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八重の桜 (江戸東京博物館)

 東京・両国にある江戸東京博物館では現在、江戸東京博物館開館20周年・2013年NHK大河ドラマ特別展「八重の桜」を開催中です。(5月6日まで 途中展示替えあり)

 特別展「八重の桜」

 【展示趣旨】
 平成25年(2013)のNHK大河ドラマは、 会津出身の新島八重の生涯を紹介します。
 八重は、会津藩の砲術師範であった山本権八・ 佐久の子として生まれました。
 慶応4年(1868)の戊辰戦争時には、鶴ヶ城に籠城し、自らも銃をとって男性と共に奮戦しました。会津藩の敗戦後、八重は兄の山本覚馬を 頼って京都に移り、半年後、京都最初の女学校「女紅場」の教師となります。その傍らで英語や聖書も学び、明治8年(1875)、アメリカ帰りで 後に同志社の創立者となる新島襄と出会い、その翌年結婚。レディファーストを貫き、気高く毅然と立ち振る舞う八重の生きざまを、襄は 「ハンサム」と評しました。
 日清、日露戦争が起こると八重は故郷の魂を胸に篤志看護婦として果敢に行動していく――。
 本展は、NHK大河ドラマ「八重の桜」と連動して、同時代の資料や新島八重ゆかりの品々を紹介いたします。戊辰戦争の敗戦から立ち上がる人々の姿を通して、復興へのメッセージを伝える展覧会です。



 今年の大河ドラマ「八重の桜」ですが、ここ数年珍しく続けて見ております。一昨年の「江」には途中で脱落、昨年の「平清盛」も悪評が目立ったためほとんど見ていませんでしたが、今年の大河ドラマはオーソドックスな作りで、割と安心して見ていられる感じです。
 また、出演されている方が割と渋めで、また歴史上の人物にイメージの近い人を配役しているため、見ていて違和感が少ないというものあると思います。

 さて展示の方ですが、担当者によるとこの企画が持ち上がった際の打ち合わせで、NHK側からほとんど「八重」のストーリーについて教えてもらえなかったとのこと。手さぐり状態で展示準備を始めたそうです。
 しかし、あまりこれまで一般的には広く知られてこなかった八重の足跡や、他の主要登場人物ゆかりの品が数多く集められていました。
 また、「八重」の後半生は二度目の夫となる新島襄との関わりから同志社大学が全面協力で資料を提供しています。
 この展示を見ることで、「八重」の実像を知る道しるべになるのではないでしょうか。
 展示は落城時の会津若松城を写した大きなパネル写真から始まります。


 【個人的に目にとまった資料】

 ●「日新館童子訓」 会津藩士子弟の教育の場「日新館」において、文武に優れた人材を育てることを目標として、施された教育の根本を成した道徳書です。八重は女だったため、日新館には通えなかったが、7才の折にはすでに暗誦出来たという。 
 上下巻とも展示されていますが、八重が所持して今日に伝えられているのは下巻のみで、今回展示されています。

 ●孝明天皇御製、孝明天皇御宸翰、緋色地唐草葵紋錦袋  ドラマでも紹介されていますが、会津藩主・松平容保は孝明天皇から厚い信頼を寄せ得られており、御製および御宸翰を賜ります。
 容保はこれらを錦袋に入れて、肌身離さず大切に持ち続け、明治以降は新政府側から御宸翰を譲るよう強要されるも容保は断固拒絶し続け、生涯大切に保管し、子孫の家に伝えられました。


 ●伝山本覚馬所用長巻 銘 筑州  八重の兄・山本覚馬ゆかりの品として同志社に伝えられた覚馬所用と伝わる長巻 元々はあの加藤清正の所持品だったといいます。

 
 ●ゲベール銃、スペンサー銃  八重は覚馬よりゲベール銃の撃ち方を習い、会津戦争で籠城の折はスペンサー銃と銃弾100発を抱えて入城したといいます。(展示品は残念ながら八重の所持品ではありません)


 ●松平照和歌集  松平容保の義姉、照姫が残した和歌を編纂したもの。ドラマでは稲盛いずみさんが好演されていますが、照姫は和歌の教養にすぐれ、会津戦争時は会津の女性たちの精神的支柱となりました。

