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VIVA!(・∀・) ロンドンオリンピック

 ロンドンオリンピックが開幕し、各種目で熱戦が繰り広げられています。
 今回は主催地がロンドンということで、日本との時差があるので、生中継は深夜放映されており、さすがに寝不足気味となっております。

 柔道や体操、競泳等前半の花形種目はほとんど見るようにしていますが、柔道、体操(団体)は今ひとつ実力を発揮できていない印象で、一方競泳はメダルラッシュで堅調なスタートのように思います。
 それから、事前にあまり騒がれていなかった地味目?な種目でメダルを獲得していたりして、マスコミ報道はあまりアテにならないことをつくづく思いました。

 柔道は昨日、女子57kg級で松本薫さんが日本人として今大会初めての金メダルを手にしました。たまたま二回戦あたりから中継を見ることができたのですが、終始積極的な戦いぶりはあっぱれでした。表彰式でようやく「君が代」が聞けたのもうれしかったです。

 日本の「お家芸」である柔道ですが、今日も男女2選手が早い段階で負けてしまい、中継を見る楽しみがなくなってしまいました。
 やっぱり、他国もオリンピック向けに入念に準備してきており、そう簡単には勝たせてくれません。また、審判の問題等、後味がよくない試合が少なくないように思います。
 
 しかし、会場を見渡すと、多くの日本人が日の丸の旗を持って応援に駆け付けていますし、中には外国人が日の丸入りのハチマキを身に着けていたり、日の丸扇子を振りつつ声援を送っている姿がけっこう見受けられました。それだけ、コアなファンがいらっしゃるのですね。
 なんですが、こういう光景を見ていると、自然目頭が熱くなるのを覚えました。
 日本のメダル獲得が厳しくなっているのは残念ではありますが、「柔道」がもはや世界的スポーツとなっているは事はある意味喜ばしいことなのかもしれません。
 
 これまで同様、会期終了までしばらく「オリンピックモード」になりそうです。日本人各選手の健闘を期待しています。



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謙信公の「かちどき飯」その一

 話が前後しますが、高田城へ行く前に、手前のJR直江津駅で途中下車しました。

 直江津駅

 直江津駅より車で10分強ぐらいのところに上杉謙信の居城であった春日山城があります。春日山城は国内でも最大規模の山城として知られていますが、私は5年前にこの城を訪れています。(今回は時間の都合で寄ってません 下の写真のみ、2007年撮影)

    上杉謙信像(春日山)


 
 実は春日山城を望む直江津の町に、謙信が生きた戦国時代の料理を再現し、食べさせてくれるお店があると聞いて行ってきました。

 直江津駅より歩いて12,3分くらいの所にある日本料理店「松風園」

 聞くところによると、このあたりでも老舗の料亭のようで、ちょっと敷居が高い印象です。
 松風園1


 先だって予約を入れておいたので、お庭の見える一室へ通されました。
 松風園2

 
 今回頂くお料理は、題して「謙信公のかちどき飯」
 以下、パンフレットの記載によりますと

 “「謙信公のかちどき飯」とは・・・” 
 ◆上杉謙信の日常の食事は一汁一菜の質素なものでしたが、ひとたび出陣となれば、飯を山のように炊かせ、部下将兵に山海の幸をふんだんに振る舞ったと伝えられます。
 謙信が勝利のかちどきを挙げることを願って用意した料理とはどんなものだったのか。当時の文献にのっとり、当時の食材、調理法でつくりました。

 とのことです。つまり、戦国時代の饗宴料理ですね。
 
 同店では①謙信公の膳(14品 5000円) ②毘の膳(9品 2500円) ③龍の膳(6品 1500円)の三つのコースを提供していますが、今回はランチということで、数日前に②の「毘の膳」を注文しました。

 仲居さんいわく、「このお料理には“醤油”と“砂糖”を一切使用していないんですよ」とのこと。
 はてさて、どんな料理が出てくるのでしょう!?


