特別公開 額田城に届いた伊達政宗の「密書」 (那珂市歴史民俗資料館)
※現在、新居への引っ越しのためなかなかブログ更新できない状況となっております。ご了承ください。
茨城県那珂市にある那珂市歴史民俗資料館では、
「特別公開 額田城に届いた伊達政宗の『密書』」を開催中です。(明日12日まで)
【展示趣旨】
この文書は東日本大震災おいて被災したひたちなか市の商家から茨城史料ネット(茨城大学内)の文化財救済作業中に発見されました。歴史的大発見ともいえるこの資料は全部で5通あり、伊達政宗が額田城主小野崎照通に送った密書とも呼べる書状も含まれています。個人所有のため、今回特別に所有者のご厚意と茨城史料ネットとの協力により当館で公開展示できることとなりました。
この機会に、歴史上澄明な人物と郷土那珂市とのかかわりについて知っていただき、郷土の歴史と文化財保護の大切さを再認識する機会になればと思います。
ひたちなか市にお住まいのKさん宅が2011年の東日本大震災で被災し、土蔵が壊れてしまったため、ご家族で土蔵の中にある物を整理していたところ、古文書を発見しました。
さっそくKさんのご子息が調べてみたところ、どうも文書に記された花押(いわゆる“鶺鴒の花押”ですね)が戦国大名、伊達政宗のものに酷似していたため、茨城県内で被災した文化財・歴史資料の保全活動を行っている「茨城史料ネット」へ連絡して調査してもらったところ、政宗に関連した文書が5点確認されたそうです。
5点の文書のうち一点は、政宗が常陸の佐竹氏の勢力下にいた額田城主・小野崎彦三郎昭通に送った「起請文」であり、昭通に内通を誘う内容となっており、いわば「密書」ともいえるべき文書であることがわかりました。
政宗は天正17年6月の「摺上原合戦」にて会津の葦名義広を破った後、自らの縁戚でもある常陸の佐竹氏攻略を目指しており、その準備の一環としてこの文書は位置づけられます。
しかし、政宗の常陸攻めは頓挫してしまい、それによってこの文書も歴史の波に埋もれてしまったそうです。
小野崎昭通は後に政宗の婿である松平忠輝に仕官し、忠輝改易後は「額田氏」を名乗り水戸徳川家に仕官。子孫は代々水戸徳川家に仕えました。
しかし、幕末水戸藩内の抗争に巻き込まれ、保守門閥派の「諸生党」に与したため、維新後「諸生党」は壊滅させられたため家が没落し、家に伝わる文書を手放さざるをえなかった模様で、それを後に裕福な商家を営んでいたKさんの祖父が購入し、現在まで秘蔵していたそうです。
今回、Kさんのご好意により実現した新出史料の展示で、地元では注目の話題となっております。
私も引っ越し作業中でそれどころではなかったのですが、門外不出の新出史料ということを聞き、去る5月3日に見にいってきました。
東京からレンタカーを借りて行ったんですが、GW中のこともあり常磐道が渋滞していて、到着まで4時間以上もかかってしまい、グッタリでした(泣)
近くに額田城跡もあると聞きましたが、いかんせん時間切れ。また別の機会に出かけてみます。
展示は明日12日までですので、お近くの方はぜひ行ってみてください。
******************************
同日、市内の施設で、歴史フォーラム「新発見『小野崎文書』の世界」という講演会が開催され、これにも参加してみました。
Kさんから依頼された史料を調査した「茨城史料ネット」の高橋修・茨城大学教授。
震災後、茨城県内における文化財レスキュー活動を指揮しておられます。
今回発見された政宗の「密書」をはじめ、文書に関する詳しい話を興味深く拝聴しました。今回の文書は、政宗の書状の中でも秘匿性が高いものだという話でした。
会場はほぼ満席で、地元の方々をはじめ、多くの歴史ファンが集い、しばし戦国ロマンに浸りました。政宗関係ということで、宮城県から来た方がたもいたようです。
東日本大震災で多くの文化財、歴史資料が被害に遭い、津波で流されたり、処分されてしまい失われたものも多い中、ひたちなか市Kさんご家族の機転により、このような貴重な史料発見につながったことは大変喜ばしいことだと思います。
このように、お宅に古文書等をお持ちの方は、こういう隠れた「お宝」が存在する場合がありますので、できれば平時からお住まいの自治体の博物館や、大学等の研究機関に一度相談することをお勧めします。
参考サイト 茨城史料ネット
いつもご覧いただき、有難うございます。