 
 ●斗南県川崎尚之助ヨリフライキストンニ係ル広東米差縺一件書類   八重の最初の夫・川崎尚之助(ドラマでは長谷川博巳さんが好演されています)の維新後に関する資料。  尚之助は維新後、八重と離縁しますが、理由はわからないとのこと。外国人との訴訟沙汰に巻き込まれ、不遇のうちにこの世を去ったといいます。
 

 ●新島襄旧邸 現在も京都に残る新島襄・八重夫妻の暮らした家の一室を復元。二人は当時としてはモダンな西洋風の生活をしていました。なお、数々の所用品の中にワッフル焼き器が残っていて、当時八重はワッフルを焼いて食べていたのにはビックリです(笑)


 ●新島襄筆一行書 「心和得天真」 新島八重筆一行書 「心和得天真」 「心和すれば天真を得」は新島襄が生涯モットーとしていた言葉で、襄、八重それぞれの掛け軸が仲良く寄り添そうように展示中です。(2点は所蔵先が別々で、このように並べて展示されるのは大変珍しい)


 ●昭和三年京都会津会秋季例会記念集合写  会津落城後60年にあたる昭和三年、京の黒谷にある会津墓地で旧会津藩士のための法要が執り行われた時に撮られた写真。松平家の当主や会津ゆかりの人々と共に、晩年の八重の姿もある。この法要に先立ち、松平容保の孫娘が昭和天皇の弟・秩父宮とのご成婚が決まり、(後の勢津子妃殿下)、明治維新後辛酸を舐めてきた会津の人々はこの慶事を心から喜び、祝福したといいます。


  

 「逆境にこそ咲く花あり」・・・展示の中から、八重が死ぬまで貫いた「もののふの心」をぜひ感じ取ってほしいですね。


 図録あり 桜色の表紙が美しく、本の角は丸みを帯びていて、軽量化の工夫がされています
  「八重の桜」図録


 ※会期終了後、福島県立博物館、京都府京都文化博物館を巡回予定

 

 後日、江戸博に用事があって行ったら、がちょうど満開でした。
  江戸博の桜



 過去記事 「八重の桜」・・・敗者から見た明治維新





   
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博物館で一休み・・・カフェ&レストラン「スター・アイル」

 大阪歴史博物館(大阪市)の建物の1Fにあるカフェ&レストラン「スター・アイル」
 ここでお昼をいただくことにしました。
   スターアイル2


 このお店は特別展にちなんだメニューを毎度提供しています。
 今回は特別展「天下の城下町 大坂と江戸」にちなんだメニューがありましたので、それを注文。(※このメニューは3月25日で終了しています
 一人前1250円とリーズナブルな価格。しかも、私共は展示チケット持参で250円割引の1000円になりました。
  スターアイル1

 さっそく料理が運ばれてきました。
 「紅ずわいがにのフルーツサラダ~カシスドレッシングと共に~」 みずみずしい色合いのサラダです。
  スターアイル4

 続いて、「はまぐりのボンゴレスパゲッティー~ルッコラとトマトのイタリアン~」
 あっさりといただくことが出来ました。
  スターアイル3


 14時以降はやはり特別展にちなんだケーキセットが注文できたようですが、この日は用事があったため試せませんでした。できればランチタイムにも注文できるといいですね。
 
 都道府県レベルの博物館で、レストランや喫茶店を併設しているところが最近めっきり減ってきました。近年入場者数が頭打ちの状態で、やはり採算取るのが難しいということでしょうか。以前は江戸東京博物館でも展示関連メニューを提供している店があったのですが、昨年だったか閉店してしまいました。
 そういう状況下で、こちらのお店は頑張っているという印象です。今まで5,6回利用しましたが、店員さんの対応も良かったです。(こちらから頼まなくても冷水を持ってきてくれたり、注文伺いも早い)
 メニューはその他、旬の食材を使った和食「大阪城御膳」(1500円 数量限定)などがあって、これもおすすめです。
 展示を見た後の休憩にぜひ寄っていただきたいですね。


 カフェ&レストラン「スター・アイル」(TEL06-4792-6526 火曜定休 営業時間10:00~18:00 LO17:30)


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テーマ : 今日のランチ!
ジャンル : グルメ

天下の城下町 大坂と江戸(大阪歴史博物館)

