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都会のど真ん中で「もののふ」の姿を見た・・・鉄炮組百人隊出陣の儀

 先日の日曜日(9月22日)、東京・新宿区で「江戸幕府 鉄炮組百人隊出陣の儀」というイベントがあったので、出かけてみました。

鉄砲組1

 
 徳川家康が江戸幕府を開いた折、甲州街道を抑え、江戸城を守備するために、内藤宿と大久保百人町に「鉄炮組」を駐屯させました。
 昭和36年、JR新大久保駅そばにある皆中稲荷神社(上の写真)の宮司さんが鉄炮組の史実を後世に伝え残そうと、氏子の人々に働きかけ、「出陣の儀」という形で再現されたのがこの行事のはじまりだそうです。
 隔年開催で、今年は27回目を数えます。

 実は私はこのお祭りについて今まで全く知らなくて、たまたま最寄駅に告知ポスターが貼ってあり、今回初めて知りました。

 イベントは皆中稲荷神社の境内での「出陣式」から始まりました。開始40分前に行ったのですが、狭い神社の周囲はすでに多くの見物客で賑わっていました。
鉄砲組2

 
 その後、一行は隊列を組んで大久保通りへ。いざ、出発です!
鉄砲組3

  甲冑姿で馬に乗った方が2人いらっしゃいました。聞いたところによると、甲冑は自前で揃えられたのだとか。
  鉄砲組4
  鉄砲組5


 槍を手にした赤備え?の皆さん。女性の方たちです。
  鉄砲組6


 関東ITソフトウェア健保会館前にて試演(火薬不使用)「不惜身命」の旗がひるがえる。
鉄砲組7

 
 交通量が多い通りを隊列は進みます。「車両通行止め」をしていないので、誘導スタッフや警察の方がたも気を遣います。
鉄砲組8



 木村屋ビル前にて演武(火薬使用) 発砲音が凄くて、手ぶれしてしまいました(汗)
鉄砲組9


 
 鉄炮組の菩提寺「長光寺」にて記念撮影。3番隊の皆さんですが、5,6人の方が凛々しい女性たちでした。(それも美人な方ばかり)
鉄砲組10



   (※この後、私は昼食をとるため、離脱しました)

 
 その後、午後1時過ぎより、西富山公園野球場にて「合戦演武」が行われました。
 開始20分前には現地へ行ったのですが、すでに大勢の観衆が陣取っており、会場の隅っこのほうでの撮影になりました。
鉄砲組14


  勇壮な太鼓の音がとどろく中・・・
  鉄砲組17


 以下の通り、様々な「型」の発射を披露されました。たちまち、火薬のにおいが周囲に広がります。
 

鉄砲組13

腰放ち
鉄砲組11

膝台放ち
鉄砲組12
 


 約1時間の演武を終え、再び皆中稲荷神社へ。

  演武を終え、ほっとした表情の方々。緊張の糸もほぐれたのか、笑顔がこぼれます。
  この日のために、かなり鉄砲の練習をされてきたようです。
  鉄砲組15


 境内で勝鬨を挙げ、お開きとなりました。
鉄砲組16




 いやあ、都会のど真ん中で、「もののふ」の皆さんに出くわすとは思いもよりませんでした。「灯台下暗し」です。

 うちの主人が言うには、約20年前にたまたまこの「出陣の儀」の模様を見たことがあるそうで、その時は鉄砲隊もオーディエンスの人数も現在より少なかったそうです。
 その間に、関係者のご努力により、このように大盛況のイベントとなったのは素晴らしいですね。また、女性の方々の活躍ぶりも見ものでした。
 JR新大久保駅周辺は、近年ではコリアンタウン化してしまっており、外国人の姿も目立ちますが、その環境でこうしたイベントが行われることに意義があると思います。もののふの皆さんの姿には感動を覚え、胸アツになりました(笑)

 これからも、「もののふ」の心意気を後世に伝えてください。今後のご発展を心よりお祈りいたします。
 お疲れ様でした。



 参考サイト 江戸幕府 鉄砲組百人隊
 

  
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テーマ : 東京
ジャンル : 地域情報

「半沢直樹」おもしろかったぁ

 TBSで絶賛放映中だったドラマ「半沢直樹」が昨日が最終回で終わってしまいました。
 いやあ、本当に面白かった!

