スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

立花宗茂の墓

 今回の福岡県柳川行きは、御花史料館にて開催された「立花宗茂展」を見るのが主な目的でしたが、やはりここまで来たらお墓参りも忘れてはいけません。
 立花家の菩提寺は、福厳寺という臨済宗黄檗派のお寺です。
 福厳寺本堂

 境内には立花家代々の御霊屋がありました。
 PB210332.jpg
 

 立花宗茂(1567?~1643年)のお墓です。しかし、宗茂は江戸で死んだので、実際亡骸が葬られたのは下谷にあった「広徳寺」というお寺です。「広徳寺」は後に練馬の方へ引っ越してしまい、どうやら一般の拝観は不可らしいのです。
 ですから、柳川のお墓には分骨や遺髪などが葬られているのではないかと思われます。
 立花宗茂の墓

 宗茂の義父・戸次鑑連(立花道雪)の墓  道雪は天正13(1585)年に73歳をもって陣中で病没してしまい、立花山の麓に埋葬されました。ですから、本当の墓は福岡県新宮町にある梅岳寺という寺にあります。柳川の方は供養塔?と思われます。
 立花道雪の墓


 「立花宗茂展」のところでも書きましたように、跡継ぎである息子に恵まれなかった立花道雪は一人娘の千代(1569~1602年)に男児と同じように家督を相続させ、千代は若干七歳にして立花山城の女城主となりました。
  立花千代

 そして、道雪は千代の婿として高橋紹運の嫡男・統虎を養子に迎えました。後の立花宗茂です。「お宅の息子さんをうちの婿養子に」と道雪から懇願された高橋紹運の方は当初難色を示したといいますが、道雪に押し切られた形で息子を手放しました。

 こうして、宗茂と千代は夫婦になったわけですけれども、どうも千代の方は父から跡継ぎとしての教育も受けており、男勝りの性格もあって、夫に唯々諾々と従うような妻ではなかったらしい。婿養子の宗茂は宗茂で、養子という負い目もなく、一家の主として堂々と振舞う。
 これでは家の中に主人が二人いるような風になってしまい、加えて二人の間に子供も出来ず、夫婦仲はしっくりいかなかったんだそうです。
 豊臣秀吉の九州仕置によって、宗茂は柳川城を与えられたのですが、奥さんの千代は慣れ親しんだ立花山を離れたくないと駄々をこね、渋々柳川へ引っ越したものの、城には入らず、外堀の外、宮永という場所に屋敷を建てて別居してしまいます。
 夫の宗茂の方は重臣達の勧めもあって、美女の誉れ高い家臣の矢嶋秀行の娘を側室として迎えてしまい、宗茂と千代の夫婦関係の破綻は決定的となってしまいました。
 宗茂が関ヶ原後、改易されると、千代はここでも夫に従うことなく、肥後国玉名郡腹赤村の百姓屋へ移り、2年後に失意のうちに34歳の若さで死んでしまいました。

 宗茂と千代は心の通いあわない夫婦でしたが、宗茂の方は義父の道雪から託された千代を片田舎の百姓屋で死なせてしまったことにやはりある種の後ろめたさがあったものか、後に柳川藩主として帰還してから、千代の菩提を弔うために「良清寺」というお寺を建てました。
 (今回、時間がなくてこちらへは行けませんでした)

 現代でもそうですが、婿養子を取るというのはなかなか難しいものがありますね。余談ですが、生涯を通して宗茂は三人の妻を娶りましたが、結局実子が出来ませんでした。宗茂は戦につぐ戦で多忙だったこともありますが、子胤が無かったんでしょうか?


 関連記事 立花宗茂


  
より大きな地図で 福厳寺 を表示
 

★ブラウザを閉じる前に、ぜひこちらに応援クリックお願いいたします★
   にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ 人気ブログランキングへ  
関連記事

テーマ : 国内、史跡・名勝巡り
ジャンル : 旅行

tag : 有名人の墓(た行)

コメントの投稿

非公開コメント

千代

今まであまり立花宗茂の事は知らなかったのですが、このブログを読むだけで、かなり勉強になりますね。
そして、面白いです。
当時はみな政略結婚の時代ですが、やはり相性が合わずに、このような結果になる夫婦も多かったんでしょうね。
仮面の夫婦を装わずに、はっきりと別居した千代に拍手します(笑)