 大阪府大阪市にある大阪歴史博物館では、現在特別展「天下の城下町 大阪と江戸」を開催中です。

  天下の城下町
 
 【展示趣旨】
 
大阪歴史博物館では、平成25年2月2日(土)から3月25日(月)まで、6階特別展示室において、特別展「天下の城下町 大坂と江戸」を開催します。

現代日本の都市の多くは、江戸時代の城下町が基礎となって発達しました。その中にあって大坂と江戸は、特に規模の大きな城下町であり、他の城下町のモデルともなるものでした。それは、「豊臣秀吉」と「徳川家康」という2人の「天下人」が、政権の拠点として構想し建設した「天下の城下町」であったことによります。特に大坂に関しては、政治の実権が豊臣氏から徳川氏に移るという歴史に合わせるかのように、都市の構造や景観を変えてゆくことになります。

展覧会では、前史としての織田信長の城下町に始まり、大坂と江戸それぞれの城下町の誕生から完成に至るまでの歴史について、絵画資料や古地図、古文書や発掘資料など、約250点の資料によって紹介します。
    ※特別協力 江戸東京博物館



 上記の趣旨にもある通り、二人の天下人・・・豊臣秀吉と徳川家康がそれぞれ築いた大坂と江戸を比較した展示でした。この二つの町は、その後全国の城下町づくりのモデルとなったといいます。
 展示は秀吉、家康両者に多大な影響を与えた織田信長の城と城下町についてから始まります。小牧城、岐阜城、そして安土城についての発掘資料等がありました。
 「本能寺の変」後、権力を継承した秀吉はただちに大坂に本拠を置くことを考えており、すぐ実行に移しています。秀吉が築いた大坂城はもとは石山本願寺があった場所であり、城下町を築く上で前提となる都市的空間の基本型はすでにあったようです。
 大坂城築城関連で現在残されている古文書は「石運び」に関するものが多いそうです。秀吉が石垣造りを重視していたことがうかがえます。大坂城は秀吉の構想を見事に実現した城ということがわかりました。
 一方、家康が秀吉によって関東へ移封させられたわけですが、小田原ではなく江戸に本拠を置いたのは、江戸は水陸両方の交通網が発達していたそうで、従来考えられていたような寂れた町ではなかったことが最近の研究で明らかになりつつあるそうです。 
 最後に、江戸時代の大坂の町は「天下の城下町」から「天下の台所」、すなわち経済都市へと変化していく過程を追ったものでした。

 実に400点もの展示品があったのですが、やはり発掘資料が多いのが目立ちました。大阪城周辺はビル建設工事などで発見される場合が多く、まさに地中に眠っていた都市の姿が現代によみがえるという感じです。
 かつて福岡藩黒田家の蔵屋敷があった辺りで発掘調査したところ、土製の人形やミニチュア玩具が多数出土しました。これらが何に使用されていたのかは不明だそうですが、ちょっと面白かったですね。お土産品か何かだったのでしょうか。
 
 大坂城というのは謎に満ちていると思います。特に大坂夏の陣後、秀吉の大坂城は地中に埋まってしまったわけで・・・今後も発掘調査があれば、もっと当時の様子が解明できるのでは・・・と期待できた好展示でした。
 なお、「特別協力 江戸東京博物館」となっていましたが、江戸博でも巡回展でやってくれればわざわざ大阪まで来なくてもよかったのに・・・と少々残念に思いました。

 会期は明日25日(月)まで 図録あり。


 大坂城歴史博物館
  大阪歴史博物館

 
 その後、歩いてすぐのところにある大阪城へ行ったのですが、現在は常設展しかやってなく、後藤又兵衛の甲冑などを見てすぐ帰ってきてしまいました。
 一時期激減した中国人など外国人観光客がまた増えていて、うるさかったです。なんだか落ち着かないんですよね。
 
 この日、こちらへ来る途中、車内吊広告だったかで、大阪城すぐ側のマンションが2900万円~くらいから出ていました。(東京より全然安い・・・)
 毎日お城を眺めて過ごすのも悪くなさそうな感じがしましたね。ただし大阪市民だったらの話ですが。
 (この日は天候がよくなくて、ざんねん・・・)
  大阪城


 関連記事 博物館で一休み…カフェ&レストラン「スター・アイル」

 
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みどりの山手線 50周年

 1963年にJR山手線の路線カラーや車体が緑になって今年12月で50周年となるのを記念し、JR東日本は当時の103系車両に似せて側面全体を緑色にラッピングした電車を不定期で運行中です。