 まず出てきたのが、「けずりもの」 
 「けずりもの」とは、干した魚鳥を削ったり酒に浸したもので、平安時代にはすでにあったそうです。戦国時代の酒宴の献立に欠かせない一品だったとか。
 ここではスルメと鰹節を「煎り酒」に浸したものが出てきました。
 「煎り酒」というのは、酒に鰹節と梅干を入れて煮詰めた当時の調味料です。
 
 実は私、スルメが苦手で、一口二口いただいてみましたが、酒の肴に合っているかなあいう印象です。
 左党の方にはおすすめです。
  毘の膳2


 「戦国刺身」(白身魚2種、くらげ)
 春日山城は海から2.5kmの所にあったせいか、当時からお刺身を食べていたようです。
 ただし、腐らないように魚は酢で〆てあります。この日は鯛とヒラメだったかな。

 現在では、お刺身は醤油につけて食べますが、戦国時代にはまだ醤油が存在しなかったので(!)、ずんだ酢や「煎り酒」につけて食べていました。
 ずんだ酢は枝豆をペースト状にしたものでしたが、これがとても美味しかったです。辛みのほしい人のために、わさびや山椒が添えてあります。
 
 毘の膳1


 「炙り焼き」
 合鴨の胡桃炙り、きすの焼き浸し、川エビ、串芋(里芋)
 松の実味噌をつけていただきました。

 毘の膳6

 
 「糠味噌煮」
 鰯、なす、筍、蒟蒻の味噌煮。糠味噌とは、味噌の分量を増やすために、糠を味噌の仕込みの時にいっしょに入れて作ったものだとか。
 さっぱりした味わいの煮物でした。
  毘の膳4


 「胡桃浸し」
 はすいも等、季節の葉野菜を胡桃で和えたもの。砂糖が貴重品であった当時は、胡桃が甘味料の代わりとなっていました。
  毘の膳5


 「黒米」と「集め汁」と「香の物」
 黒米は当時の武士の主食である玄米のことです。
 集め汁とは現在でいう味噌汁で、干し魚(小魚)、ズイキ、ごぼう、ネギなどが入っています。
  毘の膳3


 水菓子
 最後に季節の果物(この日はリンゴ)が出ました。
 メニュー表によると、「水菓子後も膳が次々と出され、酒宴は延々続きました・・・」えーっ、まだ食べるのか(゜Д゜;)
  毘の膳7


 以上、一時間くらいかけてゆっくり頂くことができました。
 料亭だけあって、やはり一品一品が丁寧でしたし、料理をのせた器も趣がありました。
 「醤油」と「砂糖」を使わない料理の味わいが当初予測がつかなかったんですが、薄味であっても食材本来の旨みが引き出されているといいますか、美味しくいただけるものだと感心しました。
 春日山城で勝利の美酒に酔いしれる将兵らの姿がおぼろげながら想像できました。


 
 なお、この「かちどき飯」は食材の都合上、来店の4日前位までに要予約のようです。
 (詳細は同店までお問い合わせください)



    松風園  上越市中央5-12-18 電話025-543-2154
 
   
より大きな地図で 松風園 を表示

 

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「マッカーサー記念室」見学

 先週のことになりますが、東京日比谷にあるDNタワー21内の第一生命本社にて、「マッカーサー記念室」が期間限定で一般公開されると聞き、見学に行ってきました。

 皇居を望むお堀端にあった旧第一生命館は、敗戦後の昭和20年(1945年)9月、聯合国軍に接収されました。同館の社長室は、聯合国軍総司令官・ダグラス・マッカーサー(1880~1964年)が執務室として使用することになりました。
 第一生命ではその後、マッカーサーの執務室を「マッカーサー記念室」として現在まで保存してきました。

 実は、この記念室は以前は一般公開されていましたが、2001年9月にアメリカでおきた911同時多発テロの影響で、現在まで非公開になっていました。
 私は5,6年前にそれと知らずに第一生命本社に問い合わせしたところ、「テロの危険性があるため、“記念室は”無期限で非公開としております」と広報の人に言われました。
「それはわかるのですが、私は御社の保険商品にもう十数年以上加入しているので身元は確かだと思うんですが・・・」と食い下がったのですが、やはり見学不可と言われ、諦めたのが思い出されます。

 今回の一般公開は同社が今年の9月に創立110周年を迎えること、この7月にGHQより返還されてから60周年の節目の年ということで、実施の運びとなったものです。

 前置きはこれくらいにして、「マッカーサー記念室」を見てみることにしましょう。

 朝10時半から公開というので、それに合わせて出かけていったところ、もうすでに早朝から並んでいた人が多数いたとかで、同館1階の受付で整理券を配っていました。
 無常にも「午後1時50分」の部になってしまい・・・いったん自宅へ帰り、再度出直す羽目に。二度手間になってしまいました。
 社員の方に聞いたところ、NHKやフジテレビのニュースで紹介されたため、予想以上の人出になってしまったと言っていました。


