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姫路城2012

 主人の両親が次々に入院してから数日たちますが、まだ退院のめどがたっておりません(泣)
 今日もこれから、病院へ顔を出してまいります。


 ところで、入院でバタバタする直前に、姫路(兵庫県)へ日帰りで行ってきました。

 姫路といえば、やはり世界遺産「姫路城」。2009年より5年計画で、現在大天守の保存修理を実施中です。
 下の写真のように、大天守が城が描かれている囲いでスッポリと覆われてしまっております。
 
 「姫路城」の石碑の横に、黒猫がちょこんと佇んでいました。さっそく撮影と思ったら、いきなり後ろからガキが来てちょっかいだしたら、猫はすぐに逃げてしまった。城内は野良猫がいっぱい。猫の目が光っていて、ちょっと異様に見えます。
 いつもは観光客でいっぱいなのに、この日は閑散としていてさびしかったです。
 姫路城3

 東側より。工事用の足場が組まれています。鹿島建設ほか2社が工事を請け負ったようです。
 姫路城1

 

 やむを得ないことながら、なんだか味気ない感じ・・・。
 姫路城2

 
 別名「白鷺城」の名の通り、再び優美な姿を見せてくれることを願って待ちましょう。この写真はお気に入りです。(2006年秋撮影)
 姫路城4



 ところで、先日NHKより2014年の大河ドラマが「軍師官兵衛」(主演・岡田准一)に決まったと発表がありました。

  駅前のビルでは、すでに歓迎ムードの垂れ幕が。
  軍師官兵衛1
  軍師官兵衛2

 駅構内の観光案内所には、主人公・黒田官兵衛の兜のレプリカが展示されていました。
  軍師官兵衛3


 私もしばらく姫路へ来ていなかったので存じあげませんでしたが、以前より大河ドラマ誘致活動をやっていたみたいですね。それが今回実ったという形でしょうか。
 それにしても、たしかに官兵衛は当初姫路にいて、秀吉に姫路城を譲るのですが、現在の姫路城は後年池田輝政が築いたものですからねえ・・・。




 関連記事 【速報】2016年NHK大河ドラマの主人公は黒田官兵衛(主演 岡田准一さん) 再掲・黒田官兵衛の墓

 
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おしらせ

 主人の両親が二人ともほぼ同時に入院してしまいました(泣)しかも、別々の病院です。
 すみませんが、3日くらい休ませていただきます。
 ご訪問、コメントのお返事等遅れますので、宜しくお願いいたします。
 先ほど一人入院させてきたのですが、病院はものすごく混雑していました。季節の変わり目ですし、皆様もお体ご自愛ください。


   新潟で出会ったぬこ
  新潟のぬこ


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織田信長と美濃・尾張(岐阜市歴史博物館)

 岐阜県岐阜市にある岐阜市歴史博物館では、現在共催特別展
「織田信長と美濃・尾張」を開催中です。
   織田信長と美濃・尾張

 【展示趣旨】
 天文3年(1534年)、尾張で生まれた織田信長は、永禄10年(1567年)岐阜に入城し、天下に大きくはばたきました。
 天正10年(1582年)本能寺の変で信長はその激動の生涯を終えましたが、その夢は豊臣秀吉・徳川家康へと引き継がれ、戦国時代に終止符を打つことになったのです。

 信長が岐阜を拠点にしたのは天正4年まででしたが、岐阜は織田家の家督を譲られた信忠の居城として存続しました。
 天正5年以降、織田軍の軍事行動では信忠が総指揮をとるようになり、初花をはじめとする茶道具の名品も信長から譲られています。本能寺の変により実現しませんでしたが、「天下」すらも信長から信忠に譲られる予定だったのです。
 本展では美濃・尾張が育んだ信長に注目するとともに、信忠にも注目し、この時代、美濃・尾張がどのような役目を担ったのかも考えます。