 先日、たまたまこの“記念電車”に遭遇しました!いやはや、懐かしい・・・。
 実家が山手線沿線にありますので、幼い頃から一番親しみ、利用してきたのが山手線でした。
 この日はなんと、一日に二度も乗車することが出来ました。

 山手線50周年a

 1985年に緑の車体は姿を消し、新たに緑のラインが入った現行車両に替りました。私が中学一年で、ちょうど電車通学を始めたころです。
 山手線50周年b


 後日、サントリー「伊右衛門」の広告入りの緑の電車に乗りました。
 山手線50周年c


 緑の車体の運行は今年の12月末までだそうですが、今後もぜひ続けていただきたいものですね~♪


 
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ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家(横浜美術館)

 神奈川県横浜市にある横浜美術館では、現在「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」展を開催中です。

 横浜美術館


 【展示趣旨】
 世界で最も著名な写真家のひとり、「ロバート・キャパ」ことアンドレ・フリードマン(1913年生/1954年没)が生まれて今年で一世紀が経ちます。しかしこの「ロバート・キャパ」という名が、当初フリードマンとドイツ人女性ゲルダ・タロー(本名ゲルタ・ポホリレ、1910年生/1937年没)の二人によって創り出された架空の写真家であったという事実は、あまり知られていません。

1934年にパリで出会い意気投合した二人は、1936年春に「ロバート・キャパ」という架空の名を使って報道写真の撮影と売り込みをはじめます。仕事が軌道に乗りはじめてほどなく、フリードマン自身が「キャパ」に取ってかわり、タローも写真家として自立していきますが、その矢先の1937年、タローはスペイン内戦の取材中に命を落とします。タローの存在とその死は、キャパのその後の活動にも大きな影響をおよぼしたといわれています。

本展覧会は、キャパとタローそれぞれの写真作品による二つの「個展」で構成されます。死後50余年を経てなお絶大な人気を誇るロバート・キャパと、その陰でほとんど紹介されることのなかったゲルダ・タロー。約300点にのぼる豊富な写真作品と関連資料によって二人の生涯と活動の軌跡を辿りながら、両者の深いつながりと個性の違いを浮かび上がらせていきます。


 先ごろ、NHKの「NHKスペシャル」及び「日曜美術館」を見ていたら、この展示について紹介されていたため、見に行ってきました。
 「ロバート・キャパ」というと戦争写真家としてあまりにも有名で、我が国でも大変人気のある写真家の一人なわけですが、今年生誕100年という節目の年に当たるそうです。
 ただ、お恥ずかしいことに私は彼の業績について多少の知識はあったものの、それほど強い関心は今までなかったです。

 ロバード・キャパ
 (ゲルダ・タロー撮影 現地ポスターより)


 展示趣旨にもある通り、もともと「ロバート・キャパ」という名前はハンガリー出身のユダヤ人、アンドレ・フリードマンと、ドイツ出身のポーランド系ユダヤ人、ゲルタ・ポホリレの二人の共同作業者としての架空の写真家の名前でした。
 二人は左翼活動家としてパリで出会い、意気投合し、公私共にパートナーとなります。
 アンドレとゲルタは撮影の舞台として戦場を選び、その作品を「キャパ」名義でマスコミに売り出します。
 やがて、アンドレ一人が「キャパ」を名乗るようになり、ゲルタは「ゲルダ・タロー」(この“タロー”という名はパリで交流があった故・岡本太郎さんの名前に由来するという)と名乗って写真家として自立の道を歩みます。
 しかし、ゲルダはスペイン内戦の取材中、戦車に轢かれて死亡。享年26歳という若さでした。
 ゲルダの死は「反ファシズムのヒロイン」として讃えられ、葬儀は国葬並みだったとのことですが、その後彼女の名は急速に人々の記憶から薄れ、一方、残されたキャパの方はその名声をますます高めていきます。

 
 ところで、「NHKスペシャル」で放映していたのですが、雑誌「Life」に掲載され、「ロバート・キャパ」の名を一躍有名にした「崩れ落ちる兵士」という作品がありますが、これは作家の沢木耕太郎氏が最近主張する説によると、アンドレが撮影したものではなく、側にいたゲルダが撮影したものだということです。しかも、撮影地はその時戦場ではなかったそうで・・・。
 「崩れ落ちる兵士」の謎については、沢木氏の近著『キャパの十字架』をお読みください↓↓↓