 戦前からこの場所にある第一生命ですが、平成5年に建物が改修され、新たに「DNタワー21」として再出発しました。
 聯合国側は接収時に本部として利用すべく、皇居付近のいくつかのビルをリストアップしていたようですが、最終的に第一生命館がマッカーサーの目に留まりました。聯合国が利用しようとしていたビルは空襲対象から外していた節がみられます。
 同館では「日本国憲法」の元となった「GHQ草案」が作られるなど、占領支配の舞台となりました。

 DNタワー21a


 1Fホールでは「第一生命の歩み」についてパネル展示がされていました。
 DNタワー21b


 「マッカーサー記念室」見学はキャパや警備の都合上、一日200人限定でした。
 整理券に記された午後1時50分に一階ホールに並び、順番に6階の記念室へ案内されました。

 記念室の広さは約54平米。周囲の壁はアメリカ産くるみの木で出来ており、床は寄木細工となっています。
 マッカーサーは即断即決の人で、仕事を持ち越さないために、あえて引出のないこの机を用いていたといわれています。
マッカーサー記念室5


 マッカーサーが座った椅子。以前一般公開されていた際、見学者がやたら腰掛けようとするのでご覧の通り傷みが激しくなってしまいました。
 今回もペタペタ触る人がいて、警備員さんに注意されていました。 
  マッカーサー記念室1

 
 マッカーサーの胸像
   マッカーサー胸像


 英国人画家・オルドリッジが描いたヨットの絵。マッカーサーはヨット好きだったため、執務室に2枚ヨットの絵を飾っていました。
  マッカーサー記念室2
  マッカーサー記念室7


 マッカーサーが座右の銘としていた「青春の詩」(サミュエル・ウルマン作)の碑
  マッカーサー記念室3


 ドアを隔てた隣室は第一生命創業期関係の資料室になっていましたが、時間が無くなってしまい、あまり見れませんでした(泣)
  マッカーサー記念室6


 第一生命館玄関前で撮影されたマッカーサーの写真(1946年1月1日)
  マッカーサー記念室4

 
 
 見学できたのはわずか15分程度でしたが、なんとか写真を撮影することができました。
 この日は平日だったせいか、見学者のほとんどが「団塊の世代」以上とみられるご年配の方でした。終戦時まだ幼い子供だったか、あるいはマッカーサーが駐留中に生まれた人たちという感じです。
 
 皇居周辺の一等地は土地の有効活用のため、古い建物というのはすぐ取り壊されてしまいほとんど残っていないのが現状ですが、同社のように一部ではありますが、我が国の歴史の一時期を偲ばせる場所をこのように保存してくださったことには敬意を表したいと思います。
 歴史を感じさせる現場というのは、そこに存在するだけで、見る者に無言の語りかけをしてきます。
 ですから、歴史的建造物の所有者の方は、後世の人々のためにも、なるべく保存していただけますようお願い申し上げます。

 それにしても、GHQの占領政策というのは、現在までも我が国のあり方に多大な影響を及ぼしていると思います。
 最近、滋賀県大津市でいじめ問題が発覚しましたが、問題視されている教育委員会も実はマッカーサーの「置き土産」なんですね。(教育委員会はマッカーサーが想起したような民主的なシステムにならずに、その後形骸化してしまった)
 憲法にせよ、教育委員会にせよ、GHQの置き土産が21世紀の我が国において行きづまりの様相を呈していることを思うにつけ、複雑な思いで同館を後にしました。


参考サイト  マッカーサー記念室(第一生命HP内


 
拝啓マッカーサー元帥様―占領下の日本人の手紙 (岩波現代文庫)拝啓マッカーサー元帥様―占領下の日本人の手紙 (岩波現代文庫)
(2002/06/14)
袖井 林二郎

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 この本は学生時代に中公文庫版で読みました。
 マッカーサーが駐留時、多くの日本人がマッカーサーへ宛てて手紙を書きました。著者によれば、その数推定50万通!といわれ、その大半がマッカーサーへ好意的な内容だったといい、彼は気に入った手紙は手元に残していたそうです。現在でも手紙はマッカーサー記念館等で保存されているということです。
 占領下の日本人が、新たな“支配者”としてやってきたマッカーサーや、かつての敵国であったアメリカに対して当時どういう印象を抱いていたかを解き明かした好著で、現在は岩波書店から復刊されています。

 
 
