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岩倉具視幽棲旧宅(国史跡) 附「岩倉具視遺髪碑」

  【特別公開】岩倉具視の幕末維新(京都市歴史資料館) のつづき

 幕末~明治維新に活躍した公家、岩倉具視(1825-1883年)に関する展示を見たので、せっかくですので、彼が一時住んだという住居を見に行くことにしました。

   岩倉具視


 地下鉄「国際会館」駅から路線バスに乗ること約15分。

 国史跡 「岩倉具視幽棲旧宅」 (京都市左京区岩倉上蔵町100)
 岩倉旧宅2
 

 【現地パンフレットより】
 岩倉具視は,明治維新における王政復古に力を注いだ幕末,明治期の代表的な政治家です。文政2年(1825)に参議正三位堀河康親(やすちか)の次男として生まれたのち,天保9年(1838)に公卿岩倉具慶(ともやす)の養子となります。安政元年(1854)には孝明天皇の侍従となり,次第に朝廷内において台頭し,発言力を増してきました。そのような中で公武合体をすすめるため孝明天皇の妹,和宮の将軍家への降嫁を推進したことにより,尊皇攘夷派から佐幕派の巨頭と見られるに至り,文久2年(1862)に攘夷運動の高まりの中で辞官落飾し,洛北の岩倉村に慶応3年(1867)までの間幽棲したのがこの旧宅です。
 岩倉具視は,文久4年(1864)に大工藤吉の居宅(現在の附属屋)を購入し,主屋と繋屋を増築して住居としました。
 当史跡は周囲を塀で囲まれ,居宅は茅葺の主屋(約60㎡)と瓦葺の附属屋(約67㎡),繋屋(約9㎡)から成ります。他に敷地の南土塀に表門を構え,門を入って主屋南庭に通じる中門,池庭,離れの便所によって構成されています。平成20年(2008)から4箇年をかけて,京都市が文化観光資源保護基金を活用し,かつ国庫補助を得て,本格的な修理を行いました。また,敷地の東側には,展示・収蔵施設である対岳文庫(国登録文化財)と管理事務所があります。
 平成25年にこの史跡を長年にわたって守り続けてこられました財団法人岩倉公旧蹟保存会から本市が寄付を受け,貴重な財産として引き続き維持管理することになりました。


 4年の歳月をかけて修復したそうですので、このように家屋の状態は良かったです。こちらの主屋は岩倉が建て増しした方です。
 岩倉は失脚後、この地で不遇な蟄居生活を送っていましたが、大久保利通ら薩摩藩の人々をはじめ反幕派志士たちと連絡をとり、またも『叢裡鳴虫』といった政治意見書も書きました。虎視眈々と再び世に出る機会をうかがっていたのでしょう。 
岩倉旧宅1


 内部は立入禁止ですが、外側から座敷を撮影してみました。
  岩倉旧宅3


 建物も歴史を感じさせて良いですが、個人的にはこちらに注目。
 岩倉具視の「遺髪碑」です。墓石には漢文で、彼の事績について刻まれていました。
 なお、岩倉の墓は東京の海晏寺という寺にあるのですが、非公開のためお参りできません。
岩倉碑1

 
 その隣には、具定、具経という息子さんたちの碑もあります。
 岩倉碑2


 敷地内にある「対岳文庫」
 岩倉具視の遺品類や関係資料を収める建物で、高名な建築家、武田伍一(京都帝国大学教授)設計の鉄筋コンクリートの洋館です。前述しましたが、遺品類、資料のほとんどはこの春に京都市に寄贈されました。
 (内部撮影不可)
 対岳文庫


 岩倉具視は隠棲していた5年間、村人たちとも交流があり、明治維新後も岩倉村の人々への恩を忘れず、交流を絶やさなかったそうです。

 この辺りには今回初めて来ましたが、現在は宅地化されてますけれども、当時は自然に囲まれた静かな土地だったのだろうと思いました。
 それにしても、京都市内にはところどころに色々な史跡がありますね。改めて奥の深さを感じました。