 
 本展示ですが、上記の展示趣旨にある通り、美濃、尾張に伝わる織田信長・信忠父子の遺品が中心となっています。会期終了が今月15日(月)と迫っていますので、お近くの方はこの週末ご覧になってみては如何でしょうか。
 内容的にはまとまりがあり、個人的にはけっこうおもしろく拝見しました。
 今回は信長の嫡男・信忠についても取り上げるというふれこみだったのですが、思ったほどは資料が出ていなかったです。
 期間限定で展示されていた下の写真。 
    唐物肩衝茶入「初花」(重要文化財)
   P9161182uy.jpg

 これはかつて、室町幕府八代将軍・足利義政が所有していたものですが、後に信長が手に入れた茶器の逸品です。信長は家督を信忠に譲ると共に、この「初花」も信忠に譲っていました。
 しかし、「本能寺の変」により信忠は死に、「初花」も行方不明になりますが、その後、ある者がこれを入手し、徳川家康に献上します。その後、「賤ヶ岳の戦い」の先勝祝いとして家康が豊臣秀吉に献上。秀吉の死後は宇喜多秀家が相続しますが、関ケ原合戦後再び家康が手にしたという、数奇な運命をたどった名品なのです。
 今回の展示の目玉になっていましたが、私は過去に2,3度見たことがありましたが、この品を名だたる人物たちが手にしたことを思うと、ある種のロマンを感じます。
 最近は歴史コミック「へうげもの」の影響で、若い人でもいわゆる「大名物」に関心を寄せる向きも増えているようです。
 
 その他、新出資料で本能寺の変直後の緊迫した状況下で書かれた柴田勝家の書状が出ていました。

         ※図録あり


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  岐阜市歴史博物館
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【速報】2014年NHK大河ドラマの主人公は黒田官兵衛(主演 岡田准一さん) 再掲・黒田官兵衛の墓

 先ほど帰宅して、ネットのニュースを見ていたところ、再来年(2014年)の大河ドラマの主人公と主演の方が発表になったようです。


平成26年のNHK大河は「軍師官兵衛」、主演は岡田准一さん
2012.10.10 16:22 [TVドラマ]

 NHKは10日、平成26年に放送する大河ドラマに、戦国時代に活躍した黒田官兵衛を主人公にした「軍師官兵衛(かんべえ)」を制作すると発表した。主演は俳優で人気グループV6の岡田准一さん(31)。

 官兵衛は負け知らずの天才軍師として織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった天下人(てんかびと)に重用された人物。ドラマでは官兵衛の信仰や信義を貫いた生涯が描かれる。

 脚本はオリジナルで、テレビドラマ「OUT」やNHKドラマ「氷壁」「陽だまりの樹」などを手がけた前川洋一さんが担当する。
                 (MSN・産経ニュースより)


 
 ふーむ。(´・ω・`)
 数か月前から、ジャニーズ事務所の若手人気俳優さんが内定しているという噂はネット上で出てましたけど、まさか岡田さんとは・・・。少々驚きました。
 それにしても、黒田官兵衛(孝高・如水)とはまた渋い感じです。
 信長、秀吉、家康の「天下人」と関わりある人物となると、この辺りが妥当なのかな?とも思います。(そろそろ縁ある武将たちも一巡してしまった感じですし)
 
    黒田孝高

 このところ、官兵衛の人生においてハイライトのひとつである、「高松城水攻め」を書いてきましたので、このニュースはまさにタイムリーな印象があります(笑)
 
 ところで黒田官兵衛の墓ですが、以前このブログでも紹介させていただきました。

 過去記事⇒黒田如水の墓

黒田如水の墓
       (博多・崇福寺にて)


 博多へ行く機会もそうそうないので、あの時墓参をしておいて本当に良かったです。
 

 ところで脚本が前川洋一さんということですが、割と良い脚本を書かれているようだから今度こそ大丈夫かな。
 完全オリジナルということですが、本来は原作があったほうがいいように思いますけどね。
 ドラマの質を決めるのは、やはり演出よりも脚本の出来に尽きます。良い脚本が、演じ手を育てていくとも言えます。
 くれぐれも、「江」や今年の「平清盛」(また視聴率一ケタだそうです)のようにならないよう、お願い申し上げます。