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旧師団長官舎

 当ブログのテーマからはややそれてしまいますが、私は旅に出ると、近代の建築物を訪ねて歩くことがよくあります。
 これからご紹介する建物もそのうちの一つです。

 旧師団長官舎 (上越市大町2丁目)
旧師団長官舎11


 明治43年(1910年)、陸軍第13師団長・長岡外史の邸宅として築かれた木造の洋館です。その後、旅団長官舎として使用されたり幾多の変遷を経て、昭和20年(1945年)の終戦後は一時米軍に接収され、自衛隊が高田に駐屯してからは平成3年(1990年)まで幹部官舎として使用されていました。
 元々は上越市南城町3丁目にありましたが、建物の保存のため平成5年(1993年)に現在地へ移築・復原したものです。
旧師団長官舎5


 長岡外史(1858~1933年)の胸像。実はこの方、オーストリア人のレルヒ少佐を招き、軍に初めてスキーを導入したことで有名です。これが日本におけるスキーの発祥とされています。
 それにしても、立派な髭です。。。(「プロペラ髭」と呼ぶらしい)
 高田には明治43年より2年半ほど滞在していました。
 この建物には長岡の意向が色濃く反映しているそうです。

  旧師団長官舎10


 それではさっそく中へ入ってみることにしましょう。

 1F食堂
旧師団長官舎6


 傍らに、「秋山好古」について書かれたパネルがありました。秋山は第13師団の第四代師団長(大正2年1913~大正4年1915)を務めていました。説明パネルはドラマ『坂の上の雲』放映時に設置されたと思われます。
 
旧師団長官舎7


 1F婦人応接室 師団長の奥さんが使用されたものでしょうか。ピンクを基調とした、やさしい印象の部屋です。
旧師団長官舎8


 1F書斎  シックな感じの部屋で、クラシカルな調度品がマッチしています。窓際の机は実際長岡が使用していたものだそうです。
旧師団長官舎1



 1F半温室 いわゆる「サンルーム」ですね。自然光がたっぷり差してきて、ここで読書などをしてくつろいだことでしょう。
旧師団長官舎9


1F男子応接室  応接間は男性用・女性用と別々なのが興味深いですね(笑)
旧師団長官舎14



 1F廊下。それでは次は2階へ。
旧師団長官舎13


 2F階段部 右方の三日月&星印が洒落ています。
旧師団長官舎2


 ステンドグラス窓 当時の物のようです。
  旧師団長官舎12



 2F座敷  2階部は1階の洋風な造りとはガラリと印象が変わって、すべてが和室になっており、プライベートな生活の場となっています。
旧師団長官舎4

 2F子供室 子供室は2部屋ありました。これも和室です。
旧師団長官舎3


 ※新しいPCを導入しましたが、どうもまだ慣れなくて、この記事を作成するのに5時間くらいかかってしまいました(泣)
  しばらく飛び飛びの更新になりそうですが、ご了承ください。

 
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テーマ : 歴史・文化にふれる旅
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おしらせ

 いきなり梅雨が明け、猛暑が到来しましたが、いかがお過ごしでしょうか。

 さて、最近我が家のパソコンが調子が悪くなり、つい先日、新しいパソコンを導入しましたが、データの移行がなかなか進まず、ブログ更新が滞る状態となっております。

 次回更新まで、もうしばらくお待ちくださいませ。


  文京区で出会ったぬこ

文京区ねこ


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高田城

 6月上旬のある日、JR東京駅より上越新幹線に乗り・・・
  上越新幹線

 越後湯沢駅で「特急はくたか」に乗り換え・・・
  特急はくたか

 さらに、直江津駅で「信越線」に乗り換えて・・・
  JR信越線

 JR高田駅(新潟県上越市)に着きました。
  P6020048.jpg


 駅から歩いて10分くらいで、高田城址(高田公園)に着きました。
    高田城3

 
 慶長15年(1610年)、徳川家康は越後福島城主・堀氏を改易し、替わって自らの6男である松平忠輝(1592~1683年)を60万石で入封させます。
 慶長19年(1614年)、忠輝の舅にあたる仙台藩・伊達政宗を普請総裁とし、近隣の13藩による助役普請により、たった4ヶ月という突貫工事で城は完成しました。
 しかし、元和元年(1615年)8月、忠輝は父・家康から不興を買い突如勘当され、翌元和2年(1616年)7月所領没収の上、伊勢国朝熊に配流されてしまいます。
 以後、酒井→松平→稲葉→戸田→久松松平→榊原氏と変遷します。