  
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(2006/01)
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【特別公開】岩倉具視の幕末維新(京都市歴史資料館)

 「新島旧邸」から北へ数十メートルのところに、京都市歴史資料館という施設があり、「岩倉具視の幕末維新」という特別展を開催中だったので、寄ってみました。(10月16日で終了済)

 岩倉具視の幕末維新


 【展示趣旨】
 本市文化市民局文化財保護課との共催により,幕末から明治時代初期の政治家である岩倉具視の関係資料を特別公開いたします。平成25年,財団法人岩倉公旧蹟保存会の解散に伴い,所蔵の重要文化財及び京都市指定文化財など全ての資料が本市に寄贈されました。岩倉具視やその一族に関する貴重な文献を始め,東京赤坂で襲撃された時に斬られ血痕の付いた装束など,多くの遺品が文化財に指定されています。

 本展覧会では,文書・絵画・写真・装束・生活道具などの諸資料から,近代国家形成期においてその頂点に立って活動した政治家岩倉具視に焦点を当て,彼の歩んだ道のりや時代の流れについて考えてみたいと思います。

 また,ミニ展示として,NHK大河ドラマ「八重の桜」のヒロイン,新島八重が明治23年に京都商工会議所会長の浜岡光哲に宛てた書簡も初公開します。


   岩倉具視


 岩倉具視(1825~1883年)というと、幕末期、貧乏公家から政界の中心人物として踊り出、明治維新に多大な貢献をした人物ではありますが、「維新の三傑」などに比べると、正直なところネガティブな印象が強い人物だと思います。彼の肖像写真が残っていますが、公家にしては非常に意志の強い顔をしていますね。
 
 岩倉具視に関連する資料はこれまで、財団法人岩倉公旧蹟保存会が保存してきたのですが、多額の費用がかかり、これ以上維持できないとして、今年の春先に京都市への寄贈を決めたそうです。岩倉家ご子孫、並びに関係者の方々のご英断だと思います。

 私もこれまで幕末維新期の展示会を色々見てきましたが、岩倉具視に関する展示というのは初めて見ました。貴重な史料、61件(約100点)が今回出展の運びとなりました。
 私が見たのは後期展示でしたが、岩倉具視日記ですとか、岩倉が失脚中に書いたという意見書『叢裡鳴虫』(重要文化財)、大久保利通や木戸孝允等の書状など、貴重な史料が多く展示されていました。
 こうした文献資料のほか、目立ったのは彼の遺品が割合多く残されていたことです。

 たとえば、明治7年1月14日、赤坂の仮皇居から帰路についた岩倉を暴漢が襲い、負傷した事件(赤坂喰違事件)で岩倉がその時来ていた血痕付の装束や携行品がありました。
 その中に、なんと携帯用の盃があったんですね。
 岩倉具視は大の酒好きで、どこか出かける際も必ず携帯用の盃を懐に入れていたというのです。岩倉の死因は「食道癌」だったのですが、きっとお酒が原因でしょうね。こうしたところに、リアリティを感じます。

 このように、岩倉は身の回りの品々を処分せずに、大事に保管しておく性格の人だったそうですね。
 しかし、岩倉の死後、彼の遺志とは裏腹に彼の伝記を編纂した人がこれら遺品の多くを勝手に古道具屋などに転売してしまったのだとか。そのため、ご子孫は苦労して買い戻したのだそうです。

 前述しましたが、岩倉具視について、どこか陰のある、「孝明天皇暗殺説」等ネガティブな印象を持つ人が多いのですが、やはりその理由としては彼に関する体系的な研究があまり進んでいないということが挙げられます。
 素顔の岩倉は、子どもたちには教育熱心で、また有望な人物を支援する等面倒見の良い一面もあったようです。
 私も正直なところ、これまであまり興味のもてない人物ではあったのですが、今後研究が進み、岩倉の実像が明らかになるのが待たれます。

