スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

上杉鷹山の墓

 国指定史跡 上杉家廟所(米沢市御廟1-5-30)。深閑とした樹齢400年の杉並木の奥に、米沢藩上杉家歴代藩主の墓があります。(拝観料大人300円)
 5年ぶり2度目の参詣となりまして、今回撮影しなおしてきました。
上杉家廟所

 廟所は上杉謙信の墓を中心として、左右交互に歴代藩主の霊屋が立ち並んでいます。
上杉家廟所2


 上杉家廟所については、以前も一度書いたことがありますのでそちらもご覧ください。
 過去記事⇒上杉家廟所

 今回は特に、米沢藩中興の祖である第九代・上杉鷹山(治憲)の墓について取り上げます。
 藩祖の上杉景勝から七代・宗房までが欅を資材として用いた入母屋造りであり、鷹山の養父である八代・重定以降は藩の財政難ということもあり、資材に杉や檜を用いた宝形造りに変更されています。つまり、資材の質を落とし、全体的に簡素な造りに変更したことでコストカットしているわけです。

 向って左が鷹山の墓、右が宗房の墓。形が違うのが一目瞭然です。なお、三代・定勝から七代宗房までは火葬で葬られ、八代重定以降は土葬に変更されております。
上杉鷹山の墓1

 
 鷹山には側室・お豊の方との間に顕孝という息子がいましたが、鷹山の養子である十代・治広の養嗣子になっていましたが、残念ながら疱瘡に罹り、19歳という若さで先立ってしまいました。わが子の若すぎる死に、鷹山は深く慟哭したといいます。
 通常なら夭折した息子は藩主の廟所には埋葬されないのですが、顕孝の場合、特例としてこの場所に葬られました。
 左手奥の小さな霊屋が顕孝の墓、その右隣が実父の鷹山の墓です。

 鷹山の有名な言葉である「成せば成る。成さねば成らぬ何事も、成らぬは人の成さぬなりけり」は、顕孝の教育係に宛てた顕孝への教育方針を示した書状の末尾に記されたもので、現在上杉博物館で開催中の特別展にもその書状の写しが展示されてありました。
 
 関連記事⇒特別展「上杉鷹山の財政改革~国と民のしあわせ~」(米沢市上杉博物館)

上杉鷹山の墓2


 関連記事  上杉鷹山の藩政改革を支えた家臣の墓


  
上杉鷹山 (人物叢書)上杉鷹山 (人物叢書)
(1987/10)
横山 昭男

商品詳細を見る


      
漆の実のみのる国〈上〉 (文春文庫)漆の実のみのる国〈上〉 (文春文庫)
(2000/02)
藤沢 周平

商品詳細を見る


      
漆の実のみのる国〈下〉 (文春文庫)漆の実のみのる国〈下〉 (文春文庫)
(2000/02)
藤沢 周平

商品詳細を見る




                      つづく


 いつもご覧いただき、どうも有難うございます。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ 
スポンサーサイト

テーマ : 国内、史跡・名勝巡り
ジャンル : 旅行

特別展「上杉鷹山の財政改革~国と民のしあわせ~」(米沢市上杉博物館)

 先月下旬、山形県鶴岡へ行った後、山形へ移動したのですが、便宜上さらにその後行った米沢の事を先に書いておきます。

 山形県米沢市にある上杉博物館では、現在特別展「上杉鷹山と財政改革~国と民のしあわせ~」を開催中です。(6月3日まで)

   特別展 上杉鷹山の財政改革

 【展示趣旨】
今の時代だからこそ「上杉鷹山」!

   上杉鷹山


 
財政難に苦しむ米沢藩の改革を成功に導いた九代藩主上杉鷹山について、博物館の常設展示室でも多くのスペースとさまざまな手法を用い概要紹介をしています。また、平成16年には、「上杉鷹山 -改革への道-」と題し、鷹山の藩政改革と人物像について特別展を開催しました。平成21年の大河ドラマ以来、直江兼続ブームに沸き、その業績を知るにつけ、あらためて鷹山について知りたいとのご要望をいただくようになりました。折しも昨年の東日本大震災後、混迷する社会を反映し、鷹山ならどのようなリーダーシップを発揮しただろうと、さらなる関心が高まったようです。
鷹山についての概括的な展示から、テーマを掘り下げてその実像に迫れるよう、このたびの展覧会では財政改革に焦点をあててご紹介いたします。誰の改革かを念頭におき、危機への備えと対応、産業の創出と流通、豪農・商人の力、養老と養育の時代等の内容で、鷹山の取り組みを検証していきます。



 米沢へは昨年2度来ており、今回は桜を見にやってきました。米沢へは数度来ておりますが、やはり米沢の町と相性が良いのか、または上杉氏が好きなんですね(笑)