 「やられたらやり返す 倍返しだ!!」のセリフも今や流行語大賞か、という勢いですし。

 衝撃!?のラストですが、大和田常務(香川照之さん)が降格だけで済んだ時点で、半沢は出向させられるのでは?と予想していたら、見事に当たってしまいました。
 一緒に見ていた主人いわく、「世の中、そんなもの」と冷めた物言いをしていましたが。


 私は結婚してから、あまり民放系の連続ドラマを見なくなってしまっていたんですが、「半沢」は久方ぶりに初回からパーフェクトで見てしまいました。
 主役の堺雅人さんをはじめ、キャスティングが絶妙でした。脇役の方もしっかり演じられていて、だから見応えがあったのだと思う。

 しいていえば、前半のほうが面白かったかな。愛人の役で出ていた「壇蜜」さんなんか、愛人役がぴったりで良かったと思います。
 
 でも、これってお気づきの方もいたかと思いますが、時代劇の手法を使っていると思いますね。歌舞伎役者の方が二人(香川照之<市川中車>さん、片岡愛之助さん)が出ていたことでもわかります。ドラマ中のセリフにも「時代劇」なんて言葉が出てきましたし。だから、私でもハマってしまったのかも。
 それと、社会性のある内容だったのも良かったのかな。
 でも、このドラマ見て、銀行員にだけはなりたくないな、と思いましたけどね(笑)

 あーあ、来週から日曜夜のお楽しみがなくなってしまいました。。。キムタクが出るという新ドラマは多分、見ないでしょう(笑)。
 またぜひ「半沢」の続きをやってほしいですね。(できれば、映画ではなくドラマで)単発のスピンオフ企画とかも見てみたいですね。


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テーマ : 半沢直樹
ジャンル : テレビ・ラジオ

山中湖文学の森

 先月、主人の実家の者たちと家族旅行で、山中湖へ行ってきました。

 その帰り、山中湖文学の森というところに立ち寄りました。
 
 ここには2つ文学関係の施設がありまして、一方は「三島由紀夫文学館」
 三島由紀夫文学館

 作家、三島由紀夫(1925~1970年)の唯一の文学館として1999年(平成11)にオープンしたそうです。
 生前の三島は文学にとどまらず、演劇、映画等多彩な活動をした作家として知られ、多くの名作を残した人ですが、ああいう壮烈?な死に方をしたため、死後長らく文学館の設立が期待されつつも、なかなか話が進まなかったところ、直接的な関係の薄い山中湖畔にご縁があって、日の目を見たそうです。
 三島の直筆原稿など資料の展示と、書斎が復元されていました。死後も衰えない人気がある作家さんだけに、狭い文学館でしたが、ぼちぼち人が入ってました。


 もう一方の施設ですが、昨日紹介した徳富蘇峰の業績を紹介する「徳富蘇峰館」が併設されています。
 徳富蘇峰館

 蘇峰ですが、戦前山中湖旭日丘に「双宜荘(そうぎそう)」という別荘を所有しており、1932年(昭和7)から1945年(昭和20)まで毎夏、双宜荘に滞在し、ライフ・ワークの『近世日本国民史』を執筆しながら、富士山、山野草、野鳥を愛でる生活を送ったそうなんです。
 同館では、蘇峰と山中湖の関わりや、遺品・作品の展示、書斎が復元されていました。
 今年12月15日まで、「徳富蘇峰と新島襄・八重・同志社展」というミニ展示を開催しています。同志社大学から写真などの資料を借りてきたようです。ご興味のある方はご覧になるといいでしょう。

 正直なところ、三島由紀夫館の方が人が入っており、蘇峰館の方は閑古鳥でした。最近の人は、徳富蘇峰と聞いてもピンと来ないのでしょうね。大河ドラマで多少認知度が上がるかもしれませんね。

 
 この日は曇りがちの天気で、せっかく「世界遺産」に認定された富士山もイマイチで・・・帰路につく頃には運悪くゲリラ豪雨に見舞われてしまいました。(´Д`)

 富士山


 参考サイト 三島由紀夫文学館
        徳富蘇峰館(三島由紀夫文学館HP内)
 
    山梨県南都留郡山中湖村平野506-296


 
 
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テーマ : 大河ドラマ 八重の桜
ジャンル : テレビ・ラジオ

大江義塾跡・徳富記念園

大江義塾・徳富記念園1


 【大江義塾跡・徳富記念園】
 先日の大河ドラマ「八重の桜」の中で、熊本から「過激な転校生」、すなわち熊本バンドが同志社へやってきます。
 その中のひとりに、後にジャーナリスト、歴史家、思想家として活躍、大著「近世日本国民史」を著した徳富蘇峰(猪一郎 1863~1958年)がいました。
    
   soho

   