 なお、大河ドラマ「八重の桜」では俳優の小堺一機さんが演じてましたが、ちょっとあれはミスキャストだったのではないでしょうか。



     
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「八重さんスカッシュ」と「八重さんのジンジャーブレッド」

 「新島旧邸」つづき

 「新島旧邸」の敷地内に、新島会館という建物があり、同志社大学関係者が会議や催し等に利用できる施設になっています。

 その一階ロビーに休憩コーナーがあり、一休みしていくことにしました。
 
 紅茶やコーヒーなどを注文できましたが、私たちは「八重さんスカッシュ」(400円)を注文しました。
 ご覧のように、美しい桜色のスカッシュで、おいしくいただきました。
  八重さんスカッシュ


 ドリンクカウンターには、なぜかパンが3種類置いてありました。うちの主人が見つけました。
 うちの主人はこういうのをよく目ざとく見つけるのです。多分、根が食いしんぼうなのでしょう(笑)
 八重さんジンジャーブレッド2

 パンのメニューを見ると、「八重さんのジンジャーブレッド」「八重さんのパインドーナツ」および「モンブランスティック」と記載されてあります。京都ホテルオークラ特製だとのこと。
 このうち、「八重さんのジンジャーブレッド」と「八重さんのパインドーナツ」を家用のお土産にと購入してみました。

 帰宅してから2種類のパンを食べてみました。
 「ジンジャーブレッド」(右)はショウガが練りこんであるパンでしたが、これは八重がご主人のために焼いたというパンらしいですね。残念ながら、あまり美味しくなかったです。(主人も同意見)
 もう一方の「パインドーナツ」はパイナップルが練りこんであるドーナツですが、こちらは甘くておいしかったです♪八重は当時輸入しはじめたばかりのパイナップルが大の好物で、当時食べ過ぎておなかを壊したこともあったとか・・・。
 八重さんジンジャーブレッド1

 戊辰戦争では銃を手にとり、戦ったという男勝りの八重でしたが、明治以降はご主人のためにパンを焼いたりしていて、とても家庭的な一面もあったのには少々驚きました。
 二人の幸せな生活がしのばれる話です。

 


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新島襄・八重夫妻が暮らした家・・・「新島旧邸」

 先日、京都へ用事があったついでに、新島襄・八重夫妻が暮らした家「新島旧邸」の見学へ行ってきました。

新島旧邸1

 ご覧のように、和洋折衷の木造二階建て住宅となっており、2階にはバルコニーが廻らされています。
 現在進行中のドラマでは、この建物をそっくり復元しています。

 さっそく中を覗いてみましょう。なお、後述しますが内部見学には予約が必要となっています。

 台所。流しは八重の背丈に合わせて設置されたのだとか。
 新島旧邸2


 応接間。椅子やテーブルも八重たちが使用していた当時のものらしいです。
 ここで同志社の学生さんたちを迎えたのでしょう。窓も大き目で採光もOKです。
新島旧邸3b


 応接間の壁側にあったオルガン。八重使用と伝わりますが、これを弾きながら、讃美歌を歌ったりしたのでしょうか。
  新島旧邸9


  ランプ。やはり八重たちが使用していた当時のもの。あたたかみのあるやわらかな光が辺りを照らします。
     新島旧邸10
  


 食堂。食卓を囲み談笑する襄・八重家族らの姿が目に浮かぶようです。
新島旧邸7b




 書斎。この部屋で仕事中の襄に、八重がお茶を運んできたりしてたのでしょうね。書棚には書籍がぎっしり。
新島旧邸5b


  ちょっとアレですが、トイレです。すでに「洋式」になっています。これは珍しいですね。
  新島旧邸8


 八重が晩年使用していた和室。晩年の八重は茶の湯の世界に傾倒していきますが、ここで稽古したりしたのでしょうか。
 新島旧邸4


 現在非公開の2階部の写真。襄・八重夫婦の寝室になっていました。
 昨年のはじめごろまでは見学可だったのですが、大河ドラマの放映で多くの見学者が訪れると床が抜ける心配があるので見学不可になってしまった模様。
 新島旧邸6


