戸市にある茨城県立歴史館では特別展「頼重と光圀 ―高松と水戸を結ぶ兄弟の絆―」(←県立歴史館のサイトへ飛びます)が開催されています。
 茨城県立歴史館
光圀と頼重

 以前、徳川光圀に関する伝記を読んだことがあるのですが、光圀は「望まれない子」としてこの世に生を受けました。

 光圀の父、徳川頼房はある時、水戸家の奥向きに仕える老女の娘・谷久子を見初め、これに手をつけました。やがて久子は身篭りますが、頼房はその子を「水にせよ」つまり堕胎しろと命じました。
 頼房には正室はいなかったのですが、お勝ノ方という第一の側室がいて、嫉妬深い彼女に遠慮してそう命じたのです。
 これを哀れんだ重臣の三木之次夫妻が懐妊中の久子を引き取り、ひそかに子供を生ませました。これが光圀の兄である頼重(後の讃岐高松藩主)です。頼重は三木夫妻の手で京の寺へやられてしまいました。

 ところが、後になって頼房は再度久子を孕ませてしまい、またもや「水にせよ」と堕胎を命じます。今度も三木夫妻が久子の身を預かり、密かに出産させました。この子が光圀です。嫉妬深いお勝ノ方に知られぬよう、三木夫妻は光圀を世間から隠すように養育しました。(下の写真は光圀生誕の地 現在は小さなお社が建っています)
義公生誕ノ地

 ところが、数年後、水戸家ではある時跡継ぎを早急に決めなくてはならない事情が生じ、元来「望まれない子」として生まれてきた光圀に白羽の矢が立つのでした。
 しかし、光圀は同母兄である頼重を差し置いて年少の自分が世継になったことを深く悩みます。兄の頼重は世継を決める時に重い疱瘡に罹ってしまい、世継候補から外れてしまったのでした。
 思春期の少年のやり場のない思いはやがて放埓な行状となって表れます。父の頼房の期待を裏切るかのように、光圀は不良少年になっていくのです。
 この頃の光圀は派手な格好をして遊里に繰り出し、ある時は辻斬りまでしていたということです。
 放蕩な生活を送る光圀でしたが、ある事がきっかけとなって立ち直り、御三家の当主としての人生を歩きはじめます。

 この続きはぜひ、上記の特別展でご覧ください。タイトルが示す通り、光圀の生涯の他、兄の頼重との「兄弟の絆」について重点が置かれています。通常なかなかお目にかかれない貴重な史料もありますので、じっくり見てみてください。
 展示内容は歴史館のHPを見ていただくとして、今回の展示で私が注目したのは、光圀の祖父である徳川家康ですが、将軍継嗣のスペアとして、当初は尾張と紀伊の二家しか想定していなかったという話です。徳川義直(尾張)、頼宣(紀伊)の二人は正室もしかるべき大藩から娶っているのに、水戸家の頼房は正室を娶らなかったという事がそういう背景を如実に物語っています。私も不勉強ですので、この事は正直、初耳でした。
 水戸徳川家が尾張、紀伊の二家とは同等ではなく、一段格下の存在として扱われていたことの証左なのでしょう。(水戸家からは将軍を出せなかった)「御三家」となるまでの成立過程を知ることが出来ました。

 なお、会期は3月21日までとなっています。


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黄門さま

水戸には9年前に母校の吹奏楽部がコンクールの東関東大会にまで進んだ時に、OB会役員としてバスを仕立てて偕楽園のすぐ近くの県民文化センターにまで応援に行きました。
神奈川からは遠かった・・・という記憶しか!(笑)
せっかく水戸まで行きながらコンクール終了後、何処にも寄らずに帰ってきました。(あはは・・・

ところで「黄門さま」とは、中国の「黄門待郎」の略だそうで、日本では「中納言・権中納言」にあたる官位であることから「水戸の中納言」→「水戸の黄門」となったのだそうですね・・・