 さて、上記の展示なのですが、震災後同館へは米沢藩中興の祖である上杉鷹山(1751~1822年)に関する問い合わせが多かったため、数年前も一度取り上げたにもかかわらず、今年再度企画されたということです。
 今回の展示では、特に米沢藩の財政改革についてテーマを絞って特集しております。

 大河ドラマ「天地人」でも取り上げられていましたが、上杉景勝が関ヶ原合戦後、会津120万石から米沢30万石へ減封させられ、鷹山が藩主になるまでには石高はさらに15万石にまで減っていました。
 しかし、家臣の数は“リストラ”されることなく据え置かれていたため、藩財政は益々逼迫し、とうとう米沢藩の領地を返上しようかというところにまで追い込まれていたといいます。
 そこで、鷹山とその側近は、幾人かの御用商人の協力を得るよう努力し、彼らと関係強化することで、資金を調達することに成功し、財政の健全化を図っていきました。
 有名な酒田の豪商本間家や越後の渡辺家などと米沢藩との関わりを示す史料が多数展示されていました。お世話になる豪商のもとへは、鷹山直筆の書や刀などの品々を下賜することで「ギブ&テイク」ということにしていたようです。

 また、鷹山は「福祉政策」にも熱心に取り組み、自分自身養父の上杉重定や、実父の秋月種実を看護していたそうです。そして藩士や領民にも、孝養の重要性を説き、70歳以上の藩士には手当を支給したり、領民で親に孝行を尽くした者に褒章を行ったりしていました。

 展示の中でこんな面白いエピソードがありました。
 米沢城近くの農家のお婆さんが稲の刈入れをしていた折急に夕立が来て困っていたところ、近くを通りかかった武士二人が親切に手伝ってくれました。
 お婆さんがお礼に餅を差し上げたいと言ったところ、武士はお城の北門まで届けてほしいと言い残し、後日お婆さんが餅33個を城門まで届けにいったところ、はたして助けてくれた武士の一人がお殿様(鷹山)だったことがわかり腰が抜けるほど驚いたとか。お婆さんは鷹山より褒美として銀5枚を拝領したそうです。
 なんだか、『水戸黄門』みたいなエピソードですが、鷹山という人は根っから親切な人だったのだろうと思いました。

 詳しくは同展示をぜひご覧いただきたいと思います。色々と示唆に富む内容であり、鷹山のオリジナリティあふれた改革の道筋を豊富な史料を通して浮かびあがらせています。鷹山の施策には現代社会にも通じる何かしらのメッセージを含んでいるように思えましたし、その辺に主催者側の意図も感じられました。

 展示に先立ち、NHKの「歴史秘話ヒストリア」でも取り上げられたせいか、この日も地元の方をはじめとして多くの見学者で賑わっていました。
 「国と民のしあわせ」というサブタイトルも良かったです。何より、鷹山は仁政を敷いた人であり、口を開けば増税しか言わないどこかの国の総理大臣にも爪垢煎じて飲ませたいものです。。。(呆)

 最後に鷹山の「モットー」ともいうべき、有名な和歌を記しておきます。
 なせばなる なさねばならぬ何事も ならぬは人の なさぬなりけり



 なお、別室では国宝・上杉本洛中洛外図屏風が展示されており、昨年も見たのですが、またしっかり見てきました。これはかの織田信長が上杉謙信に贈ったという由緒ある品です。(5月22日で展示終了)

                         つづく


     
上杉鷹山 ~二百年前の行政改革~ [DVD]上杉鷹山 ~二百年前の行政改革~ [DVD]
(2005/12/22)
筒井道隆、宍戸開 他

商品詳細を見る


        
NHK「その時歴史が動いた」 上杉鷹山 ふたたびの財政改革~上杉鷹山(41歳)、2度目の藩政改革に乗り出す~ [DVD]NHK「その時歴史が動いた」 上杉鷹山 ふたたびの財政改革~上杉鷹山(41歳)、2度目の藩政改革に乗り出す~ [DVD]
(2006/11/22)
TVドラマ

商品詳細を見る


     
小説 上杉鷹山 全一冊 (集英社文庫)小説 上杉鷹山 全一冊 (集英社文庫)
(1996/12/13)
童門 冬二

商品詳細を見る



   上杉博物館
  上杉博物館

 