茨城県那珂市にある那珂市歴史民俗資料館では、
「特別公開 額田城に届いた伊達政宗の『密書』」を開催中です。(明日12日まで)
【展示趣旨】
この文書は東日本大震災おいて被災したひたちなか市の商家から茨城史料ネット(茨城大学内)の文化財救済作業中に発見されました。歴史的大発見ともいえるこの資料は全部で5通あり、伊達政宗が額田城主小野崎照通に送った密書とも呼べる書状も含まれています。個人所有のため、今回特別に所有者のご厚意と茨城史料ネットとの協力により当館で公開展示できることとなりました。
この機会に、歴史上澄明な人物と郷土那珂市とのかかわりについて知っていただき、郷土の歴史と文化財保護の大切さを再認識する機会になればと思います。
ひたちなか市にお住まいのKさん宅が2011年の東日本大震災で被災し、土蔵が壊れてしまったため、ご家族で土蔵の中にある物を整理していたところ、古文書を発見しました。
さっそくKさんのご子息が調べてみたところ、どうも文書に記された花押(いわゆる“鶺鴒の花押”ですね)が戦国大名、伊達政宗のものに酷似していたため、茨城県内で被災した文化財・歴史資料の保全活動を行っている「茨城史料ネット」へ連絡して調査してもらったところ、政宗に関連した文書が5点確認されたそうです。
5点の文書のうち一点は、政宗が常陸の佐竹氏の勢力下にいた額田城主・小野崎彦三郎昭通に送った「起請文」であり、昭通に内通を誘う内容となっており、いわば「密書」ともいえるべき文書であることがわかりました。
政宗は天正17年6月の「摺上原合戦」にて会津の葦名義広を破った後、自らの縁戚でもある常陸の佐竹氏攻略を目指しており、その準備の一環としてこの文書は位置づけられます。
しかし、政宗の常陸攻めは頓挫してしまい、それによってこの文書も歴史の波に埋もれてしまったそうです。
小野崎昭通は後に政宗の婿である松平忠輝に仕官し、忠輝改易後は「額田氏」を名乗り水戸徳川家に仕官。子孫は代々水戸徳川家に仕えました。
しかし、幕末水戸藩内の抗争に巻き込まれ、保守門閥派の「諸生党」に与したため、維新後「諸生党」は壊滅させられたため家が没落し、家に伝わる文書を手放さざるをえなかった模様で、それを後に裕福な商家を営んでいたKさんの祖父が購入し、現在まで秘蔵していたそうです。
今回、Kさんのご好意により実現した新出史料の展示で、地元では注目の話題となっております。
私も引っ越し作業中でそれどころではなかったのですが、門外不出の新出史料ということを聞き、去る5月3日に見にいってきました。
東京からレンタカーを借りて行ったんですが、GW中のこともあり常磐道が渋滞していて、到着まで4時間以上もかかってしまい、グッタリでした(泣)
近くに額田城跡もあると聞きましたが、いかんせん時間切れ。また別の機会に出かけてみます。
展示は明日12日までですので、お近くの方はぜひ行ってみてください。
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同日、市内の施設で、歴史フォーラム「新発見『小野崎文書』の世界」という講演会が開催され、これにも参加してみました。
Kさんから依頼された史料を調査した「茨城史料ネット」の高橋修・茨城大学教授。
震災後、茨城県内における文化財レスキュー活動を指揮しておられます。
今回発見された政宗の「密書」をはじめ、文書に関する詳しい話を興味深く拝聴しました。今回の文書は、政宗の書状の中でも秘匿性が高いものだという話でした。
会場はほぼ満席で、地元の方々をはじめ、多くの歴史ファンが集い、しばし戦国ロマンに浸りました。政宗関係ということで、宮城県から来た方がたもいたようです。
東日本大震災で多くの文化財、歴史資料が被害に遭い、津波で流されたり、処分されてしまい失われたものも多い中、ひたちなか市Kさんご家族の機転により、このような貴重な史料発見につながったことは大変喜ばしいことだと思います。
このように、お宅に古文書等をお持ちの方は、こういう隠れた「お宝」が存在する場合がありますので、できれば平時からお住まいの自治体の博物館や、大学等の研究機関に一度相談することをお勧めします。
参考サイト 茨城史料ネット
いつもご覧いただき、有難うございます。
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術