 まずは速報まで・・・。

 【お詫び】上記記事で、「2014年大河ドラマ」の記述を誤って、長らく「2016年」と記載していました。
 訂正してお詫び申し上げます。


 
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「玉乗り」する狛犬・・・備中高松城(五)

 秀吉得意の突貫工事「蛙ヶ鼻築堤跡」・・・備中高松城(四)のつづき


 これまで備中高松城址とその周辺を見てきましたが、羽柴秀吉の陣所に行かれなかったので、ちょうど熊本へ行った直後でもあり、最後に秀吉麾下の武将であった加藤清正の陣所跡だけ見て帰ることにしました。

 JR足守駅のすぐ近所に、「生石(おいし)神社」があります。ここが加藤清正の陣所跡だったということです。
 高松城から見ると、北西の方角に位置します。
生石神社3

 神社自体は1200年くらい前からある古い氏神様だとか。(現地案内板)
生石神社2


 神社は木々に囲まれた岡にあるのですが、木々の隙間から足守川が見えました。当時はこれほどは木々で覆われていなかったでしょうから、現在より見晴は良かったであろうと思われます。
生石神社1


  階段途中にあった「玉乗り」する狛犬。ちょっとめずらしかったのでパチリ。
  てっきり近年のものかと思ったら、幕末に奉納されたものだそうです。
  生石神社4


 神社から足守川沿いを歩き高架をくぐったすぐ先に高松城水攻め時の水取り入れ口の石碑があります。ここが秀吉が築かせた堤防の西端にあたります。
高松城水攻門前水引口


 以上で備中高松城史跡巡りは終了です。お城だけならせいぜい一時間程度で見学できますが、城周囲の陣所跡などをみると3,4時間くらいはゆうにかかってしまうでしょう。
 また今回はパスしましたが、高松城から南西の方向には毛利勢の陣所があり、城からは5km以上離れています。本能寺の変後、明智から毛利へ遣わされた密使が秀吉の陣所に迷い込んで捕えられたため、秀吉はいち早く信長の横死を知ったという有名な話がありますが、各々の陣所の距離が相当離れていることを考えると、この話がはたして真実なのかどうか・・・等々、いろいろ考えさせられます。


  
より大きな地図で 生石神社 を表示



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おしらせ

 ブログは岡山旅行の途中ですが、急な所用により、3日くらい休ませていただきます。。。


  にらめっこするぬこ
 にらめっこするぬこ


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秀吉得意の突貫工事「蛙ヶ鼻築堤跡」・・・備中高松城(四)

 つづき

 高松城主・清水宗治を慕って二人の軽輩が差し違えて死んだという「ごうやぶ」の背後に、羽柴秀吉が本陣を追いたという石井山というなだらかな山が見えます。
 本当はここまで行ってみたかったんですが、本陣までの行き方がわからなかったのと、同行した主人が熱中症になりそうな感じがすると言い出したため、この辺りで史跡巡りを中止することにしました。
 写真をご覧になればわかりますが、この日はいい天気で、かなり暑かったので仕方ないですね・・・。またの機会にリベンジしたいと思います。
ごうやぶ2

 
 「ごうやぶ」の南東側にでっかい鳥居があり少々驚く。「高松最上稲荷」(妙教寺)というこの辺では有名なお寺さんの鳥居だそうで、昭和47年に建てられた高さ27.5m、柱の直径4.6m、総重量2800tの規模のもの。
 実はこの辺りは昔大雨の時に雨水を越流させる「水通し」であったことから、「水越し大鳥居」と呼ばれているようです。
 ちなみに、最上稲荷には清水宗治が信仰したという「妙見菩薩」が今も安置されているそうです。なおお寺さんは鳥居から北へ約3KMほどのところにあります。

