スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

朝倉義景の墓 一乗谷城(五)

 朝倉氏館跡の唐門をくぐり、右手奥の方に木々がこんもりと茂っている場所に、一乗谷最後の主となった朝倉義景(1533~1573年)の墓はあります。

    朝倉義景の墓2

 義景は第十代当主・孝景の子として生まれました。父が40歳の時にやっと生まれた嫡男でした。
 義景が数えで16歳の時、父・孝景の死により家督を継ぐことになります。

 永禄10年(1567年)に京から逃れてきた足利義秋(後の義昭)を迎え、歓待しますが、義昭が切望していた上洛に義景はまったく賛同しませんでした。(その結果、義昭は朝倉氏を頼りとするのをあきらめ、織田信長のもとへ去っていきます)
 その後、先に上洛を果たした織田信長からの上洛命令にも義景は従わず、かねてから越前に目をつけていた信長に、攻略の口実を与えてしまいました。
 義景が信長についてどう思っていたのかわかりませんが、義景にしてみれば、名家出身のプライドというものがあったでしょう。対する信長の家は元々守護代の家臣に過ぎないので、家格からしても格下の信長に唯々諾々と追従する気にはなれなかったに違いありません。
 信長との戦い(元亀争乱)の最中も、対陣が長引いた割には思うような戦果をあげることができませんでした。
 このようなグダグダな状況下で、義景に失望した家臣の中には、信長側のたくみな諜略も手伝って、信長方へ寝返るものも現れる始末でした。
 元亀三年(1572年)の十月、甲斐の武田信玄が徳川家康を討つべく挙兵し、義景の元にも協力を仰ぐ書状を送っています。うまくすれば、信長を挟撃しうる絶好のチャンス!
 しかし、同年十二月、なぜか義景は兵を越前に退かせてしまうのです。このような好機をみすみす捨てて撤退した義景の態度を激しく非難した信玄の文書が伝えられています。
 
 とうとう、天正元年(1573年)八月、信長軍によって次々と砦を落とされ、ついに同盟者の浅井長政とも連携をとることが不可能となり、「田部山の戦い」で大敗を喫した義景は敗走を余儀なくされます。
 重臣の一人であった従兄弟の朝倉景鏡の勧めによって、居城である一乗谷を捨て、大野に逃れましたが、そこで信長と通じていた景鏡に裏切られ、難を逃れて立て篭もっていた賢松寺を兵で囲まれます。もはやこれまでと観念した義景は、同年八月二十日、あえなくここに自刃しました。
 享年41歳。
 義景の母親・広徳院や側室の小少将、一子の愛王丸らは捕らえられ、皆殺しにされました。ここに十一代続いた越前朝倉氏は滅亡しました。
 信長軍によって一乗谷の城と城下は焼討ちにされ、三日三晩燃え続けたといいます。
 義景の首級は京で晒された後、浅井久政、長政親子と共に髑髏に「箔濃」を施され、信長の酒宴の肴として供されたのは有名な話です。

 こうして、ざっと義景の人生を見てみると、どうも名家のお坊ちゃまという印象が強いです。平時であれば、現状維持で万々歳だったのですが…。同時代に織田信長がおり、彼の標的とされたという不運もありますが、義景の優柔不断で、武将でありながらともすれば風雅に傾きがちであった気質、家中のとりまとめ役であった長老の朝倉宗滴の死後、不協和音の渦巻く家臣団をうまくまとめきれなかった事などが負の要因としてあったと思われます。

 
 【義景の辞世】 
 七顚八倒 四十年中 無他無自 四大本空 


    朝倉義景の墓1

 なお、このお墓は地元の村民たちが義景の供養のために建てた小祠だったものを、江戸時代に福井藩主・松平光通が現在の墓石を建立したということです。
 (-人-)合掌


  ★100名城完全制覇を目指して!皆様からの応援がとても励みになります!★
 にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ 人気ブログランキングへ  
関連記事

テーマ : 国内、史跡・名勝巡り
ジャンル : 旅行

tag : 有名人の墓(あ行)

コメントの投稿

非公開コメント

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

明日福井に行ってきます。
メインはこの「一乗谷朝倉氏遺跡」です。
六文銭さんの記事をいろいろ読ませていただいて、勉強しましたv-150
福井市の方にも足を伸ばして、時間の許す限り見学したいと思っています。

merry様

> 明日福井に行ってきます。
> メインはこの「一乗谷朝倉氏遺跡」です。
> 六文銭さんの記事をいろいろ読ませていただいて、勉強しましたv-150
> 福井市の方にも足を伸ばして、時間の許す限り見学したいと思っています。

こんにちは。ご返事が遅くなり、申し訳ありません。拙文に目を通していただいて、どうも有難うございます。
今ごろは福井から帰宅されていらっしゃるかもしれませんね。今ごろは紅葉も美しいでしょうし、景色も十分楽しめるのではないでしょうか。
旅行記の方も楽しみにしていますね。(^o^)/
ブログランキング
「もののふの心」および歴史的遺産を後世に伝えましょう♪
うさぎ
  ↓ ↓ ↓ ↓
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
カテゴリ
ご注意 ごくたまに、「城」「史跡」「お墓」等の話題が、ドラマ関連やその他のカテゴリとして登録されている場合があります。
月別アーカイブ
最新コメント
FC2カウンター
おきてがみ
お気軽にどうぞ(お返事が遅くなる場合があります)
プロフィール

A☆六文銭

Author:A☆六文銭
ブログテーマ
日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

★当ブログ内の文章、写真等はすべて無断転載禁止です。宜しくお願いします。
★当方と連絡を取りたい方は、下部メールフォームからお願いします。(ご感想はなるべくコメント欄のほうにお願いします)
※Twitter、Facebookはやってません。

最新記事
おすすめ書籍
リンク
RSSリンクの表示
検索フォーム
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。