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朽木陣屋跡

 史跡、旧跡巡りに没頭していたところ、時刻はとうに13時を回っていた。どこか食事処がないものか探していたのだが、適当な所がなかなか見つからぬまま、連れが空腹を我慢できなくなったので、急遽161号線沿いにあるうどん屋「讃岐ノ助」という店を見つけ、肉うどんを食べた。地元の人らしき客がけっこう入っていた。
 急いでうどんを掻きこむと、再び車を走らせた。

 さて、事務局から旅行前に資料がどっさり届いたということを述べたが、その中でも滋賀県高島市の観光課はとても熱心で、市内の観光スポットを紹介するパンフレット等が豊富に差し入れてあった。こうなると、ちょっと立ち寄ってみたくなるのが人情というものだ。

 事前に興味をもったのが、朽木陣屋跡(高島市朽木野尻478)である。朽木は若狭を発し近江を通り抜け、京の大原へと至る若狭街道…若狭でとれた鯖を京へ運ばれたことから近年「鯖街道」とも呼ばれる…沿いにある谷あいの集落である。

DSCF5668.jpg

 朽木氏は佐々木源氏の後裔で、この朽木谷の辺りに根を張っていた小豪族であった。
 私が朽木という名を意識したのは、かの織田信長が、越前の朝倉氏を攻めるため朝倉氏の居城・越前一乗谷へ向けて進軍している最中、妹・お市の夫である小谷の浅井長政が突如反旗を翻した、いわゆる「袋のネズミ」状態の挟み撃ちに遭った際、信長は朽木元綱の導きで(「朽木越え」)命からがら京へ脱出した話くらいだ(その時、殿を務めた羽柴秀吉が「金ヶ崎の退口」といわれる見事な撤退戦を見せたのはあまりにも有名である)。この後、元綱は信長に臣従している。
 信長に助力した朽木元綱という人物だが、彼は機を見るに敏だったようで、関が原の戦いの時には当初西軍に与していながら、途中で東軍に寝返ったりしている。一度は徳川家康より減封されるが、後に本領安堵され、交代寄合(旗本)として先祖代々の朽木の地に陣屋を構えて、明治維新まで存続した。争乱の時代を小領主でありながらたくましく生きぬいてきた、といえるだろう。

 陣屋跡には小規模ながら「朽木資料館」があり、まず先にそちらへ行ってみた。中へ入ると、温和そうな男性職員の方が出てきて、いろいろ説明してくださった。
 
 昔あった陣屋の模型 建物は明治維新後に取り壊され、今では何も残っていない。
DSCF5653.jpg

 陣屋跡からの発掘物 
 DSCF5660.jpg

 陣屋の敷地内に他所から移築された古民家がある。(陣屋の建物ではない)職員の方の話だと「つい先日、『水戸黄門』のロケがここでされて、黄門様ご一行がお見えになったんですよ」とのこと。
 一時期、近隣の小学生などの一泊研修がこの民家で行われたそうで、内部には意外にもシャワー室まであるという。
DSCF5671.jpg

 民家の左手にある復元された井戸。
DSCF5651.jpg

 井戸の裏手には陣屋時代の石垣の名残が。職員の方によると、当時の遺構はこれぐらいとのこと。
 DSCF5675.jpg

 職員の方は、「朽木の歴史を知るには、前にこんな本が出版されていますよ」といい、カラー印刷された「朽木村史」を見せてくださったりした。親切に応対していただき、どうも有難うございました。
 今回は時間の関係でパスしたが、近くの鯖街道沿いにある宿場町には古い町並みが残っていて、レトロな建物などもあるそうで、ちょっとした散策も楽しめそうだ。また鯖寿司などをいただけるお店もあるという。こちらもまた改めてもう一度来てみたいと思った。

  
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「朽木元綱」という武将は、たった2歳で家督を継いだのだとか?
きっと機を見るに敏な武将だったのでしょうね・・・
光秀との繋がりも強かったでしょうに・・・本能寺の後は秀吉側についていますし、そのギリギリの選択は常に間違ってはいなかった訳ですね!(笑)

ところで、関ヶ原の時に東軍に寝返った5武将の内、小早川秀秋は別格としても、脇坂安治(本領安堵)と朽木元綱(減封さるも安堵)は許されましたが、小川祐忠と赤座直保は改易となってしまいました。この違いは何だったんでしょうね?(謎

平塚のPF様

> 「朽木元綱」という武将は、たった2歳で家督を継いだのだとか?
> きっと機を見るに敏な武将だったのでしょうね・・・
> 光秀との繋がりも強かったでしょうに・・・本能寺の後は秀吉側についていますし、そのギリギリの選択は常に間違ってはいなかった訳ですね!(笑)

 朽木元綱さんは小豪族にもかかわらず、要領の良い人だったようですね。


> ところで、関ヶ原の時に東軍に寝返った5武将の内、小早川秀秋は別格としても、脇坂安治(本領安堵)と朽木元綱(減封さるも安堵)は許されましたが、小川祐忠と赤座直保は改易となってしまいました。この違いは何だったんでしょうね?(謎

 良いところを突いていただきました。
 所領を安堵された人と、改易された人と何が差を分けたのか判然としないですね。家康も脇坂と朽木は今後も何かで使えそうと踏んだのかもしれないですね(笑)
 まったく、権力者の心は「女ごころと秋の空」ですね。
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日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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