Re: 千代

> 今まであまり立花宗茂の事は知らなかったのですが、このブログを読むだけで、かなり勉強になりますね。
> そして、面白いです。
> 当時はみな政略結婚の時代ですが、やはり相性が合わずに、このような結果になる夫婦も多かったんでしょうね。
> 仮面の夫婦を装わずに、はっきりと別居した千代に拍手します(笑)


★merry様
コメント有難うございます。
大河ドラマのヒロイン「江」でもそうでしたが、あの時代の政略結婚は色々と大変だったのではないか、と思われます。もちろん、現代でも政治家とか一部でそのような結婚はあるようですが・・・。考えさせられます。

たまたま相性が合えば、お市と浅井長政、お江と徳川秀忠のような相思相愛?になるのかもしれませんが・・・うまくいかない夫婦も中にはいたんでしょうね。大抵は、お互い諦めてそれなりの折り合いつけていたように思いますが、どうなんでしょうか?

柳川の宗茂公の墓について。

母方の先祖が立花宗茂公です。
2年前に他界した亡き母(大立院殿花薫光塩大姉)の希望だった分骨納骨に福厳寺に行きました。熊本の五高から東京帝大を出た弁護士だった立花一族のホープだった私の祖父の立花定の事を良く覚えている住職に聞いた処、柳川の宗茂公の墓は最初埋葬された江戸の寺の墓を全部移した物だそうです。
供養が終わると住職は私に「貴方、定さんに似てるね。貴方を見ていると定さんを思い出すよ。定さんも貴方みたいに活力に溢れていた。貴方、酒強いだろ?」と言って下さいました。文武共に祖父には遠く及ばず、酒も九州で強いと言う程強くない私ですが、祖父や先祖からの励ましを感じました。
あの時の福厳寺の築数百年の御堂を思い出す時、勇気が湧いて参ります。

Re: 柳川の宗茂公の墓について。

 本多正昭様

 はじめまして。コメントどうも有難うございます。


> 母方の先祖が立花宗茂公です。
> 2年前に他界した亡き母(大立院殿花薫光塩大姉)の希望だった分骨納骨に福厳寺に行きました。熊本の五高から東京帝大を出た弁護士だった立花一族のホープだった私の祖父の立花定の事を良く覚えている住職に聞いた処、柳川の宗茂公の墓は最初埋葬された江戸の寺の墓を全部移した物だそうです。
> 供養が終わると住職は私に「貴方、定さんに似てるね。貴方を見ていると定さんを思い出すよ。定さんも貴方みたいに活力に溢れていた。貴方、酒強いだろ?」と言って下さいました。文武共に祖父には遠く及ばず、酒も九州で強いと言う程強くない私ですが、祖父や先祖からの励ましを感じました。
> あの時の福厳寺の築数百年の御堂を思い出す時、勇気が湧いて参ります。



 すでにご承知とは存じますが、江戸時代入谷に「広徳寺」(現在は東京練馬区に移転)という寺があり、当初宗茂公はそちらに葬られたのですが、やはり本国の方に改葬されていたのですね。この件はご子孫でないとご存じない事と存じます。

 宗茂公は名だたる武将の中でも、とりわけ武勇に優れ、波乱に富んだ人生ではありましたが立派に立花の家を守りぬかれました。ご家族の中でもお家の歴史が語り継がれていることは大変喜ばしいことと思います。
 (先日、仔細がありまして柳川を再訪させていただきました)

 貴重なご教示、どうも有難うございました。
ブログランキング
「もののふの心」および歴史的遺産を後世に伝えましょう♪
うさぎ
  ↓ ↓ ↓ ↓
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
カテゴリ
ご注意 ごくたまに、「城」「史跡」「お墓」等の話題が、ドラマ関連やその他のカテゴリとして登録されている場合があります。
月別アーカイブ
最新コメント
FC2カウンター
おきてがみ
お気軽にどうぞ(お返事が遅くなる場合があります)
プロフィール

A☆六文銭

Author:A☆六文銭
ブログテーマ
日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

★当ブログ内の文章、写真等はすべて無断転載禁止です。宜しくお願いします。
★当方と連絡を取りたい方は、下部メールフォームからお願いします。(ご感想はなるべくコメント欄のほうにお願いします)
※Twitter、Facebookはやってません。

最新記事
おすすめ書籍
リンク
RSSリンクの表示
検索フォーム
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。