 建物の保存状態もよく、襄・八重夫婦の生活が偲ばれる洒落たお宅だなと思いました。
 現代でも決して古臭さを感じさせませんし、実際住むこともできそうですね。


 旧邸内部を見学するには同志社社史資料センター事務局へ予約が必要です。
 必ず下記サイトから予約なさってください↓
  新島旧邸見学予約申込


 秋もいよいよ深まってきて、京都の町は秋の観光シーズンを迎えます。ぜひ「新島旧邸」見学を予定に組み込んでみては如何でしょうか。
 この日も平日でしたが、ツアーの団体客が来ていて、少々落ち着かなかったです。

                               つづく


  新島旧邸   住所;京都市上京区寺町通丸太町上ル松陰町 
  問い合わせ先 同志社大学 同志社社史資料センター 電話:075-251-3042   


  関連記事 山本覚馬・新島八重生家  



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山本覚馬・新島八重生家(おさらい)

 NHK大河ドラマ「八重の桜」の前回放送『襄と行く会津』(10月20日放映)を見ていたところ、新島襄・八重夫婦が八重のふるさと会津若松を訪れるという内容でした。
 
 そして、辺りの様子がすっかり変わってしまった生家跡を訪れた八重の回想シーン 
「思いかえせば、ひとつひとつが愛おしくて、大事なものはみんなここにあったんです」と述懐する八重のセリフがありました。

 会津・鶴ヶ城の西の方角に、八重の生まれ育った家の跡があります。(会津若松市米代2丁目)
 八重の実家は上士ですから、住居もお城から近かったんです。(歩いて10分以内くらいのところ)
 現在は民家の玄関先に同志社大学が建てた「山本覚馬・新島八重生誕の地」の石碑があります。
 山本覚馬・八重生家跡1


 しかし、本来山本家があった場所はこの石碑がある場所ではなくて、実際はこのお宅から50mくらい先にあります。
 石碑の前にいた観光客が石碑を見て帰ろうとしていたので、「本当の家の跡はこの先にありますよ」と教えてあげました。
  山本覚馬・八重生家跡2


 山本家があった本来の場所がこちら。現在は駐車場になっております。
 山本覚馬・八重生家跡3


 駐車場に臨時に建てられている説明板の地図です。
 山本家は比較的間口が狭く、土地は長方形ですね。右隣が伊東家、近所には日向家、高木家がありました。
 山本覚馬・八重生家跡4

 ドラマでは自宅内に、銃の試射場「角場」が出てきますが、あれはドラマ上のフィクションだそうです。
 実際現地へ行くと、かなり狭い土地ですので、角場があったかどうかは微妙ですね。

 八重の家から数分のところには、藩校「日新館」がありました。
 現在は天文台の跡だけを残すのみとなっていて、周囲は民家になっています。
 日新館跡

 これらの写真も、ドラマの進行に合わせてもう少し早くアップしたかったのですが、引っ越し等が重なり、遅くなってしまいました。(2013年5月撮影)

 ドラマもあと残すところ7回になりました。(早いもので、もう10月下旬ですもんね)すでに、出演者およびスタッフによる打ち上げも済んだそうです。
 しっかりしたドラマなのに、視聴率が思ったほど伸びなかったのが残念ですね・・・。



 参考サイト 大河ドラマ「八重の桜」公式サイト 


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支倉常長の墓・・・謎の最期

 仙台市青葉区青葉町にある光明寺(臨済宗)という御寺さんに、支倉常長の墓とされる墓石があるというので行ってみました。

   支倉常長


 寺の奥手方に常長の墓はありました。
 支倉常長の墓1


 支倉常長の墓2
 これが、常長の墓とされる五輪塔です。
 メキシコ、スペイン、ローマと主命を帯びての苦難の旅は、結局その目的を果たせず、失意のうちに常長は帰国してから一年後の1621年(元和7)、あるいは翌1622年(元和8)に亡くなったと伝えられています。
 しかし、異説もあり、支倉家の知行地であった小山村(現奥州市)にて隠棲生活を送り、世間から忘れられた頃ひっそりとこの世を去ったという言い伝えもあるようです。つまり、その晩年は謎に包まれています。