 いつもご覧いただき、どうも有難うございます。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ 

テーマ : 展示会、イベントの情報
ジャンル : 学問・文化・芸術

おしらせ

 最近、お疲れモードのため(汗)、すみませんがちょこっとお休みさせていただきます。

 今後の予定  米沢、山形(山形県)、仙台(宮城県)など・・・


 仙台で出会ったぬこ
 仙台で会ったぬこ


 いつもご覧いただき、どうも有難うございます。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ 

又蔵の火

 鶴岡公園(鶴ヶ岡城)の南西にある曹洞宗の古刹・総穏寺。(鶴岡市陽光町5-2)
 文化8年(1811年)、この寺の境内で、とある仇討事件がおこりました。
総穏寺2

 放蕩者で一族の鼻つまみ者として座敷牢に入れられていた土屋万次郎という男が、血のつながらない甥の丑蔵に斬られ命を落とします。
 その後、万次郎の弟の虎松(又蔵)が兄・万次郎の仇を討つべく、この寺の境内で丑蔵と壮絶な斬り合いを演じました。
 結果、両者力尽き、刺し違って(相打ち)終わりました。
 寺の境内には、虎松と丑蔵の銅像が建てられています。
  総穏寺3

 この実話をもとに、藤沢周平が短編小説で書いています。

  
又蔵の火 (文春文庫)又蔵の火 (文春文庫)
(2006/04)
藤沢 周平

商品詳細を見る


 帰宅してから読んでみたのですが、少々理解しがたいというか、読みづらい話ではありました。
 土屋万次郎と男はかなりの遊び人で座敷牢に入れられるくらいの放蕩者であり、第三者からみれば「一族の面汚し」として始末されても仕方がないように思われるのですが、弟の虎松(又蔵)にしてみれば、いくらだらしない兄であっても“肉親の情”とでもいいますか割り切れない思いがあり、むざむざと兄を殺されたという憤怒の情に突き動かされ、兄を討った親族の丑蔵を仇として斬り合いを挑むのです。
 結果、両者相打ちで果てたので、なんとも救いようのない話ではあります。「仇討ち」話の割に、読後感はあまりスッキリしませんでした。

 自分は気づかなかったのですが、境内の脇の墓地に虎松・丑蔵両名の墓があったみたいです。なお、寺には両名の刀も残されているそうです。
 
 小説『又蔵の火』の案内板。藤沢周平が直木賞を受賞する前後に書いた初期の作品です。
  総穏寺1


 以上で鶴岡の旅は終わりです。もう少し要領よく、サクサク書けるとよかったんですが。
 終始雨に見舞われたのが残念でした。もう少し時間的余裕があれば、城下町を散策したかったのですが、また次回再訪の折の課題にしたいと思います。

 今回はこの後、山形、米沢方面へ行くため、往復の便宜上山形新幹線で行ったのですが、鶴岡へは新潟経由の日本海側を通るルートをとった方が若干早く到着できるように思いました。
 
                               つづく


 いつもご覧いただき、どうも有難うございます。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ 

テーマ : 国内、史跡・名勝巡り
ジャンル : 旅行

加藤忠広(加藤清正息子)および母・正応院の墓

 今回の山形県鶴岡行で、どうしても行っておかなければ!と思ったのがコチラです。

 金照山本住寺(日蓮宗)
 こちらのお寺には、名将・加藤清正の子・忠広(1601~1653年)とその母・正応院の墓があります。
本住寺1

 
 本堂の隅の方に墓所への案内が。このように明示していただけると大変助かります。
  本住寺2


 本堂の裏手に加藤忠広・正応院の霊屋があります。
本住寺3


 加藤忠広の墓
 加藤忠広は父・加藤清正、母正応院(側室)の間に生まれる。
 慶長16年(1611年)、父・清正が死去したため、11歳で藩主となる。
 寛永9年(1632年)5月、突如改易され、出羽庄内へ配流となった。

 忠広が改易となったのは、三代将軍・徳川家光が将軍に就任してから間もない時でした。家光は「御代始の御法度」として、忠広に厳しい処分を下すことを諸大名に宣言しました。
 改易の直接の原因は、忠広の嫡男・光広が謀反を企てる内容の文書を書き回したこと、忠広が自分の子とその母親を無断で国許に遣わしたというのが幕府の公式な見解とされています。
 豊臣系大名である加藤氏を改易したことで、家光は自らの存在と力を諸大名に見せつけることが出来たわけで、故意に仕組まれた一件である可能性が高いです。

 一方、熊本52万石を召し上げられた忠広は出羽庄内藩・酒井忠勝のもとへお預けとなったわけですが、出羽丸岡(鶴岡の南)に堪忍分一万石を与えられ、死ぬまでそこで暮らしました。酒井家からの待遇も良く、悠々自適の生活を送っていたようです。承応年(1653年)閏6月死去。亡骸は本住寺へ葬られました。
 加藤忠広の墓

