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真田幸村の娘(後) 附・田村清顕の墓

 真田幸村の娘(前) (←カーソルを当て、クリックすると記事へ飛びます)もお読みください。

 愛宕山にある伊達政宗の乳母、片倉喜多の墓の裏手のほうへ行きますと、田村家の墓地にたどり着きます。
 ちなみに、お喜多の墓の左脇の小道を直進すれば、そのまま田村家の墓地へ行けたのに、私はそうとは知らず、一度お喜多の墓より階段を下り、国道を迂回してしまったため、10分程度損してしまいました。(もし現地へ行く場合はご注意ください)

 田村家というのは三春城主で、伊達政宗の夫人・愛姫(めごひめ)の実家です。坂上田村麻呂の後裔を自称する古くからの名家であったようです。

田村清顕の墓

 中央にある大きなお墓が、愛姫の父・田村清顕の墓です。
 
 田村清顕には一女・愛姫の他に跡継ぎの男子がいませんでした。
 清顕の死後、田村家には後継をめぐって御家騒動がおきます。

 ここで、故・清顕の婿である伊達政宗が調停に乗り出し、跡継ぎを清顕の甥であり伊達家の血も引く宗顕に定めました。(田村仕置)

 御家騒動が静まったのもつかの間、今度は当主・宗顕が小田原北条攻めに参陣しなかった事を理由に、豊臣秀吉によって田村家は改易されてしまいます。(奥州仕置)
 このとき、田村宗顕をあえて参陣させなかったのは、他でもない政宗でした。
 そして、結果的に田村領は伊達政宗に与えられてしまい、事実上の領地乗っ取りとなり、改易された宗顕をはじめ田村家中は
「政宗にダマされた!」
と大いに憤慨したということです。

 この件で実家の取り潰しに心を痛めた政宗夫人・愛姫は、隠居した宗顕らを片倉家の領地・白石に移住するようはからいました。

 そして、隠居した宗顕の息子・定広に政宗の乳母・お喜多の名跡をつがせ、「片倉金兵衛」と名乗らせました。定広は後に伊達家に出仕することになりました。

 この定広の妻となったのが、片倉家で保護されていた、真田幸村のもう一人の娘・阿菖蒲でした。

真田幸村・阿菖蒲の墓


 阿菖蒲は後に、この田村家墓地内に父・幸村の供養塔を建てました。
 ご覧のように、父娘は仲良く隣り合わせで眠っています。
 この人の子孫は、今も続いているようです。

 こうして、片倉家の尽力により、名将・真田幸村の血脈は奥州に伝えられることになりました。
 戦国版「ちょっといい話」でした。


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日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
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東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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