 光明寺には常長と息子の常頼の位牌があるそうで、国語学者・大槻文彦がこの墓石こそ常長の墓であると「鑑定」したということです。
 ですから、墓の説明板は「伝・支倉常長の墓」と記載されています。本墓かどうかの確証はないということですね。
 支倉常長の墓3


 常長死後、跡を継いだ息子の常頼は使用人がキリシタンであったことや宣教師を匿ったということで咎められ、処刑。支倉家は断絶します。(後に常頼の子で常長の孫にあたる常信の代で再興を許される)

 今回、資料を読んでみたところ、常長の墓はここ以外に、常長の養父支倉時正や、実父山口常成の所領があった宮城県川崎町、大郷町、大和町の3か所にあるのだそうです。(゜Д゜;)エェッ~!そんなにあるの・・・?
 私は残念ながらこれらすべて墓参できませんでしたが、お近くの方はぜひ探してみてください。

 
 常長の墓石の傍らには、常長に同行した宣教師ルイス・ソテロの碑があります。
 ソテロの碑

 ソテロはフランシスコ会の宣教師。
 伊達政宗の知遇を得、支倉常長と共にサン・ファン・バウティスタ号に乗り渡海し、スペイン国王、ローマ教皇にも謁見し、日本での宣教の支援を求めるも、挫折。
 同じ頃、江戸幕府が禁教令を出し、日本に入国できなくなったソテロはフィリピンのマニアで再入国の機会を待ちますが、元和8年(1622年)密入国したところを捕縛され、伊達政宗が幕府に助命嘆願をするもかなわず、長崎にて火刑に処せられ、悲劇の最期を遂げました。
 この供養碑は比較的近年新しいものなのでしょうかね。



   お寺の境内にいた猫。鈴がついていたので、お寺さんの猫でしょうか。
   カメラ目線にもなってくれて、人なつっこい猫さんでした。
   仙台の猫

 

 関連記事 【特別展】伊達政宗の夢~慶長遣欧使節と南蛮文化~(仙台市博物館)



  
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【駅弁】支倉常長弁当“進路は東”(JR仙台駅)

 またまた駅弁のご紹介です。

 JR仙台駅構内駅弁売店へ行ったところ、新商品の案内を見つけましたので、即買いいたしました。
 
 支倉常長弁当4

 新商品、支倉常長弁当“進路は東”(1050円)慶長遣欧使節400年記念して開発されました。
 パッケージには海の彼方を指さす?支倉常長と、サン・ファン・バウティスタ号が描かれています。
支倉常長弁当1


 さっそく箱を開けてみますと、蓋の裏にサン・ファン・バウティスタ号の航海図や商品の説明などが記載されています。
支倉常長弁当2
 

 お弁当の中身はこんな感じです。
支倉常長弁当3

  
  ■商品説明
慶長遣欧使節400年記念して「支倉常長弁当」を開発致しました。
1613年(慶長18年)伊達政宗から通商交渉の使命を受けて石巻の月の浦港を出港、針路は東へ・東へとスペイ ン、ローマへ向かった支倉常長のロマン溢れるお弁当に仕上げました。
お弁当の裏面にはサンファン・パウティスタ号の航路や献立等が記載されています


  <お献立>
石巻の厚揚げ蒲鉾(葛あんかけ)
三陸銀鮭の酒粕焼きと帆立貝の艶焼き
仙台牛のしぐれ煮と富谷パプリカ
若鶏の仙台味噌焼きとオムレツ
三陸わかめ(ピリ辛風)
ペンネのカルボナーラ風
仙台白玉ずんだ
仙台三色漬物(長茄子、紅大根、胡瓜)
スペイン風パエリア(海老、あさり、干し葡萄)