 
 忠広の墓の隣にある母・正応院の墓。
 正応院は玉目丹波守の娘。清正の側室となり、忠広を生みました。わが子忠広の改易後行動を共にし、出羽丸岡にて亡くなりました。
 正応院の墓


 こうして、この数年の間に、加藤清正(本ブログでは未紹介)、忠広、瑤林院(清正娘)ファミリーの墓参をすることが出来ました。
 南無妙法蓮華経・・・(-人-)



  関連記事⇒加藤清正の墓
     加藤清正の娘・瑤林院の墓


 熊本城(2008年撮影) 清正が渾身で築いた天下の名城も息子の代であえなく改易。後には細川氏が入り、明治維新まで続きました。
熊本城


                        つづく

    鶴岡市三光町1-46
  
より大きな地図で 本住寺 を表示


 いつもご覧いただき、どうも有難うございます。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ 

テーマ : 国内、史跡・名勝巡り
ジャンル : 旅行

酒井家墓所/学校給食発祥の地

 鶴岡公園(鶴ヶ岡城址)の南西方向に大督寺(鶴岡市家中新町19-12)という浄土宗の寺があります。
大督寺2


 この寺は庄内藩主・酒井家の菩提寺ということで歴代藩主の墓があると聞いて参詣に来たのですが・・・。


 残念ながら廟所は非公開でした。ガッカリ(´;ω;`) 墓域は高い塀で囲まれ、外部から見えないようになっております。
 仕方がないので、廟所の門だけ撮影しました。
 門の隙間からは立派な墓碑が数基見えました。
大督寺3


 ところで、このお寺は藩主の菩提寺というだけでなく、「学校給食発祥の地」としても有名なんです。
 明治5年(1872年)より学制が発布されましたが、明治22年(1889年)鶴岡の各宗派の寺院が協力して、この大督寺の境内の一部に私立「忠愛学校」が設立されました。
 当時、貧しい家の子供たちが多く、弁当を持ってこれない者のために無償で昼食を供したのが始まりということです。ちなみに当時のメニューは塩むすびに干物、漬物が提供されたそうです。現在の学校給食はかなりバラエティにとんだ内容だそうですが、それに比べるととてもシンプル?な食事内容ですね(笑)
 私も現地へ来て初めてこの事実を知りましたが、当時意識の高い大人たちが鶴岡にいたという事に感銘を受けました。
   大督寺4


 先日紹介した藤沢周平の歴史小説『義民が駆ける』の舞台ともなっており、門前にその案内板がありました。
 この界隈は昔は藩士の住居地域だったようです。
 過去記事⇒藤沢周平記念館 

 大督寺1


                    つづく


 いつもご覧いただき、どうも有難うございます。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ 

テーマ : 国内、史跡・名勝巡り
ジャンル : 旅行

致道博物館 (山形緊急城攻め 六)

 鶴岡公園の道路を挟んだ西隣に、市内の古い建築物を集めた「致道博物館」があります。この地はもともと、庄内藩の御用屋敷でした。
 レトロな建物好きな方にはおススメのスポット。鶴岡は戦災による被害がなかったようで、こうした貴重な建物が残ったようです。
 

 旧鶴岡警察署庁舎  明治17年(1884年)
 大工棟梁・高橋兼吉設計による“擬洋風建築”の建物 初代県令・三島通庸の命により建てられた木造入母屋造 白亜三層の独特な形態をしています。国重要文化財    ※内部見学不可
旧鶴岡警察署庁舎


 御隠殿  文久3年(1863年)
 庄内藩第十一代・酒井忠発の隠居所として建てられました。現在は玄関と奥の座敷が残っています。
 内部は“庄内竿”や魚拓などの展示品がありました。
御隠殿1


 奥の座敷関雎堂)は、「能」を演じるためにきれいな床板が張られ、床下には音響をよくするために大きな甕が並び据えられていたといいます。
 この座敷からは庭園を眺めることが出来ます。
 なお、座敷から続く茶室(この日は入れなかった)では映画「蝉しぐれ」のロケが行われました。
   御隠殿2


 酒井氏庭園(国名勝)
 趣のある築山林泉庭園。作庭年代、作庭者は不明ながら、東北地方の数少ない大名庭園として貴重
 江戸時代の雰囲気をたたえています。
酒井氏庭園


 赤門
 御隠殿に付随する門であったといいます。隠居所の主である酒井忠発の夫人が田安徳川家の姫君だったため、門を赤く塗ったらしいです。
御隠殿赤門



 旧渋谷家住宅 文政5年(1822年)
 鶴岡から南東へ約25キロ、湯殿山麓にある豪雪地帯、田麦俣にあった民家の建物を移築復元したもの。
 撮影する角度が悪くて下の写真だとわかりませんが、左側面方向から見ると茅葺屋根が「兜」のように見えることから別名「兜造り」 上階では養蚕が行われていたようです。降雪に対応するために高天井と高窓を設けています。国重要文化財
 映画「蝉しぐれ」のロケが行われました。
旧渋谷家住宅