キャパの十字架キャパの十字架
(2013/02/17)
沢木 耕太郎

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 それにしても、ゲルダの死後、キャパ(アンドレ)はゲルダの事をほとんど語らなかったため、ゲルダの実像というのはつい最近までわからない事が多かったそうです。キャパにしてみれば、自分を支え、導いてくれたゲルダの存在にどこか後ろめたい思いがあったのでしょうか。
 しかし、今回の展示では当初はアンドレの影に隠れていたゲルダが徐々に実力を身に着け、自分自身の個性を発揮していく過程がわかります。そして、まだまだこれからという矢先にこの世を去らなければならなかった彼女の無念の思いが伝わってきました。

 一方、キャパの方は戦場の写真を撮り続け、またある時は日常の写真を撮影しているわけですが、その被写体はすべて「人」なんですね。建物などの写真は一切ないのです。彼はその生涯を通して、「人」を撮ることにこだわり続けたということがよくわかりました。
 キャパは死の直前、毎日新聞社の招聘で来日しています。その時、東京や大阪などで撮影しているのですが、そのほとんどが人の写真だったそうです。新聞社の方が観光名所を案内しても彼は関心を持たず、ひたすら道行く人々を撮り続けたそうです。昭和39年(1954年)にキャパの被写体になった人々はなんとラッキーなことでしょう。
 この後、キャパは都内で「Life」誌よりインドシナ戦争の取材を依頼され北ベトナムへ。そこで取材中、地雷を踏み死亡。享年40歳でした。「Life」誌の依頼がなければ、キャパはもう少し日本での写真を多く残したことでしょうね。

 今回、キャパ(アンドレ)とゲルダの写真展を見て、二人が生きた20世紀は戦争の世紀であったということを改めて強く感じました。
 そして、日常~非日常に生きる人々の姿を生涯一貫して撮影してきたところに、大きな価値があると思いました。
 また、キャパと交友があった有名人の写真などもあり、キャパと浮名を流した女優イングリッド・バーグマンのポートレイトははっとするほど美しかったですね。まあ、彼の初期の恋人であったゲルダも美しい人ですから、キャパは面食いだったんでしょうね(笑)この手の写真は戦争の悲惨な情景を撮ったものが多い中で唯一ホッとさせられます。
 
 テレビで紹介されただけあって、平日にもかかわらず多くの方々、若い世代から年配者まで幅広い世代の方々が見学に訪れており、美術館としても大成功の展示となったのではないでしょうか。
 男と女、ファシズム、戦争、ジャーナリズム・・・見る者によって様々なテーマを想起させられることでしょう。
 写真に興味のある方はぜひご覧になることをお勧めします。

 会期は今週末、24日(日)までとなっています。
  ※図録あり


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菅原文太さんトークショー

 山梨県立博物館で開催している「黒駒勝蔵対清水次郎長」の関連企画として、元俳優の菅原文太さんのトークショーがあるというので、去る3月2日に行ってきました。

 私自身は正直、あまり菅原さんには関心がなかったのですが、うちの主人が大の映画ファンなもので、「菅原さんてどんな人か見てきてほしい」と頼まれたので、参加してみました。
 (開演中の撮影は禁止だったため、開演前の写真です)
 この日、実に250人ほどの人々が菅原さんの話を聞きに集いました。
 菅原文太トークショー

 開演は14時からだったのですが、定刻を過ぎてもなかなか登場しません。
 約20分遅れで菅原さんと、聞き手の高橋敏先生(国立歴史民俗博物館名誉教授)がやっと現れました。
 なんでも、展示を見ていて遅くなったとのこと。さすがに菅原さん、大物ぶりを発揮です。
 菅原さんは現在、山梨県北杜市にお住まいだそうで、そこで趣味として農業をやっているということでした。

 約1時間ほどのトークショーだったのですが、そのうち3分の1くらいはご自身が始めた農業のことでした。
 「昔はよく見た雁の群れなんてさ、最近ほとんど見かけなくなっちゃったよね」と環境破壊に懸念を示し、「いのち」を育むことの重要性を語りました。
 そして、現在居を構える北杜市で無農薬による農業を始めたといい、「全然儲からないよ」とお笑いになっていました。
 また、菅原さんは被災地の宮城県のご出身だということで、「被災地の復興は掛け声ばかりで、一向に進んでないよ」と嘆いておられました。