 地元の食材を使用しつつ、西洋風な香りを漂わせています。
 真ん中の「スペイン風パエリア」ですが、パエリアというより、炊き込みご飯?風なのはご愛嬌です。
 調整元「こばやし」さんのお弁当は他のも食べたことがありますが、おかずの種類が豊富で、ボリューム満点。今回も大変おいしくいただけました。お口直しに、甘味の白玉ずんだがあるのもうれしいところ。

 駅弁売店の店員さんにうかがったところ、発売当初は売れ行きがイマイチでしたが、段々と周知されてきたようで、最近は出る数も増えたとのことです。

 牛タンもいいですが、仙台市博物館の特別展を見た後は、こちらの駅弁を味わってみては如何でしょうか。


 
 参考サイト 株式会社こばやし

 関連記事 【特別展】伊達政宗の夢~慶長遣欧使節と南蛮文化~(仙台市博物館)


  
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【特別展】伊達政宗の夢~慶長遣欧使節と南蛮文化~(仙台市博物館)

 宮城県仙台市にある仙台市博物館では、現在特別展(慶長遣欧使節出帆400年・ユネスコ世界記憶遺産登録記念)「伊達政宗の夢 慶長遣欧使節と南蛮文化」を開催中です。

 伊達政宗の夢1

 【展示趣旨】
 慶長18年(1613)、仙台藩主伊達政宗は、スペイン領メキシコとの直接貿易と領内への宣教師派遣を要請するため、家臣支倉常長と宣教師ルイス・ソテロを大使として、メキシコ、スペイン、ローマへと外交使節を派遣しました。これが慶長遣欧使節です。
 今年は、使節出帆から400年を迎えるとともに、国宝「慶長遣欧使節関係資料」のうち「支倉常長像」など3点がユネスコ記憶遺産へ登録される記念の年となりました。 この展覧会では、国宝「慶長遣欧使節関係資料」をはじめ、日本国内及びヴァチカン・イタリア・スペインに残る使節関係資料や、キリスト教、南蛮文化に関わる多彩な文化財等約200件によって、伊達政宗を使節派遣へと駆り立てた背景や使節の実像について紹介します。



 仙台藩士、支倉常長(1571?~1622年)は主君、伊達政宗の命を受けて、スペイン国王に貿易の許可を求めるため、サン・ファン・バウティスタ号に乗り、太平洋を渡りました。
 
  支倉常長像
  (現地ポスターより 支倉常長像 イタリア・個人蔵)

 常長は7年がかりで様々な苦労をしながらスペインとの交渉にあたりましたが、残念ながら交渉は失敗に終わり、常長は帰国。失意の常長はその2年後にこの世を去りました。
 常長が渡欧中に、江戸幕府により禁教令が発布されており、仙台藩でも掌を返すように、常長帰国後ただちに藩内にキリスト教禁止の触が出されます。この点、政治家としての政宗は非常にドラスティックです。
 そして「慶長遣欧使節」に関してもタブー扱いとなり、常長が持ち帰った品々はことごとく藩により没収され、江戸時代中は仙台城内の蔵に秘蔵されました。
 
 維新後、明治6年に岩倉遣欧使節団がヴェネツィアにて常長の書状を発見し、これを契機として「慶長遣欧使節」は再認識されることになります。
 仙台藩が秘蔵していた常長が持ち帰った品々(「慶長遣欧使節関連資料」)は伊達家から一度民間へ流出しましたが、昭和39年(1964年)に仙台市が購入し、平成13年(2001年)には国宝指定されました。
 そして、大々的に報道されたのでご存じの方も多いと思いますが、今年の6月に「慶長遣欧使節関連資料」のうち3点がユネスコ世界記憶遺産として登録されました。
 