 明治3年、蘇峰の父、一敬が熊本藩庁に出仕することを契機に、水俣から熊本市街にある当地へ引っ越してきました。
 その後、蘇峰は熊本洋学校へ入学、そこでキリスト教に感化され、他の仲間とともに熊本バンドの一員となります。
 しかし、洋学校は当局の意向により廃校となり、蘇峰は東京英語学校、その後同志社英学校へ転入します。ここで、新島襄のもと受洗します。
 ところが、明治13年、生徒による集団ストライキを扇動したことがきっかけで卒業まで残り2か月を残して蘇峰は退学し、熊本へ帰郷しました。
 
 大江義塾・徳富記念園2

 蘇峰はこの家で、父と共に私塾「大江義塾」を開き、歴史、政治学、経済学などを教え、明治19年の閉塾まで後進の指導にあたりました。


 学内トラブルがきっかけで、同志社を離れた蘇峰ですが、その後も恩師である新島襄や同志社との関わりは続き、新島襄が亡くなる三日前に襄が述べた遺言を書きとり、八重と共にその最期を看取っています。一番最初に襄の残した膨大な資料の整理を手掛けたのは蘇峰でした。
 また、かつて八重のことを「鵺(ぬえ)」と揶揄した蘇峰でしたが、その後八重とは和解し、晩年まで交流が続きました。京都にある八重の墓銘は蘇峰の揮毫によるものです。
 
 現在、大江義塾跡は「徳富記念園」となり、併設されている資料館には蘇峰と弟で作家の蘆花(小説「不如帰」)に関する資料が展示されています。
 また、写真で撮影しわすれましたが、庭の一角には新島襄がアメリカから持ち帰り、蘇峰に譲ったという「カタルパの木」の2世、3世木が植えられており、初夏の頃美しい花を咲かせるとのことです(原木は昭和35年ごろ枯れたそうです)。

  徳富兄弟が使用した井戸が今も残る
 大江義塾・徳富記念園3

                   (2009年10月撮影)



     
新島襄と徳富蘇峰―熊本バンド、福沢諭吉、中江兆民をめぐって新島襄と徳富蘇峰―熊本バンド、福沢諭吉、中江兆民をめぐって
(2002/03)
本井 康博

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     熊本市大江4丁目10-33
    
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テーマ : 大河ドラマ 八重の桜
ジャンル : テレビ・ラジオ

熊本洋学校教師ジェーンズ邸

ジェーンズ邸1

 【熊本洋学校教師ジェーンズ邸】
 熊本洋学校は、明治3年(1870年)に熊本藩の実権を握った実学党政権により、西洋の文物技術を移入するために創設された学校です。
 アメリカ人L.L.ジェーンズ(リロイ・ランシング・ジェーンズ)を教師として招き、文学、算術、地理、化学、測量、作文、演説など多岐にわたる授業を、ジェーンズが全て英語で行いました。その指導ぶりは厳格なものだったと伝わっています。

 明治4年(1871年)9月1日、城内古城、現在の県立第一高等学校に開校、徳富蘇峰ら有為な人材を多く輩出しましたが、「神風連の乱」直前の明治9年(1876年)8月に廃校となりました。ジェーンズの影響で多くの生徒がキリスト教に入信、後に熊本バンドと呼ばれることになる奉教結盟を花岡山で行ないました。この活動が当局を刺激し廃校につながったのです。

 コロニア風の洒落た洋館は当時珍しく、多くの見物客でにぎわったのだとか。

 写真は2008年に熊本へ行った際に撮影したものです。先日、ドラマを見ていたら最後に「八重紀行」の中で紹介されていたので、古い写真リストを調べたらありました(笑)

 ジェーンズ邸2


 ジェーンズ展示室。当時使用されていたらしき調度品や、ジェーンズ・洋学校に関する資料が展示されています。
 ジェーンズさんですが、映画「ラストサムライ」でトム・クルーズが演じた人物のモデルではないかともいわれているそうです。
 彼はアメリカに帰国する際に熊本城の写真を持ち帰り、その写真はプリンストン大学に所蔵されています。
 ジェーンズ邸3