  参考サイト 最上稲荷HP 

水越し大鳥居


 水越し大鳥居のすぐ近くにある蛙ケ鼻(かわずがはな)築堤跡。
 黒田孝高の献策により、前代未聞の「水攻め」を決意した秀吉は蛙ヶ鼻から約3KMにわたる堤防をわずか12日間!で完成させたという話が伝わっています。「墨俣一夜城」ではありませんが、突貫工事は秀吉の十八番ですね。
 蛙ケ鼻は秀吉が築いた堤防の東端にあたり、わずかに当時の面影を残していますが、現在は歴史公園として整備されております。
蛙ヶ鼻築堤跡3

 
 現地案内板(クリックで拡大します)
蛙ヶ鼻築堤跡6


 現在地。この付近に黒田孝高の陣があった模様。
  蛙ヶ鼻築堤跡2


 築堤跡の標柱と石碑。
  蛙ヶ鼻築堤跡5

 
 水攻めの築堤は、基底部20~24メートル。上幅10~12メートル、高さ7~8メートルの大きさであったといいます。その目安?ともなる、高さ表示板が設置されてありました。
  蛙ヶ鼻築堤跡1


 以前、この付近を発掘調査した際、抗列や土嚢を施設したと考えられる凸凹が見つかりました。下の写真はそれを再現したものです。
 蛙ヶ鼻築堤跡4


    ****************************


 高松城址公園から備中高松駅へ向かう道の途中に「史蹟舟橋」があります。
 高松城の周囲は沼地であったため、周囲と城をつなぐ道は戦になった時攻められないように、川舟を並べ、その上に板を渡した程度の「舟橋」であったと伝えられています。(現在はご覧の通り、小さなコンクリート製の橋です)
舟橋



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                       つづく

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城主・清水宗治の死・・・備中高松城(三)

 つづき

 羽柴秀吉による鮮やかな水攻めに、毛利方の城主・清水宗治以下5000人が籠る備中高松城は孤立しますが、水面下で秀吉方も毛利方も互いに「落としどころ」を探っていました。
 そのさなか、6月2日未明、京の本能寺にて織田信長が明智光秀に討たれるという大事件がおこります。(「本能寺の変」)
 信長の悲報を知った秀吉は主君の弔い合戦に臨むため大至急京へ引き返すことを決意。毛利方に悟られぬよう、早急に和議を成立させるべく、城主・清水宗治の切腹をもって城兵の命は助けるとし、毛利方もこれを受け入れます。従来、宗治の切腹は毛利方の使者・安国寺恵瓊が関与していたとされてきましたが、実のところは城兵の命を救うために宗治自身が申し出たようです。

   清水宗治

 
 6月4日、家臣らと別れの宴を開いた後、秀吉が差し向けた小舟に乗った宗治は秀吉の本陣の近くまで漕ぎ寄せ、
「川舟を とめて逢瀬の浪枕 浮き世の夢を見習はしの 驚かぬ身ぞはかなき」
という「誓願寺」の曲舞を謡い、舞ったといいます。そして、
 「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」
 の辞世をしたため、切腹しました。享年46歳。宗治の兄・月清入道と二、三の家臣も後を追いました。

 宗治主従を介錯した家臣・国府市之允は主人の首を秀吉方の検視役・堀尾吉晴に渡すと、首なき遺骸と共に城へ帰り、池ノ下丸に穴を掘り遺骸を葬ると、自らその場で首を掻き切って殉死したといいます。
 宗治の胴塚は城址公園の駐車場の西50M付近の民家の中にあります。
清水宗治胴塚


 駐車場に面した道路沿いに「清水宗治自刃の地」の標柱がありますので、この先へ歩いて行ってみます。
  清水宗治自刃ノ地1

 
 「星友寺」(日蓮宗)というお寺がありますが、ここにはかつて三の丸の総門があったそうです。
 水攻め後、高松城を預かった宇喜多氏の家臣・花房氏がこの寺を建立しました。
高松城総門跡