 支倉常長の苦難に満ちた7年の旅は結局無駄でした。
 しかし、400年の歳月を経て、ユネスコ世界記憶遺産に登録され、世界的にも評価されたことで、彼の苦労は少しは報われたのではないでしょうか。
泉下の常長は多分苦笑しているかもしれませんが。

 上に写真を掲載しましたが、今回イタリアから常長の全身像を描いた大きな肖像画が出展されており、これが一番の目玉だと思います。常長が差している刀の鍔には伊達家の九曜紋が、羽織袴には遊び鹿と薄の刺繍が施されており、おそらく主君である政宗から拝領された衣裳だと考えられます。

 その他、関連する史料が多数展示されており、とてもここでは書ききれませんが、文字資料よりも南蛮由来の品々など物品が多いので、楽しみながら見学できるでしょう。
 ただ、どちらかというと図録も含め、美術史的な色合いが濃い傾向ので、もう少し歴史的背景の掘り下げがあれば更に良かったと思います。(多分、美術史専門の方が担当されたのでしょう)

 展示の途中、久能山東照宮から借りてきた徳川家康の品々があって、「なんで、ここで家康なの?」と少々謎??でした。
 しかし、政宗が派遣した常長の一行というのは、実は政宗が勝手に派遣したのではなく、家康または二代将軍、秀忠の許可を得ていたもので、幕府からの使者も一行に加わっていたそうなんですね。
 家康自身も当初はキリスト教をある程度「許容」し、スペインの通商をもくろんでいたらしいが、オランダやイギリスがスペインの侵略性を家康に吹聴したり、岡本大八事件というキリシタンがらみの一件があり、すっかりキリスト教に嫌気がさしてしまったようで当初の考えを翻してしまったらしい。そして、やがては「鎖国」ということになるわけです。


 会期は11月17日まで。(展示替あり) 会期2日めに参りましたが、通常より多くの観覧者で賑わっていました。数年がかりで準備したというこの特別展、力が入ってます。ぜひご覧になってみてください。今回、資料提供してくれた所蔵先は内外とも何処も非常に協力的だったとのことです。 
                              ※図録あり


 参考サイト 伊達政宗の夢~慶長遣欧使節と南蛮文化~特設HP


 館内レストラン「三の丸」では、特別展関連メニューが提供されています。

  「ハポン風コシード」(1350円)
  ハポン風コシード2

 いわば、スペイン版ポトフみたいな煮込み料理です。メインのほかにパン、スープ、サラダ、デザートもついてます。
 限定15食です。
 ヘルシーで口あたりもさっぱり。なかなかおいしかったです。
 ハポン風コシード1

 ここのレストランは、いつも特別展に合わせて限定メニューがあって、楽しいです。



 特別展を見たあと、常設展のほうも行ってみましたが、戊辰戦争の史料が申し訳程度に6点くらい出ていた。NHK大河ドラマに関連した展示を期待していたが、同博物館にとっては慶長遣欧使節のほうが大事だったらしい。
 あと、この博物館は展示内容はとてもいいのですが、開館時間が他所と比べても短く、16時45分には閉館してしまう。
 せめて、特別展開催中だけでももう少し開館時間を延長できないものでしょうか。観覧者の便宜を考慮してほしいものです。

     仙台市博物館 (仙台市青葉区川内26番地 TEL:022-225-3074)
   仙台市博物館


 関連記事 【駅弁】支倉常長弁当“進路は東”(JR仙台駅)
        支倉常長の墓・・・謎の最期



  ***************************
   

 
 さて、余談ですが、石巻市にある常長一行が乗船したサン・ファン・バウティスタ号を復元した「宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)」は2011年の大震災で大きな被害を蒙りましたが、このたび修復され、来る11月3日(祝)に再オープンするとのことです。
 慶長遣欧使節400年の年に再オープンが間に合い、本当に良かったですね。

 過去記事 支倉常長とサン・ファン・バウティスタ号

 参考サイト 宮城県慶長使節船ミュージアムHP
 
 ※震災前の2008年撮影
 サン・ファン・バウティスタ号

 
  
