今年の1月下旬、めずらしく日本史関係の、とある「発見」が全国的に話題を呼びました。
今、放映中のNHK大河ドラマ「真田丸」関係と思いきや、違いました。
豊臣(羽柴)秀吉が、子飼いの武将で、「賤ヶ岳の七本槍」の一人である脇坂安治に宛てた書状33通が兵庫県たつの市の資料館で見つかったというものです。
関西の方では、秀吉人気のせいかかなり大々的に報道されたようですが、私の住む首都圏でも、ワイドショーでやっていたぐらいBIGな発見だった模様です。
東大史料編纂所の村井祐樹氏が鑑定したところ、大変重要な史料だったことがわかりました。
その史料が一般公開されるというので、先月兵庫県たつの市まで行ってきました。

今回、「発見」されたという史料は、もともと同市の龍野神社が所蔵していた藩主、脇坂家に伝わる文書類だったのですが、今から四十数年前に流出してしまい、2014年になってたつの市が所蔵者より買い戻したというものです。
しかし、この史料は2012年に所蔵者のもとで火災に遭い、消火時に水損もしたため、傷みが激しかったものを、東大史料編纂所が大部分を修復、調査したそうです。
中でも注目されるのは、秀吉が脇坂安治に仙洞御所の材木手配を命じたのに、安治はあまり乗り気でなく、むしろ越中出陣を望み、仕事も遅れがちだったことを叱責した書状や、文中で秀吉が主君の織田信長のことを「信長」と呼び捨てにしていた書状もあったそうです。
この日、たつの市内の公民館で鑑定にあたった東大史料編纂所、村井祐樹氏による講演会が行われたので、聴講してきました。地元の方や、報道を聞きつけた戦国ファンが集いました。

講演は、史料が「発見」されるまでの経緯と、東大史料編纂所での修復作業についての説明が中心でした。
村井氏はスライドを用いて、火災に遭い焼け焦げた無残な状態の文書を、史料編纂所の二名の専門員がていねいに時間をかけて、修復していった様子を熱く語られました。
肝心の史料内容については、時間が足りなくなってしまい、かけ足での紹介でしたが、報道された以外にもいろいろ歴史的に重要な発見があったようです。
最後に、「この貴重な史料を、たつのの皆さんには大切に後世へ伝えてほしい」とまとめられました。
村井氏も、資料館の方も、流出のくわしい事情は口が堅く、語りませんでしたが、地元の方にお聞きしたところ、どうやら当時の宮司が神社から勝手に持ち出してしまったみたいです。
その後、その宮司の関係者が所蔵していたようなのですが、かなり雑な管理をしていたようで、火災後も放置しっぱなしだったそうです。
こういう話は、いろんな地方でよく耳にしますが、まさに「宝の持ち腐れ」です。素人が古文書を良好な形で長期保存するのは難しいので、やはり博物館や大学などの研究機関に相談し、寄託するなどした方が良いと思われます。
3月の初めだったので、ちょうど梅の花が見頃でした。
展示は今週末の4月10日まで開催中ですので、ぜひご覧になってみてください。くわしい図録も販売しています。

余談ですが、私はたつの市へ行った2日後、インフルエンザにかかってしまいました。多分ですが、講演会でウィルスをもらってきちゃったみたいで、散々でした(泣)。その後も体調不良ですので、1か月後の更新となってしまいました。
いつも有難うございます
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