 また、本題のアウトローについては、「一昔前までは同じ町や村の中に、ふつうの人もアウトローの人も住んでいた」といい、昨今の「アウトローの排除」の傾向に疑問を呈し、「いろんな人びとがいていいんじゃないか」と大らかさを失った社会の現状を指摘されていました。
 最後に、山梨は昔から他所とは異なる「特区」だとして、「甲州革命」という言葉を使って、山梨から日本を盛り上げていこうと呼びかけ、トークショーは終了しました。

  菅原文太さん

 上の写真は終了後、ファンの方々に囲まれているところの菅原さんの姿です。(一部トリミングしています)今年で御年80ということで、さすがに寄る年波には勝てないというか、ちょっと声がかすれてましたね。
 先ごろ俳優を引退され、悠々自適の生活を送っているとのことですが、ご高齢ではあってもかつてのオーラは健在でした。
 聞いた話ですが、菅原さんは大の読書家であり、その役柄とは違って、実際はかなりインテリな方でいらっしゃるということでした。





 ☆菅原さんの代表作↓↓↓☆ 

  
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幕末甲州博徒バラバラ殺人事件

 山梨県笛吹市にある山梨県立博物館で開催中の「黒駒勝蔵 対 清水次郎長~時代を動かしたアウトローたち~」の関連イベント(主催「特定非営利法人つなぐ」)に行ってみました。

 参考サイト 山梨県立博物館

 幕末の甲府に「三井卯吉」という博徒の大親分がいました。
 この卯吉という男ですが、「祐天仙之助」や「国分三蔵」といった甲州の有名博徒を従えており、一時は相当羽振りが良かったようです。
 卯吉はある時、博奕で捕縛され江戸に護送されますが、その時牢役人と関係が出来、赦されて甲府に立ち戻った後は「目明し」として活動するようになっていたようです。
 卯吉は今でいう「おとり捜査」のようなものに協力しており、例えば役人に敵対する博徒について密告し捕縛させたり、賭博場を開放し、ころあいを見計らって役人を招きいれ、その場にいた連中を捕縛させるなどしていたため、やがて彼に陥れられた甲州中の博徒から恨みを買うようになります。
 安政4年(1857年)正月、甲府城下の山田町というところで、卯吉は妻と共に家にいたところ、「小天狗の亀吉」という博徒らに踏み込まれ、殺害されました。どうやら、「小天狗の亀吉」はかつて兄を卯吉に殺されたため、兄の敵として卯吉を狙っていた模様です。
 この事件は江戸中でも評判になったそうで、『藤岡屋日記』には「宇吉夫婦を首ハ首、手ハ手、足ハ足とづだくニ切殺し候」つまりバラバラにして殺された、と記されています。


 甲府城の南東隅で集合し、スタートです。総勢80人前後だったと思います。私はよそ者ですが、参加者のほとんどは地元の方だと思います。
 右手の男性は展示を企画した高橋修・学芸員さんです。高橋さんはこの日のために、長らく実像が不明だった卯吉の生涯について調べ、卯吉を紹介するミニ冊子まで用意されていました。
 三井卯吉ツアー1


 卯吉が殺害された家のあった旧山田町(ようだまち)・・・現在の「甲斐奈通り」付近。
 三井卯吉ツアー7


 「甲斐奈通り」で、郷土史家の林陽一郎さんの解説を聞く。林さんは「山梨県史」の編纂に携わったという方で、甲府の歴史については「生き字引」みたいな方でした。
 当時この辺りは大店が立ち並ぶ場所だったそうです。現在はほとんどが民家になってしまい、当時の面影は何もなかったです。
 三井卯吉ツアー2


 卯吉は柳町幸十郎なる商人宅の裏土蔵を間借りして、賭博場を開いていました。その土蔵があった場所。
 (現在はある料理屋のお店になっていますが、当時とは無関係)
 三井卯吉ツアー3

 


 卯吉が隠れ住んでいたという柳町庄次郎の借家があった現在の柳町3丁目付近。この道がかつての武家地と町人地の境界線になっており、いざ役人に踏み込まれても、逃げやすい場所を隠れ家に選んでいたといいます。
 三井卯吉ツアー4