 旧西川田郡役所  明治11年(1878年)
 大工棟梁 高橋兼吉と石井竹次郎による設計・施工 バルコニー、時計塔がついた木造2階両翼1階建てで高さ20m、ルネッサンス様式をとりいれた貴重な擬洋風建築です。
 明治天皇が東北御巡幸の折りには御宿舎となった由緒ある建物。内部は幕末維新関係の展示室になっています。
 国重要文化財
旧西田川郡役所


 ※なお、致道博物館や藤沢周平記念館ではビニール傘を貸し出してくださり、大変助かりました。観光客への行き届いた配慮が嬉しいです。
 
 以上で雨天の中、城址の周辺の観光を終えました。続いて恒例の墓参です。
 (多忙により、次回更新は週明けの予定)


   
蝉しぐれ プレミアム・エディション [DVD]蝉しぐれ プレミアム・エディション [DVD]
(2006/04/14)
市川染五郎(七代目)、木村佳乃 他

商品詳細を見る




 いつもご覧いただき、どうも有難うございます。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ 

テーマ : 国内、史跡・名勝巡り
ジャンル : 旅行

藩校 致道館 (山形緊急城攻め 五)

 庄内藩第九代・酒井忠徳は財政改革と士風刷新を図り、藩政を立て直すためには人材の育成が不可欠だとして、寛政12年(1800年)藩校の設立を命じました。
 備前岡山藩の「閑谷学校」の得ずを借り、城下北西の大宝寺に起工。文化2年(1805年)に「致道館」の扁額を掲げ、祭酒(校長)に白井矢太夫が就任し、開校されました。
 当時、幕府は「朱子学」を正学とし、各藩でもこれに随っていましたが、致道館では朱子学ではなく政治のあり方を重視した徂徠学を教学とし、自学と討論を重んじ、各自の長所、可能性を伸ばすことに主眼をおく教育方針だったといいます。
 現在は当時の敷地の半分程度の規模になっておりますが、東北地方に残る唯一の藩校として、江戸時代の姿を今に伝えています。
 
  標柱
致道館5


 表門
致道館6


聖廟  毎月2月と8月に孔子を祀る行事「釋奠(せきてん)」が行われました。
致道館3


講堂
致道館4


「致道館」の扁額
致道館1

御入の間  藩の会議などで藩主や家老が入った部屋。幕末に戊辰戦争に敗れた庄内藩が、官軍参謀・黒田清隆を迎えて降伏謝罪したところで、後年三島通庸が県令室として使っていたといいます。
致道館2


                            つづく


 ※所用により、2~3日お休みさせていただきます。


いつもご覧いただき、どうも有難うございます。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ 

テーマ : 国内、史跡・名勝巡り
ジャンル : 旅行

【駅弁】やまもり弁当 (JR山形駅)

 JR山形駅新幹線ホーム売店にて、駅弁・「やまもり弁当」(1100円)を購入しました。鶴ヶ岡城での「お花見弁当」にしようと思っていたのですが・・・。
 無情にも空から大粒の雨が。(´ω`)
 仕方がないので車に避難し、頂きました。
 調整元は「森弁当部」さんです。
 なんでも、山形産の新品種米「つや姫」デビューを記念して作られたという駅弁だそう。
 やまもり弁当1


 中身ですが、焼魚(塩鱒)、牛カルビ、豚角煮、鶏照焼き、卵焼き、煮物、、梅干、煮豆など。
 おかずがバラエティーに富んでおり、味付けもしっかりしている。もちろん、「つや姫」ご飯も美味しい♪
 これはかなりポイント高いお弁当です。味にうるさい主人も、「旨い旨い!」を連発してましたが、彼によると今まで食べた中で一番美味しく感じたとか。
 よく工夫がなされているお弁当だと思います。また山形へ行った時は再購入必至です。
やまもり弁当2



 いつもご覧いただき、どうも有難うございます。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ 

テーマ : 国内、史跡・名勝巡り
ジャンル : 旅行

山形緊急城攻め(四) 藤沢周平記念館

 鶴岡は作家・藤沢周平(1927年~1997年)の故郷であり、彼は鶴岡・庄内を舞台とした時代小説・歴史小説を数多く執筆しました。
 平成22年4月、藤沢周平の業績を顕彰し、その作品の魅力を広く紹介するため鶴岡公園内に「藤沢周平記念館」が設立されました。オープンしてから丸2年経ったところです。
藤沢周平記念館