偕楽園の梅は、これからが見頃なんでしょうね・・・

Re: 黄門さま

がっきやのおじさん様

こんばんは。コメント有難うございます。
以前、せっかく水戸まで来られたのに観光できず残念でしたね。ただ、役員をやっていると何かと忙しく余裕がなかったのもやむをえないですね。

先日、そちらのブログで小田原の梅が紹介されていたので、私もたまたま水戸で見ることが出来て良かったです。(家の近所に梅ノ木は見つからないので)早く暖かくならないかなあと思いますね。

映画ですが、

月形龍之介の黄門さまもよかったですよ。
機会があれば是非一度ごらんください。

講談としては関西がモトで、講談ではみんな関西弁でしゃべっていた(笑)と海音寺先生が書いてます。

藤井紋太夫刺殺とか、ときどきハードになってしまう光圀サマなんですよね。

Re: 映画ですが、

> 月形龍之介の黄門さまもよかったですよ。
> 機会があれば是非一度ごらんください。
>
> 講談としては関西がモトで、講談ではみんな関西弁でしゃべっていた(笑)と海音寺先生が書いてます。
>
> 藤井紋太夫刺殺とか、ときどきハードになってしまう光圀サマなんですよね。

★トマ様
 こんばんは。コメント有難うございます。

 実はうちの主人と先日、水戸黄門について雑談していたのですが、やはり「月形龍之介」の黄門様を勧められてしまいました。貴方も同意見なので、レンタルで探して見てみたいと思います。

 水戸黄門漫遊記は関西発なんですね。海音寺さんは物知りですね。
 藤井紋太夫を何で手打ちにしたんでしょうか。柳沢吉保と通じていたとか色々いいますが。
 水戸黄門はすごく豪胆なところがあったように思いますデス。ハイ。

日帰りバスツアー

思いついたらすぐ実行する性質で、偕楽園への梅見のバスツアーを早速予約しました。
横浜から昼食付で5千円ほどです。このブログの下に出てくるCMで見つけたやつです。
3月5日の土曜日ですが、丁度見ごろでしょうかね?

A☆六文銭さんの水戸に対する強い思い入れをヒシヒシと感じますよ。

Re: 日帰りバスツアー

> 思いついたらすぐ実行する性質で、偕楽園への梅見のバスツアーを早速予約しました。
> 横浜から昼食付で5千円ほどです。このブログの下に出てくるCMで見つけたやつです。
> 3月5日の土曜日ですが、丁度見ごろでしょうかね?
>
> A☆六文銭さんの水戸に対する強い思い入れをヒシヒシと感じますよ。

★柴様
こんばんは。コメント有難うございます。バスツアー楽しみですね。食事付で5000円はとてもお特だと思います。三月上旬なら梅林も見ごろでしょう。どうぞ楽しんできてくださいませ。

実は水戸へはあまり思い入れはないのです(笑)ブログの読者様からのリクエスト等もいただきましたので、参考になればと思い掲載しております。もっと他所の地域も書きたいのですが、遅筆なもので追いつきません。

黄門様

夫が黄門さんを好きなので、よくテレビを見ています。
でも、水戸光圀の実像については、全く知らなかったので、興味深く読ませていただきました。
意外な生い立ちだったのですね。

これから黄門さんを見る目が変わりそうです。

Re: 黄門様

> 夫が黄門さんを好きなので、よくテレビを見ています。
> でも、水戸光圀の実像については、全く知らなかったので、興味深く読ませていただきました。
> 意外な生い立ちだったのですね。
>
> これから黄門さんを見る目が変わりそうです。

merry様
こんにちは。コメント有難うございます。
ご主人様も「水戸黄門」がお好きなんですね。きっと、お夕食終わった後にご覧になっていらっしゃるのではないかと思います。
私も数年前に光圀について伝記を読むまでは詳細をあまり知りませんでした。殿様でありながら、波乱に飛んだ人生だったみたいですね。
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日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
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東京生まれ東京育ち。
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