 
 星友寺のすぐ東隣に、「清水宗治自刃の地」の供養塔がありました。
 ここにはかつて妙玄寺という寺があり、その庭地に築いたそうです。現在、寺は廃寺?になっている模様。
 古い地図には位牌堂もあるように書かれていますが、そのようなものは見当たらず、隣の星友寺さんにお聞きしたところ、別の寺に移されたのでは?というような話をされていました。
清水宗治自刃ノ地2

 
 星友寺の真向かいにある「ごうやぶ」(真ん中の木が植わっているところ)
 清水宗治の切腹を前に、宗治の兄・月清入道の馬の口取をしていた与十郎と、宗治の草履取りの七郎次郎が「我らもお伴つかまつる」と互いに差し違えた場所だといいます。
 このほかにも、宗治に殉死した者が続いたといいますので、宗治は家臣たちから慕われていたことがわかります。
ごうやぶ


                   つづく

  
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より大きな地図で 清水宗治自刃の地 を表示




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名を高松の苔に残して・・・備中高松城(二)

 400年ぶりに咲いた「宗治蓮」・・・備中高松城(一) のつづき


 この橋を渡った先が高松城の本丸になります。
備中高松城2


  国史跡「高松城址 附水攻築堤跡」の標柱
  史跡・高松城址

  

 現在はただの広場?になっています。水攻めの頃には、本丸の北側に城主の居館があったそうです。
 城主・清水宗治が籠城策を採った際、場内には5000人(農民が多かったらしい)もの人で溢れかえり、その上敵方から水攻めに遭って城は孤立し、たちまち兵糧が尽きていったといいます。
備中高松城本丸5



 ここには高松城主であった清水宗治の首塚があります。秀吉からの講和条件を受諾した宗治は、天正10年6月4日切腹しました。享年46歳。
  清水宗治肖像


 元々は羽柴秀吉が陣を置いた石井山にありましたが、明治42年(1909年)に現在地へ移されたということです。
 移転にあたり元々の首塚の下を掘ったところ、首甕のようなものと歯が3本、短刀3片、土師器の盃が出土したので、この新しい首塚に祀ってあるそうです。
清水宗治首塚2

  首塚拡大
  清水宗治首塚1


 清水宗治辞世
「浮世をば今こそ渡れ武士(もののふ)の 名を高松の苔に残して」
  備中高松城本丸1
  


 「清水宗治城跡ノ碑」子爵・毛利元徳の揮毫によるもの。建立したのは毛利家の家臣であった宗治の子孫の方だそうです。残念ながら文字は摩耗していて、判読しにくい。
  備中高松城本丸4


  本丸跡の隅っこにあった祠。宗治を祀っているのでしょうか???
  備中高松城本丸2


 
       ********************

 
 高松城二の丸跡
備中高松城二の丸



 高松城三の丸跡 城址公園の駐車場の向こう側が三の丸跡だということです。(現在は民有地)
備中高松城三の丸


 ものの20分程度あれば、ここまで見れてしまいます。


                           つづく


 参考文献 『備中高松城の水攻め』市川俊介著 (岡山文庫 184))
      高松城址資料館パンフレット


 
  
より大きな地図で 高松城址 を表示


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400年ぶりに咲いた「宗治蓮」・・・備中高松城(一)

 織田信長の天下統一への過程で、障壁の一つとなっていたのが中国地方の雄・毛利氏でした。
 これを攻略すべく、信長は股肱の臣である羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に中国攻めを命じます。
    豊臣秀吉


 秀吉は姫路に本拠を置き、天正8年(1580年)には別所長治の三木城を、天正9年(1581年)には毛利方の城将・吉川経家の寄る鳥取城を落とし、兵を進めます。
 いよいよ山陽道から毛利氏の本拠である安芸を目指そうとした秀吉軍でしたが、毛利氏との攻防の最前線となったのがこれから紹介する備中高松城です。