 藤沢周平は亡くなってから再ブレイクした作家であり、ここ数年、彼の作品が続々と映画化・TVドラマ化されて、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。
 私も何作か拝見しましたが、一番良かったのが「たそがれ清兵衛」(山田洋次監督作品)だったように思います。
 
たそがれ清兵衛 [DVD]たそがれ清兵衛 [DVD]
(2009/01/28)
真田広之、宮沢りえ 他

商品詳細を見る


 藤沢は庄内藩をモデルに「海坂(うなさか)藩」という架空の藩の物語を数多く描きました。藤沢の作品世界には非常に根強いファンがいて、作家の故・井上ひさしさんなどもその一人だったそうです。
 そういえば、かつて神保町に「海坂書店」という歴史・時代モノを多く扱っている古書店があって、そこのご店主も大の藤沢ファンであったことから屋号に拝借したそうですが、残念ながら3,4年前に突然閉店してしまいました。
 

 ところで、現在同館では企画展「『義民が駆ける』の世界」を開催中です。(7月1日まで)
 この作品はいわゆる「海坂もの」の時代小説ではなく、実話をもとにした歴史小説です。
 時は天保時代、庄内藩に突如「三方領地替え」の幕命が下ります。すなわち、庄内藩を長岡に、長岡藩を川越に、川越藩を庄内に移すというものです。
 実は、財政難に苦しむ川越藩藩主松平斉典が、将軍・徳川家斉の子・斉省を養子に迎えていることから、その生母おいとの方に働きかけ、幕府首脳に多額の賄賂をばら撒いた上で、川越よりもはるかに経済状況の良い庄内への国替えを画策したものでした。
 なんとも不条理な幕命を受けた庄内藩は、藩主酒井忠器、世子忠発、重臣たち、商人本間光暉、佐藤藤佐らが対応策を探り、一方領内の農民たちは国替えを阻止するため江戸に上り諸大名や幕府役人に決死の覚悟で直訴を試みる・・・というお話です。

 この小説を書くにあたり、藤沢は相当熱心に勉強し、執筆に臨んだということです。展示では原稿(複製)をはじめ、執筆に使用した史料が多数展示されていました。
 藤沢にとってとりわけ思い入れの深い作品だったということで、通常の展示期間より長めに会期を設けたそうですので、藤沢ファンの方は是非ご覧になってみてください。
 残念ながら私はこの小説をまだ読んでいないので、近々読んでみようと思います。
 「海坂もの」も良いのですが、こういう硬派な作品こそ、ぜひドラマ化してもらえないものかなあと思いました。

 
義民が駆ける義民が駆ける
(2006/12)
藤沢 周平

商品詳細を見る


 
 それにしても、藤沢が他界してからかれこれ十数年経つというのに、彼の作品は絶版にならず、読み継がれているところはすごいなあと思います。正直私は藤沢作品とはあまり馴染みがなく、せいぜい読んだのは十数冊程度なのですが、情景描写・人間描写のうまさはさすがです。
 そして、これは個人的な感想ですが、「青春の日の追憶」を描いた作品が多いように思います。悪くいえば似たりよったりのパターンがなきにしもあらず、といった感じです。

 一昨年でしたか、女優・北川景子さん主演で「花のあと」という映画が公開されました。これもいわゆる「海坂もの」と言われる小説が原作となっています。
 
花のあと [DVD]花のあと [DVD]
(2010/09/24)
北川景子、甲本雅裕 他

商品詳細を見る


 北川さん演じるヒロインが、初恋の男性と“運命の出会い”をするのが、ちょうど満開の桜の下なのです。
 と思っていたら、鶴ヶ岡城の二の丸付近に、「花のあと」の解説板に偶然出くわしました。
  花のあと

 鶴岡市街には他にも藤沢作品の舞台となった場所に同様の解説板があるということです。文庫本片手に、藤沢ワールドを辿ってみるのもまたオツな旅の楽しみ方になるかもしれません。


 参考サイト 鶴岡市立藤沢周平記念館


いつもご覧いただき、どうも有難うございます。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 学問・文化・芸術

山形緊急城攻め(三) 鶴ヶ岡城その2

 鶴ヶ岡城その1 のつづき


 本丸を囲む堀。二の丸の堀端が桜並木となっています。
鶴岡公園18


 二の丸。左手が出店に隠れていますが土塁が続いています。かつてはこの辺りに「廏(うまや)」がありました。
鶴岡公園20


 二の丸のこの正面付近に「馬場」がありました。
鶴岡公園19

 