 高田城は自然の地形を活かして築かれましたが、石垣および天守閣は造られませんでした。
 明治3年の火災により本丸御殿が全焼し、翌明治4年には廃藩置県により城は破却されます。
 平成5年(1993年)、市民の願いにより本丸西南隅にあった三重櫓が復元されました。
 公園内には約4000本の桜が植えられており、イベントなども開かれて多くの観光客が訪れるそうで、桜の頃来てみるのがよさそうです。

 現在城跡は公園、および学校などの施設があります。
 下の城絵図は城が完成した松平光長時代のもの。
 高田城5

 復元された三重櫓と土塁
高田城2

高田城1


 やはり、家康の息子の城ということで、それなりのでかい城が築かれました。それは今も残っている堀の規模を見ればわかると思います。
 なお、明治以降陸軍の師団が入ってきたときに、埋め立てられてしまった箇所もあります。
 西堀
高田城4

 本城堀
高田城11
 

 本丸跡。この付近にはかつて本丸御殿がありましたが、明治3年に全焼してしまいました。
高田城10
 

 復元された極楽橋
高田城9


 三の丸跡 他の城では三の丸に家臣の屋敷が置かれることが多いが、高田城では城代屋敷や米蔵などが置かれていたといいます。
高田城8


 公園内の片隅にあった土塁跡
高田城7


 なお、高田城の本丸から南西約1kmくらいの青田川沿いにも土塁が残っていました。これが外郭のラインだと思います。
高田城6


 せっかく松平忠輝の舅、伊達政宗が音頭をとって、これだけの規模の城を造ってくれたのに、落ち着く間もなく改易された忠輝が気の毒に思われました。
 なお、忠輝はこの後、伊勢→飛騨高山→信州諏訪に移され、天和3年(1683年)92歳で亡くなりました。

   
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                                     つづく


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山形そばに舌鼓 (そば処三津屋・出羽路庵)

 鶴岡から宿泊予定の山形へ到着したのが夜の7時過ぎ。慌しく予約していたビジネスホテルでチェックインを済ませると、フロントの方が山形市街の「味めぐりMAP」のようなものをくれました。
 せっかく山形へ来たので、山形名物「芋煮」のような郷土料理を食べたくて、MAPに出ていた郷土料理の店へ行ってみました。
 宿からは20分近く歩いたでしょうか、やっとその店を見つけると、店の玄関に無情にも
「本日、貸切です」との張り紙が・・・。

 仕方なく元来た道をトボトボと戻り、やはりMAPで紹介されていた蕎麦屋さんへ入ってみます。時計は8時を廻っており、おなかはペコペコでした。

 実は私、大の蕎麦好きでして・・・しかし、山形では是非郷土料理を、とばかり思っていたものだから、正直あまり期待していませんでした。

 メニューを見て、私は「天ざる」(1600円)を注文。しばらくして料理が運ばれてきました。
 そば処三津屋1

 これが、実にウマー(´∀`)なお蕎麦でした。つるんとした喉越しで、いくらでも入る感じです。
 思わずこの後、別にざる蕎麦を追加で注文してしまいました。
 天ぷらもサクッとした食感でなかなかのお味です。

 主人の方は、シンプルに「半板そば(6山)」(1400円)を注文。当然ながらこちらも美味しく、たちまち胃袋の中へ・・・。
 そば処三津屋2

 「桜えびのかき揚げ」(350円)と大きく張り紙してあったので、おまけで注文してみましたが、ボリュームがあり、美味しかったです。
   そば処三津屋3


 いやー、山形のお蕎麦がこんなに美味しかったとは!至福のひとときでした。(*´ω`*)ゴチソウサマァ♪
私たちが入店した後も、お客さんが数人ぞろぞろと入ってきましたので、やはり地元の方たちにも好評なんでしょう。
 お土産に「そばクッキー」と「そば茶」を買って帰りました。
 

  そば処三津屋 出羽路庵 (先日紹介した三の丸土塁の裏手の神社に隣接しています)
     そば処三津屋4


 山形市街はこの他、近代の洒落た建物などがあって趣があるのですが、また長くなってしまいそうなので、今回の山形行きはこれでひとまず終わりにします。
 5月~6月と私事で取り込んでおり、なかなか更新できなかったので、そろそろ元の更新ペースに戻したいのですが・・・。気長にご覧いただければ幸いです。

 今後の予定  新潟、仙台など


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日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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