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【駅弁】復刻弁当(JR名古屋駅)

 歴史のことを書こうと思ったのですが、ここ数日よんどころない事情で忙しく、つなぎの記事です。

 8月に所用があって名古屋へ行きましたが、帰路につく前に駅弁を買ってみました。

 JR名古屋駅の在来線ホームの駅弁売店にて。
 復刻弁当1

 
 店先に「復刻弁当」なるポスターが貼ってあり、目をひきました。
 調整元(松浦商店)が大正11年創業だそうで、当時一個20銭で販売していたと書いてあります。
  P8091336.jpg


 店頭に在庫があったようなので購入してみました。
 掛け紙も創業当時を復刻したそうです。たしかに、レトロな印象があります。
 調整元のホームページを見たら、掛け紙はこのほかに2種類あり、日によって変わるみたいです。
 復刻弁当2


 さっそく中を開けてみました。パッと見、シンプルな感じの幕の内です。
 復刻弁当4


 おかずの部分だけアップにしてみました。
 牛肉のすき焼き風、サワラの照り焼き、自家製玉子焼き、蒲鉾、野菜の煮物、佃煮、豆などが入っています。意外におかずの数は豊富です(笑)
 やはり、昔の駅弁を「復元」していますので、食品が傷まないように、味付けが濃くなっていました。(ただし許容範囲です)

  復活弁当6



 この内容で630円は超お買い得です。
 今時、駅弁ひとつで800円~1100円くらいは普通にしますので、それを考えるとよく頑張っていますよね。
 美味しくいただけたので、またリピしてもいいかな♪「シンプル イズ ベスト」という言葉がピッタリの、
 とにかく見つけたら即買いのお弁当でした。


 参考サイト 松浦商店HP


  
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大久保利通の墓

 先週、東京港区にある青山霊園へ行ってきました。
 親族の墓参のほか、調子に乗って周囲の墓めぐりをしていたら、翌日風邪をひいてしまい、この1週間ダウンしてしまいました。やはり、この時期は夏の疲れも出るせいか、無理はいけません。


 大久保利通(1830〜1878年)の墓
    大久保利通像


 木戸孝允、西郷隆盛と並び、【維新の三傑】のひとり。
 多くの場で取り上げられているため、あえて載せるまでもないとも思いましたが。
 近代国家の樹立のため多大な功績を残した人ですが、個人的にはなぜかあまり好きになれないというか・・・。
 明治になってから、権力闘争をやったのがちょっといただけないかなと。


 ここへは何度か来ていますが、大久保の墓は同霊園内でも、ひときわ広く、大きいです。
 「神式」のため鳥居があります。
大久保利通5


大久保利通1

 
  特徴ある「亀趺墓」 大名家の墓などによく見られます。
  大久保利通3



 墓の手前には、大久保の功績をたたえる碑が。
 大久保利通2


 「西南戦争」後の明治11年(1878年)5月、大久保は不平士族によって暗殺されます。(「紀尾井坂の変」)
 大久保の遺体の懐からは「敵」となってしまったかつての盟友、西郷の手紙が出てきたそうです。
 凶変時、彼は二頭立ての馬車に乗っていて悲劇に見舞われましたが、一緒に落命した馭者・中村太郎と馬の墓(後) 馬の墓には馬型のレリーフが見られます。
 大久保利通4


 傍らの灯篭の笠の部分が落下していました。2年前の震災によるものかと思われます。
 大久保利通6


 大久保が偉いな・・・と思うのは、「西南戦争」後に彼は暗殺の危機に瀕しており、警告もされていたにもかかわらず、あえて警護を厳重にしなかったんですよね。その結果、暗殺という悲劇の最期になりました。わが命を毛頭惜しんでいなかったのです。
 また大久保は私腹を肥やすということもなく、むしろ彼の死後大久保家には多額の借金が残ったとか。
 願わくばもう少し生きて、立憲国家の樹立まで見届けてほしかったものですね。



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A☆六文銭

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日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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