 二の丸の堀。
鶴岡公園21



 二の丸北御門付近の土塁がよく残っています。
鶴岡公園23


 二の丸の南東、藩校致道館の道を挟んだ目の前に「二の丸角櫓」の跡がありました。
鶴岡公園24


 裏側に小規模ながら櫓台とおぼしき石垣があったのですが、調べてみたら最近になって復元したものだそうです。
鶴岡公園25



【感想】
 残念ながら城の遺構はあまり残っておらず、途中で激しい雨にも見舞われ、撮影するのに手間取りました。しかし、城の規模としてはかなり広かったと思われます。同じ山形県内の米沢城よりも規模は大きいように思われました。東北関東に見られる典型的な土塁の城でした。
 城址は現在では桜の名所になっていますが、おそらくこの桜は明治以降に植えられたものだと思われます。桜が見事なだけに、お城は少々残念というか当時をイメージするのが難しかったです。庄内藩は戊辰戦争で官軍方に降伏したものの、たまたま西郷隆盛によって比較的寛大な処分が下されたため、明治以降は新政府を憚って城の遺構を残したくなかったようです。


                   つづく


 いつもご覧いただき、どうも有難うございます。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ 

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

山形緊急城攻め(二) 鶴ヶ岡城その1

 現在鶴岡公園になっている鶴ヶ岡城の歴史は古くは室町時代まで遡ります。もともと鎌倉時代の御家人であった武藤氏が大泉荘地頭職として「大泉氏」を称し、室町時代にこの地へ下向して築いた「大宝寺城」が前身と伝えられています。
 その後、戦国時代に最上氏と上杉氏が争奪を繰り返しましたが、関ヶ原合戦後は最上義光が隠居所として整備し、鶴ヶ岡城と改めました。
 最上義光が死去すると最上家では跡目争いがおこり、それが原因で改易されてしまいます。その後信州松代から酒井忠勝が入封し、城を整備します。以後明治維新まで酒井氏十二代の居城となりました。

 残念ながら明治8年に城内の建物はほぼ破却されてしまい、堀の一部や土塁は確認できましたが、当時をイメージしにくくて困りました。お城を象徴する目立った箇所がないのです。
 この日、桜が満開だったこともあり、お城を撮影しにきたはずが、途中から城を撮っているのか桜を撮っているのか正直わからなくなってきました(汗)
 昔の古地図をもとに、無理やり城の痕跡を辿ってみました。なお、鶴ヶ岡城は本丸を二の丸、三の丸が「回」の字に囲む典型的な輪郭式縄張で築かれています。

 
 二の丸西門跡。古地図を参照するとこの左岸の方(致道博物館がある)が三の丸となり、この付近に丸馬出と三日月堀がありました。(現存せず)
 ということは、甲州流の縄張術が一部採用されています。
   鶴岡公園9
 
 
 幅が11~16間ほどある本丸水堀。
鶴岡公園7


 二の丸南西部から本丸「中の御門」方面を見る。この桜が植わっている辺りに昔は渡櫓がありました。
鶴岡公園8


 本丸「中の御門」付近にある大宝館。大正天皇即位を記念して、大正4年(1915年)建築された擬洋風建築の建物。
 中は郷土の偉人を紹介する展示室および鶴岡出身の文学者・高山樗牛(小説『滝口入道』)の生家の一部が復元されています。
鶴岡公園14


   建物を撮影していたら、どこからともなく白鳥が3羽来たのでパチリ(おまけ)
    鶴岡公園22

     大宝館脇の桜(おまけ)
    鶴岡公園6


 大宝館の西側に本丸玄関跡がありました。
鶴岡公園11


 本丸の南西側の隅には渡櫓(御金蔵)がありました。現在は護国神社があります。ちらっと見える石垣は当時のものかどうかは不明。
鶴岡公園15

 
 本丸は総面積2789坪。かつてはここに923坪に及ぶ広大な御殿がありました。
 現在御殿跡には荘内神社があります。酒井氏初代忠次、二代家次、三代忠勝、藩政改革を行った九代忠徳が祀られています。宝物館(有料)が併設されていますが、中はたいした物はありませんでした。
鶴岡公園13(荘内神社)



      荘内神社の斜め向かい側に「藤沢周平記念館」があります。(後述)
      藤沢周平記念館

 
 本丸の北西隅にあった「御角櫓」跡。 櫓台の石組が築かれ、その上に二階建の櫓があったといいます。 
鶴岡公園17


 本丸の西側にあった土塁がよく残っています。
鶴岡公園16


    桜と桃?のコラボ(おまけ)
  鶴岡公園12


       椿も満開でした。(おまけ)
      鶴岡公園10


 写真が多いので、その2に続きます。



 いつもご覧いただき、どうも有難うございます。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ 

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

山形緊急城攻め(一) 鶴岡へ

 GWもあっという間に終わってしまいましたが、今年は後半がお天気良くなかったですね。遠出された方にはガッカリな天気でした。おまけに茨城や栃木の一部地域では突如竜巻に見舞われ、被害に遭われた方々は本当にお気の毒です。心よりお見舞い申し上げます。