 日本赤十字展示室。西南戦争の折、佐野常民(佐賀)が赤十字の前身「博愛社」を設立する許可がここで下りたそうです。
 ジェーンズ邸4


 古いコンデジで撮ったのであまり良い写真がありませんでしたが、下のステンドグラスはレトロっぽくて素敵だったので載せておきますね~(^^)
 ジェーンズ邸5


 なお現在のジェーンズ邸は水前寺公園の近所に移築されております。

 

 参考サイト 「八重の桜」紀行「熊本洋学校教師ジェーンズ邸」


   熊本市中央区水前寺公園22-16
  
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テーマ : 大河ドラマ 八重の桜
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熊本バンド奉教の碑

 ※台風18号の被害に見舞われた地域の方々には、心よりお見舞い申し上げます。


 昨日はめずらしく家に一日いたので、NHK大河ドラマ「八重の桜」をリアルタイムで見ました。
 (いつもはビデオ録画しておいて、後日見る)
 「八重の桜」ですが、ここ数年のうちではめずらしく最初からずっと皆勤で見ています。
 うちの主人などは、「京都編(明治編)」になってからの方が面白い、などと言っておりますが。。。
 
 ストーリーはだいぶ進んでしまって、熊本洋学校から同志社へ転校してきた若者たち(「熊本バンド」)が自分たちの主張を騒ぎ立てて、新島襄・八重夫婦を困らせるといった内容でした。
 
 
 熊本県熊本市内に、「花岡山」という小高い山があります。春は桜の名所だそうです。頂上には、謎の白い建物?が見えます。(以下、2012年7月撮影)
 花岡山

 花岡山史跡案内(クリックで拡大します)
 花岡山案内図

 
 頂上は公園広場になっており、ここからは市街が一望できます。
 もちろん、熊本城も遠望できます。
 熊本城


 
 この山を登ると、「日本山妙法寺」という日蓮宗系の宗教施設があります。よく街頭で、お題目を唱えながら団扇太鼓を叩き、平和運動をされている方たちです。
 かつて、インドのネール首相から妙法寺へ譲られたという仏舎利が納められている白い塔があります。これが謎の白い建物だったのですね。
 仏舎利塔(日本山妙法寺)

 この広場の一角の木々に隠れるようにひっそりと「熊本バンド 奉教の碑」というのがあります。
 熊本バンド奉教の碑

 明治9年1月、洋学校の生徒35名がこの花岡山で集会を開き、賛美歌を歌い黙祷と聖書朗読を捧げた後、「奉教趣意書」に誓約しました。こうした契約によって結ばれた人々=「バンド」と称されるようになりました。
 洋学校の生徒たちは熊本藩の士族の息子たちで、封建社会の崩壊後、武士としての精神的支柱をキリスト教に求めるようになっていったようです。
 洋学校は後に閉鎖されたため、彼らは京へ登り、「同志社」に入塾し、やがて重要な位置を占めるようになります。

 軽くネタバレになりますが、この若者たちの中に、横井小楠の息子・時雄という人がいて、後に山本覚馬の娘、みねと結婚することになります。

 現在でも、キリスト教関係者(プロテスタント)がこの碑の前で祈祷会などを開催しているようです。

 
 余談になりますが、「奉碑の碑」の裏手には、
 

 加藤清正の腰掛石(熊本城築城の折、石を切り出す作業の指揮でここに腰かけたという)
 加藤清正の腰掛石


 清正の兜石 (清正が兜をこの石に掛けた)があります。
 加藤清正の兜石


 また、広場から階段を下ったところには、西南戦争時の官軍墓地もあります。
 花岡山官軍墓地

 (※ 花岡山にはこの他にも色々史跡があります)


 参考サイト 「八重の桜」紀行【熊本洋学校教師ジェーンズ邸】

 

  
より大きな地図で 熊本バンド奉教の碑 を表示
  


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テーマ : 大河ドラマ 八重の桜
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【駅弁】八重のうた

 久しぶりに駅弁のご紹介です。

 先日の日記で、「会津で美味しいものを食べたい」というレスをいただきましたが、それは私も同様(笑)

