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坂本龍馬 人生最後の旅路(三) 三岡八郎、龍馬の“志”を引き継ぐ

 つづき

 下の写真は、中央公園内にある三岡八郎、後の由利公正の若き日の姿です。
三岡八郎1
DSCF4899.jpg

 慶応3年(1867年)11月1日、大政奉還を見届けた坂本龍馬は土佐藩士・岡本健三郎を伴い、再び福井を訪れました。表向きの用件は、後藤象二郎から預かった山内容堂の手紙を松平春嶽に届け、春嶽に上京要請することにありました。龍馬にはもう一つ、大事な用向きがありました。それは、以前知り合った三岡八郎に面会し、新政府建設の件で相談を持ちかけることでした。

 しかし、この時三岡八郎は藩内の抗争に巻き込まれ失脚、謹慎中の身でした。そこで藩に許可を取り、龍馬が投宿していた「たばこや(莨屋)」という旅館で面会することになりました。ただし、三岡には藩から二人の目付(監視人)が同行するというのが条件でした。
 三岡の回想によれば、朝8時頃、「たばこや」を訪れたということです。「たばこや」は明治になってから火事で焼失しているため、現在は跡地に石碑が残るのみです。

たばこや跡

「烟草屋(たばこや)へ入って龍馬と呼んだら、ヤー話すことが山程あるという。その顔を見るとすぐに天下のこと(大政奉還)は成就と思われた。自分は罪人であるから立会いの役人を連れて来たと断れば、おれも同様の付人がおる。健三来いよと呼ぶ。
 これは土佐の目付の下役で岡本健三郎という人だ、共に聞けよとの事で、土佐越前の役人を左右に置き、坂本と私と両人は炬燵に入って、徳川政権返上の次第、朝廷の事情等、具さに聞いた」

 当時11月の福井の寒さは格別なものがあったようで、二人は炬燵で寒さをしのぎながら歓談します。大政奉還に至る現状を三岡に説明した龍馬でしたが、新政府建設にあたり、財力も無いし、兵力もないと嘆きます。そこで三岡は、天下の安寧のためにはまず国の財政を整備することだと答えます。その方策として、かつて福井藩で試行した金札発行による富国策を提案しました。
 龍馬は三岡の意見に感服し、三岡に対して新政府では財政担当をお願いしたいと言いました。こうして、夜12時過ぎまで龍馬と三岡はとことん語りあかしたといいます。
 
 別れ際、龍馬は「明日出立する」と言って、三岡に自分の肖像写真をくれました。互いに何時の日かの再会を約束して、別れたに違いありません。

 それから数日後、三岡は家老の屋敷へ赴き、会見の顛末を報告しました。龍馬からもらった写真を懐に忍ばせて…。その帰路、川を舟で渡っているときに、あろうことか三岡は懐に入れていた龍馬の写真を川へ落としてしまうのです。ただちに探してみましたが、見つかりません。
 大事な失くし物をしてしまった三岡は虫の知らせというか悪い予感がしたものか、「大いに気掛かりで」京都からの便りを待っていたといいますが、やがて龍馬が暗殺されたことを知りました。そして、ひそかに三人の仲間と共に龍馬の供養を行ったと述懐しています。

 翌慶応4年正月、三岡は「五箇条の御誓文」を起草し、岩倉具視へ提出します。新国家の方針を掲げたこの誓文は、龍馬の船中八策が活かされたものでした。三岡が書いた草稿は、土佐藩の福岡孝悌、長州藩の木戸孝允の修正を得て、正式に布告されることになりました。
 (この前見学した、皇居・三の丸尚蔵館での展示会に「五箇条の御誓文」の控が出展されていました。原本は天皇陛下の御物なので、さすがに出ていませんでしたが…)

 明治維新後、由利公正と名を改めた三岡は、龍馬が願ったように新政府に参加し、数々の要職を歴任しました。
 明治10年(1887年)には子爵にも列せられました。
 そして、明治42年(1909年)、81歳で他界、天寿を全うしました。

 33歳の若さで逝った龍馬と、81歳まで長生きした三岡。龍馬と三岡が会ったのはたった二度でしたが、三岡は志半ばで凶刃に斃れた龍馬の志を継ぎました。
 三岡…後の由利公正ですが、晩年になって龍馬との思い出を回想という形で残しています。これは、明治5年に銀座築地の大火で、京橋木挽町にあった由利の邸宅が類焼し、維新前夜の記録がすべて焼失してしまったからです。
 もしこの時由利の邸宅が火事に遭わなければ、もしかしたら龍馬からの手紙などが伝えられたかもわかりません。
 
 松平春嶽や由利公正の他に福井藩の人物で龍馬と交流したのは村田氏寿という人がいます。それから、海援隊には越前出身者が6名ほどいたといわれます。
 最後に、龍馬が慶応3年の11月5日に福井から帰ってから風邪をひいてしまい、逗留先の近江屋で主人が龍馬の隠れ家として用意した土蔵では寒くてかなわないと言って、母屋へ出てきていたのが龍馬にとっては不運なことでした。
 歴史に「If」はありえませんが、この時もしも福井へ行っていなかったら…と考えるのは私だけではないかもしれませんね。
 

より大きな地図で 莨屋旅館跡 を表示 


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