 さて、GW直前に行った山形の旅です。今週少々多忙なので、小刻みなアップになりますのでご了承ください。

 JR東京駅より朝一の山形新幹線「つばさ」に乗ります。
山形新幹線つばさ


 乗車時間2時間50分くらいでJR山形駅へ到着。
   JR山形駅


 駅前でレンタカーを借り、一路鶴岡を目指します。
 山形道を通っていったのですが、途中月山付近ではご覧の通りまだ残雪が・・・。気温も6℃~9℃くらいで外気は寒かったです。
山形自動車道

 
 約2時間ほどで鶴岡に到着。鶴岡へはこれが初めてです。
 とりあえず、鶴ヶ岡城を目指します。鶴ヶ岡城址は現在では「鶴岡公園」と呼ばれ、市民の憩いの場となっています。
 なお、鶴岡公園は“日本さくらの名所100選”に選定されており、ソメイヨシノなど730本もの桜が植えられているということです。
  鶴岡公園4

 
 鶴岡公園の外郭ですが、ご覧の通り桜並木。「ぼんぼり」には「がんばろう東北」の文字が書かれていました。
鶴岡公園3

 お堀端の桜も満開です。せっかく満開なのに、鈍色の空だったのが少々残念でした。
鶴岡公園5


 お堀端には白鳥の姿も。のどかな感じです。
  鶴岡公園1


 園内に入ってみると、屋台がたくさん出ていましたが、降ったりやんだりの天気でお店の方も少々手持ち無沙汰気味の様子。
鶴岡公園2


 この後、お城の遺構を辿って園内をちょっと探索してみます。    つづく


いつもご覧いただき、どうも有難うございます。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ 

テーマ : 国内旅行
ジャンル : 旅行

東京スカイツリー見えたっ!\(^o^)/

 今月22日に開業をひかえた何かと話題の東京スカイツリーですが、なんですか今夜イベントを開催しているみたいで、ライトアップされてまして、なんとうちのマンションから見えました!お隣の奥さんに教えてもらって、初めて知った次第。
 我が家は墨田区からかなり距離があるので見えるとは正直思っていなかったんですが、これはかなり嬉しいです。

  
 東京スカイツリー2

 お月様とのコラボ(笑)
 東京スカイツリー1


 デジイチとかだともっとはっきり撮れるのでしょうが、うちのカメラだとこれが精一杯です。
 最近購入したばかりのオリンパス SZ-14。  コンデジですが、光学24倍ズームが売りです。
 
OLYMPUS デジタルカメラ SZ-14 ブラック 1400万画素 光学24倍ズーム DUAL IS ハイビジョンムービー 3.0型LCD 広角25mm 3Dフォト機能 SZ-14 BLKOLYMPUS デジタルカメラ SZ-14 ブラック 1400万画素 光学24倍ズーム DUAL IS ハイビジョンムービー 3.0型LCD 広角25mm 3Dフォト機能 SZ-14 BLK
(2012/02/24)
オリンパス

商品詳細を見る


 
 わがTOKYOに新たな歴史を刻む東京スカイツリー。開業したては混雑して無理っぽいので、ほとぼりが冷めた頃現地へ行ってみたいと思います。

 東京スカイツリー公式サイト


いつもご覧いただき、どうも有難うございます。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログへ 

テーマ : 展示会、イベントの情報
ジャンル : 学問・文化・芸術

ブログランキング
「もののふの心」および歴史的遺産を後世に伝えましょう♪
うさぎ
  ↓ ↓ ↓ ↓
人気ブログランキングへ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
カレンダー
04 | 2012/05 | 06
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
カテゴリ
ご注意 ごくたまに、「城」「史跡」「お墓」等の話題が、ドラマ関連やその他のカテゴリとして登録されている場合があります。
月別アーカイブ
最新コメント
FC2カウンター
おきてがみ
お気軽にどうぞ(お返事が遅くなる場合があります)
プロフィール

A☆六文銭

Author:A☆六文銭
ブログテーマ
日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

★当ブログ内の文章、写真等はすべて無断転載禁止です。宜しくお願いします。
★当方と連絡を取りたい方は、下部メールフォームからお願いします。(ご感想はなるべくコメント欄のほうにお願いします)
※Twitter、Facebookはやってません。

最新記事
おすすめ書籍
リンク
RSSリンクの表示
検索フォーム
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。