 しかし、今回は極めてあわただしい旅で、気の利いた食事処に入ることもかなわず。

 仕方がないので、会津若松駅で駅弁を買うことにしました。
 会津若松駅キヨスク

 キヨスク店内にはいくつかお弁当が置いてありましたが、やっぱり「八重~」関連のものが目に飛び込んできましたので、それを購入することに。

   駅弁「八重のうた」1

 (株)ウェルネス伯養軒さんの「八重のうた」です。掛け紙には「八重たん」や赤べこのイラストもあって、かわいいです。

 中身はこんな感じです。
 駅弁「八重のうた」2

 
 ごはんは「八重の桜」にちなんだ桜花漬けの白米や黒豆入り飯、鮭ほぐし飯の三種類。
 おかず類ですが、馬肉煮、卵焼、鮭じゅうねん揚、鰊天ぷら、蒟蒻やタケノコの煮物、わらび餅、大根漬け、花豆煮、揚げ葛、かまぼこといったものがコンパクトに詰められています。会津の家庭料理をイメージしたのでしょうか。彩もきれいですよね。
 
 価格は1000円でした。

 肝心のお味の方はGOODで、おいしくいただくことができました。(主人も満足していました)

 調整元のHPを見たら掲載されていなかったので、もしかしたら期間限定販売?だったのかもしれません。。。

 
  参考サイト 伯養軒(グリーンハウスグループ)

 
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テーマ : お弁当
ジャンル : グルメ

会津・大河ドラマ館で「八重たん」に遭遇!

 ブログ内容がぶつ切れになってしまい、スミマセン(汗)

 会津旅行のつづきです。

 福島県立博物館の近所に、「ハンサムウーマン八重と会津博 大河ドラマ館」があったので見てきました。
 八重の桜大河ドラマ館1

 去年の「平清盛」はまったく興味がなかったので、大河ドラマ館へ行ったのは高知で開催された「龍馬伝」以来になりますかね。
 
 展示内容は毎度同様で予想できたことですが、ドラマのガイダンスと、出演者の方々の衣裳や小物、サイン、撮影風景のビデオ上映など。
 30分くらいもあれば見れてしまいます。
 著作権の関係で、残念ながら内部はほとんど撮影不可のため写真はありません。

 唯一、撮影OKだったのが、「鶴ヶ城北出丸セット」。AR(拡張現実)という最新技術を使い、大砲の手前に立つと戦場の風景の中に自分の姿が投影されるようになっています。
 八重の桜大河ドラマ館2


 場内を一通り見学して、外へ出てみると、なんとあのご当地キャラがお姉さんに連れられてご登場!
 今年大活躍の、「八重たん」です。
 八重たん


 あわててカメラを向けたら、ポーズをとってくれました♪かわいい~♪
 この日は平日だったのに、このように出会えてラッキーでした。
  八重たん2


 なお、7月下旬に展示替えがあり、現在は八重役の綾瀬はるかさんが鶴ヶ城籠城戦で着用した衣裳が展示されているそうです。
 会期は来年(平成26年)1月14日までとのこと。ドラマの方は舞台が京都へ移ってしまいましたが、これから秋の観光シーズンですし、会津への旅ではぜひお立ち寄りください。


 参考サイト ドラマ館「八重の桜」


 
  
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生誕90年 池波正太郎展

 先日、東京・銀座の松屋銀座で開催中の「生誕90年 池波正太郎展」に行ってきました。

  池波1

 【展示趣旨】

 鬼平犯科帳、剣客商売、仕掛人・藤枝梅安を創った男

   池波正太郎展


時代小説の傑作を数多く世に送り出した作家・池波正太郎は大正12年(1923年)東京・浅草に生まれました。
「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」をはじめとする作品の数々は、舞台、テレビ、映画でも上映され、多くの人々から愛されてきました。魅力あふれる登場人物の描写からは、池波正太郎の[人]に対する深い洞察と愛情とが感じられます。
会場では膨大な著作の展示、書斎の再現や貴重な資料などを通して作家池波正太郎の姿を振り返ります。また、テレビ、舞台、映画などで紹介された作品を立体的に展示し、「真田太平記」や「雲霧仁左衛門」など幅広い世界まで展観します。更に、エッセイの中でも語られている[映画]を愛し、[食べること]や[旅]を楽しんだ、池波の日常生活にも目を向けます。生誕90年を記念し、時代小説を舞台に[人情の機微]を描き続けた、池波正太郎の生き方と作品世界の全貌をご紹介いたします。



 「鬼平犯科帳」「剣客商売」等で人気の作家、故・池波正太郎(1923~1990年)ですが生きていれば今年90歳だったんですね。
 池波は大の美食家で有名でしたが、生前銀座の名店にはちょくちょく足を運んでおり、そのゆかりの地での展示会開催ということになります。

