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長州藩福山城攻撃の史跡めぐり

      福山城

 この秋は各地で色々な歴史系イベントが行われたため、私も時間の許す限り足を運んでみたのですが、とてもとてもすぐには全て書ききれません。どうしましょう…。このままだと年内に終わらないかも。

 ところで、11月の中旬、広島県福山市にある広島県立歴史博物館と福山城博物館共同開催による現地見学会「長州藩福山城攻撃の史跡めぐり」というイベントに参加しました。
 この時、両博物館ともちょうど幕末史に関する展示を開催中だったので、それに合わせてのイベントだったようです。
 
 まず、午前中県立博物館の方に集合し、企画展「幕末の動乱と瀬戸内海」を見学しました。展示を企画された西村直城・主任学芸員によるフロアレクチャーをお聞きしました。
     PB140010.jpg

 展示では広島藩(浅野家)や福山藩(阿部家)の幕末の動向を中心に、史料が展示されていました。
 特に目を引いたのは、やはり大河ドラマ「龍馬伝」との関連で、龍馬が人生最後の帰郷の折、長崎より土佐へ向けて乗船したという広島藩船「震天丸」や、備中六島沖で紀州藩の藩船と衝突し沈没した「いろは丸」の絵でした。
 特に「いろは丸」の絵は最近発見されたそうで、佐賀藩・鍋島家の史料の中にあったということです。
 その他、今年の春先頃やはり同博物館で発見された、桜田門外の変に遭遇した井伊家奉公人の証言が記載された史料など興味深かったです。

 その後、博物館の外へ出て、西村学芸員の案内の元、お城の北側を散策しました。
     PB140013.jpg

 慶応4年(1868年)1月、鳥羽・伏見の戦いの直前、東進してきた長州藩はまず譜代の阿部家の居城で幕府の西国の拠点でもある福山城を攻めました。
 現在は備後護国神社の敷地にある赤門付近で銃撃戦が行われたということです。
     PB140033.jpg

 しかし、福山藩儒官で執政職でもあった関藤藤陰という人が藩論を統一し、朝廷への恭順を示すことで長州藩との和平交渉を行ったため、城及び城下は戦火に遭わずに済んだということです。
 小丸山周辺というお城の近所の短い散策でしたが、地元の人間ではないので初めて知ることも多かったです。
 今回説明された西村直城氏の説明はよく整理されていて、大変わかりやすかったです。
     PB140041.jpg

 その後、天守閣へ行って、特別展「幕末の福山藩」を見学しました。井上節子学芸員によるフロアレクチャーをお聞きしました。
 今回阿部家のご子孫から提供された良質な史料が出展され、来航したアメリカのペリー提督から阿部正弘に贈られたメキシコ戦争の模様を描いた絵(世界にただ一つだそうです)など貴重な史料が目を引きました。これはペリーが日本側に、「うちらに下手に逆らうと、あんたらもメキシコと同じ運命になるよ」ということを暗示した脅しの絵なんだそうです(汗)
 それから、水戸藩主・徳川斉昭が福山藩の藩校である誠之館のために書いた扁額。これは老中・阿部正弘が徳川斉昭におべっかを使って、わざわざ揮毫してもらったんだそうです。阿部正弘なりに、意見の異なる尊皇攘夷の厄介者(徳川斉昭)を懐柔することに気を遣っていたことがわかります。

 それから、こちらの展示にも龍馬関係が一部あって、沈没したいろは丸から引き上げられた靴底…ひょっとしたら龍馬が履いていたかもしれないブーツ?の一部かもしれない、と学芸員さんが言ってました。
     福山城天守閣

 福山城も100名城の一つですが、この前来たときはスタンプを押印し、天守閣や櫓などの写真を撮っただけであまり周囲を歩くこともなく帰ってしまったので、この日は城の裏手の方を見ることが出来て大変有意義なひと時でした。また、前回はあいにくの曇天だったのですが、今回は途中から晴れてくれたので青空をバックに天守の写真が撮れました。(^^)♪
 両館の展示とも、ローカルな視点からの幕末維新史ではありましたが、幕末という緊迫した歴史の経過がよくわかる展示内容だったと思います。

 ※なお、両館とも展示はすでに終了しています。

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テーマ : 紅葉
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2ちゃんとか読むと阿部正弘という方は調和型の人物だったよーですよね。

悪くいえば事なかれ主義…なわけで、長命して幕末の難局にあたった場合どの程度徳川家の運命がかわったのかと考えると…あんまり変わらなかったかもしれませんね。

トマ様

> 2ちゃんとか読むと阿部正弘という方は調和型の人物だったよーですよね。
> 悪くいえば事なかれ主義…なわけで、長命して幕末の難局にあたった場合どの程度徳川家の運命がかわったのかと考えると…あんまり変わらなかったかもしれませんね。

★トマ様
 コメント有難うございます。そうですねえ。阿部正弘ですが、あまり深刻な対立を嫌う人だったようですね。
 あまりにもあっけなく早世してしまうので、その後幕政は混乱いたしましたが…。
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