 民家の家と家の間にある用水路?と思ったら、甲府城の外堀の名残だそうです。指摘されなければつい見過ごしてしまいます。
  三井卯吉ツアー5

 
 最後は、卯吉の隠れ家があった場所の裏手にある明治時代から商売しているという豆屋さんの前で、豆菓子の試食をし、解散となりました。(おいしかったのでお土産に数袋買って帰った)約2時間ほどの行程でした。
 三井卯吉ツアー6



 【感想】甲府城下は博徒の巣窟だったことがよくわかりました(笑)年がら年中、各所で賭場が開かれていたみたいです。
 ただ、甲府は戦災で丸焼けになっているので、戦前の建物が見当たらないなど、古きよき城下町の風情が現在ではほとんど失われてしまっているのが残念です。今回歩いていても、イメージしにくかったですね。
 それと、せっかくですので最後は卯吉の冥福を祈るため、墓参りで〆てほしかったですね・・・。(墓について教示はなかった)
 また、昨今の不景気のせいなのか、以前からですが商店街に人通りも少なく、活気がないのが気になりました。「町おこし」の一環で今回のツアーも企画されたようです。
 今回は「バラバラ殺人」というショッキングな最期を遂げた人物の足跡?を辿りましたが、それとは対照的にのどかな昼下がりの町歩きとなりました。
 なお、展示は18日(月)までですのでご興味のある方はぜひご覧になってみてください。


 関連記事 黒駒勝蔵対清水次郎長~時代を動かしたアウトローたち(山梨県立博物館)



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甲府城(日本100名城)

 甲府にやってきたので、久しぶりに甲府城に寄りました。
 甲府城は本能寺の変後、徳川家康の支配となり、城代として平岩親吉が置かれますが、その後豊臣秀吉が家康を関東に移封させ、羽柴秀勝を配置。その後、加藤光泰を城主としますが光泰は文禄の役で陣没したため、浅野長政・幸長父子が後任として入り、城を整備しました。
 関ケ原合戦後、浅野氏は紀伊和歌山に領地替えとなったため、再び徳川家康の支配下となり、その後徳川義直(家康9男)→徳川忠長(家光弟)→徳川綱重(家光2男)→柳沢吉保→柳沢吉里と城主が代わり、享保9年(1724年)に吉里が大和郡山へ転封されたため、以後甲府は幕府の直轄地となり、甲府勤番が置かれるようになりました。

 初めて甲府城に来たとき、個人的にはあまりパッとしない印象の城でした。夕暮れ時、城址にある「謝恩塔」の下で高校生ぐらいのカップルが肩を寄せ合い、語らっている姿がなぜか今でも思い出されます(笑)
 ところが、その後山梨県によって復元工事が行われ、往時の姿を取り戻しつつあります。


 城の南側、「遊亀橋」から眺めた城址。現在は「舞鶴城公園」となっており、市民の憩いの場所でもあります。
 甲府城遊亀橋


 鍛冶曲輪門 1997年(平成9年)復元 ※2009年撮影
 甲府城鍛冶曲輪門


 稲荷櫓 2004年(平成16年)復元 
 甲府城稲荷櫓


 稲荷櫓の2階に甲府城の模型があります。これを見ると、甲府城の全貌がよくわかります。
 甲府城模型


 現在、100名城のスタンプは稲荷櫓に置いてあります。(職員の人に申し出る)
 今にしてみると、100名城のスタンプ集めもけっこう昔のことのように感じられます・・・。※2009年撮影
  甲府城スタンプ


 本丸天守台
 甲府城天守台


 久しぶりに天守台に登ってみましたが、冠雪した富士山がよく眺められました。以前来た時は気づかなかったです。冬だからきれいに見えたのかも。
 富士山(甲府城)



 今回、本丸の「鉄門(くろがねもん)」が復元されたことを知りました。今年の1月から公開されているそうです。
 甲府城鉄門2

 「鉄門」の内部の様子。まだ新鮮な木の香りが漂ってました。
 甲府城鉄門1


 甲府城址は中央本線で分断されています。(北側から2009年撮影)
 甲府城遠望


 線路を挟んで北側の城址も2007年(平成19年)に復元され、「歴史公園」として公開されています。
 詳細な発掘調査により復元された山手渡櫓門 ※2009年撮影
 甲府城山手門

 
 以上見てきたように、城の整備が進み、往時の姿がよみがえりつつありますので、今後の展開もとても楽しみです。JR甲府駅からも歩いて数分ですので、アクセスも楽ちんです。
 


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日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
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歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
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