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龍馬暗殺 (後)

 つづき

 慶応3年(1867年)11月15日、悲劇はおこりました。
 土佐藩出入りの醤油商・近江屋の二階にいた坂本龍馬と中岡慎太郎は、十津川郷士と名乗り、龍馬に面会を求めてきた謎の訪問者たちによって襲撃を受け、龍馬は三十箇所を超える深手を負いほぼ即死状態、中岡も瀕死の重傷を負い、二日後に息を引き取りました。
 龍馬を暗殺した者たちですが、現在では佐々木只三郎率いる「見廻組」の犯行としてほぼ確定されています。そして、その背後にはどうやら会津藩(佐々木の実兄である手代木直右衛門か)の影がちらついている、ということが判っています。
 死ぬ間際の中岡慎太郎などは、自分たちを殺ったのは新選組の仕業か、などと思っていたようですが、この頃の新選組の近藤勇はなぜか土佐藩の後藤象二郎に接近しているので、犯人としては考えにくいといいます。

 伏見の寺田屋で幕府の手の者に襲撃されて以来、龍馬はすっかりお尋ね者となってしまい、常に暗殺の影に脅かされていたにもかかわらず、彼は身の安全のために土佐藩邸にも入らず、あまりにも無防備すぎました。
 それはなぜだったのか。
 元陸援隊士だった田中光顕の言葉によれば、
「彼(龍馬)は、平生、王政維新の大業さえ成就したなら、この一身、もとよりおしむ所にあらず、もう無用の身だといっていた」
ということです。
 つまり、龍馬は維新に己の全エネルギーをかけており、自分の命などこれっぽっちも惜しくないという思いで一杯だったのです。
 そして、この気持ちは単に龍馬だけにとどまらず、同時代を生きた志士たちに共通した心理だったと言えます。

 私などは龍馬が死んだ年齢をとっくに超えてしまっているのですが、龍馬がその短い生涯の間に実に様々な所へ出かけ、多くの人たちに会い、エネルギッシュに活動していた姿には深く感動を覚えます。
 もし龍馬が暗殺されず、次の時代を生きていたらどうなっていたのかを考えるのは元より詮無いことではあるのですが、おそらく彼は政治の表舞台に立つというより、たとえば五代友厚のような政商にでもなったのかなあと思います。「縁の下の力持ち」といった立場ですね。
 下の写真は京都・円山公園にある龍馬と中岡の銅像です。二人の視線の先にあるものはいったい何だったのでしょうか。

                                    終わり

坂本龍馬・中岡慎太郎

 
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東京生まれ東京育ち。
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