 【高松城の水攻めとは】 
 秀吉は得意の調略で毛利方の高松城主・清水宗治を籠絡しようと試みますが宗治はこれを断固拒否したため、天正10年(1582年)4月、秀吉は3万の大軍を率いて高松城に押し寄せ、和戦両様の構えで対峙します。
 ところが高松城は周囲を沼地と湿地に囲まれた鉄壁の構えを備えており、攻め手を欠いた秀吉は近くを流れる足守川を上流で堰き止め、突貫工事で堤防を築いて城を取り囲み、水没させました。この前代未聞の秘策を提案したのは、竹中半兵衛亡き後秀吉の「知恵袋」となっていた黒田孝高(官兵衛 出家後「如水」)であったといわれています。
    黒田孝高

   
 ところが、この戦のさなかの6月2日未明、京で「本能寺の変」がおこります。主君信長の悲報を知った秀吉は、毛利方にさとられぬよう、城兵を助ける代わりに城主・清水宗治の切腹を絶対条件として提示。翌々日の4日に宗治は切腹します。
 接収した高松城にはわずかな兵を残し、秀吉は信長を討った明智光秀を追討するため、東上の途につきます。秀吉軍は驚異的なスピードで京を目指して引き返しますが、これが世にいう「中国大返し」です。秀吉の人生で最大のターニングポイントとなったのは周知の通りです。
 


 備中高松城は陣屋町・足守の南東、車で10分くらいの所にあります。
 城跡は整備され、現在は公園となっています。
備中高松城1

 
 備中高松城跡(国史跡)※クリックで拡大します。
備中高松城3



 まず、公園内にある蔵造りの資料館へ行きます。
 管理人の方がおられましたが、ちょうど夏の甲子園の野球中継に夢中で、説明してくれる気配もなさそうな雰囲気。(私より先に来ていた客には説明していたんですが・・・)説明してもらうのは諦めて、お邪魔にならぬようそそくさと見学。
 ここで高松城に関する小冊子が販売されていたので購入。その他、無料でもらえる史跡マップなども置いてあるので一応もらっておきましょう。
高松城資料館1


 毛利方の備中高松城主・清水宗治像(平川忠氏制作)
 秀吉の水攻めに遭い、窮地に陥った宗治は城兵の命を助けることを講和条件として、切腹しました。
  清水宗治銅像


 高松城周辺の写真。(クリックで拡大)これを見ると、周辺の位置関係が把握できると思います。
高松城資料館

 

 高松城攻めの位置関係を示した地図(クリックで拡大)
 秀吉方、毛利方の配置が把握できると思います。羽柴秀長、黒田孝高、加藤清正、山内一豊、吉川元春、小早川隆景などおなじみの武将の名も見えます。
  高松城資料館2

 
 小さな資料館でしたが、その他いろいろ資料が展示してあったので見ておいて損はないと思います。
 ただし、資料館の開館時間は午前10時から午後3時まで(月曜休)と短いので、ご注意ください。


 資料館を出て右手の方へ行くと、蓮沼に囲まれた高松城の本丸跡が見えてきます。 
備中高松城2

 
 昭和57年(1982年)に岡山市が戦国時代にあったとされる沼の復元をしたところ、土中に眠っていた蓮が再び芽を吹き、花が咲いたというのです。
 実に400年ぶり!に蘇ったこの蓮を、地元の人々は「宗治蓮」と名付け、毎年7月下旬ごろが見頃だそうです。
宗治蓮1


 
 この日はすでに8月でしたので、すでに蓮の開花のピークは過ぎていまして、ほとんどがハチス(果托)の状態になっていましたが、わずかですが咲いている花を見つけたのでラッキーでした。
 蓮の花は仏教にもつながり、清らかな印象がありますし、城主の悲劇的な死ともあいまって、神秘的な感じがしました・・・。
宗治蓮2


 満開だとこんな感じ⇒【岡山市ホームページ「宗治ハス蓮見会のご案内】になるそうです。


 この後、城跡をめぐります。    つづく



   
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   高松城城址公園資料館 電話086-287-5554
  
より大きな地図で 備中高松城址公園資料館 を表示





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日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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