 会期中、2度ほどギャラリートークが開かれるというので、後半の回で事前に申し込みをして聞いてきました。開店前の9時から開かれたのですが、池波ファンと思しき二十数名の方々が集まりました。
 講師は晩年池波の秘書のような仕事をされていた鶴松房治さんです。鶴松さんはもともと「新国劇」のスタッフをされておられ、そこで脚本を書いていた池波と知遇を得ます。現在は台東区にある「池波正太郎記念文庫」で職員をされておられます。
 鶴松さんは会場内で、約1時間にわたり池波の人となりと主要作品について語られました。
 知ったかぶりではありませんが、池波の生涯というのはだいたい知っていたのですが、鶴松さんのお話で印象的だったのは、池波は生涯に一度も原稿を遅らせたことがないとか、直筆絵入り年賀状は前の年の1月には印刷して、数か月がかりで宛名を書いていたとか、几帳面な人がらだったということです。
 また、池波は作家の司馬遼太郎と親しかったのですが、両者の違いは司馬さんは終始「歴史」を書くことに生涯を捧げたのに対し、池波は時代を超えて、人々の「生業」を描いたという事を指摘されていました。両者の特徴を的確にとらえておられ、「なるほど・・・」と思わされました。

 トーク終了後、会場内を見学したのですが、期待していたのより少々展示点数が少なかったように思いました。(百貨店の限られたスペースなので仕方ありませんが)
 鬼平や剣客商売などの挿絵や、絵が得意だった池波自身の作品なども展示されていて、良かったと思います。
 そうこうしているうちに、見学者が次から次へと来て、展示ケースの前が行列になってしまったのには驚きました。その多くがご年配の方でしたが、改めて池波の人気ぶりを再確認しました。

 なお、鶴松さんに2,3質問してみたのですが、「剣客商売」の主人公「秋山小兵衛」ですが、映像化の話が出たとき、この役を池波は俳優の故・田村高廣さんにオファーしたという話を以前聞いたのですが本当の話ですか?とお尋ねしたところ、やはりそうだったそうです。田村さん自身もこの役を切望していたそうなのですが、中村吉右衛門さんの「鬼平」がロングランになってしまい、「剣客」のドラマ化の方が進まなかったうちに、田村さんが体調を崩されたため、代わりに故・藤田まことさんがキャスティングされたんだそうです。
 田村高廣さんは好きな俳優さんでしたし、立ち回りもうまい方だったので、一度田村版小兵衛を見てみたかったな・・・と残念に思いました。

 おまけ 松屋銀座の地下の一角に、池波が愛した甘味たちが展示されていました。(会期中、食品売り場で限定販売されるという)
 以前当ブログで紹介した浅草の「アンヂェラス」のケーキや、浅草梅園のあんみつ、神田竹むらの揚げまんじゅう、向島の言問団子などが見えますね。
 買ってくればよかったのですが、この後急ぎの用事があったため、写真だけでガマンです。

  池波2

 会期は残念ながら今日までです。




池波正太郎が愛した江戸をゆく パート1(城東・下町篇)―決定版「鬼平」「剣客」「梅安」 (アサヒオリジナル)池波正太郎が愛した江戸をゆく パート1(城東・下町篇)―決定版「鬼平」「剣客」「梅安」 (アサヒオリジナル)
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

また不幸が・・・(泣)

 今年の冬、私の叔父が50代半ばで脳疾患で亡くなったことを書きましたが、今度は主人の叔父さんが57歳で急死してしまいました。
 叔父さんですが、死の前日まで元気に仕事しており、翌日の早朝倒れているところを家族が発見し病院に運ばれましたが、残念ながら帰らぬ人となりました。
 主人は前日に叔父に会っており、私もつい2週間前に道端でばったりお会いし、二言三言挨拶をしたので、急死の知らせにはびっくりしてしまいました。もちろん、親戚や知り合い等も急な訃報に驚きで二の句が告げないほどでした。
 人間ドックの結果もまったく問題なかったそうで、おそらくこの夏の酷い暑さも影響していたのではないか、と思われます。
 
 つい先日葬儀を済ませたばかりですが、遺族もパニック状態なので、様々な始末を私ども親族で代行しており、すみませんがブログ更新がもうしばらく滞りそうです。よろしくお願いいたします。
 なお、芳名帳を集計したところ、900人近くもの方々にご会葬いただき、どうも有難うございました。
 この場を借りて御礼申し上げます。
 残暑が厳しい折、皆様もくれぐれもお体ご自愛ください。

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日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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