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秋山好古が学んだ藩校・明教館

 年明けから何ですか身の回りがバタバタしており、なかなかブログ更新できませんでした。そんな中、先日主人の親戚の方が急死してしまい、葬儀に参列してきました。年末に脳出血で倒れ、緊急手術の末一命を取り留め、ご家族も安堵されていたところ、3日前に容態が急変し、帰らぬ人となってしまいました。とても良い人柄の方で、主人の実家とも長年懇意にしており、私共の結婚式にも参列してくださったので、家族共々正月早々悲しみに暮れております。
 

 ところで、年が明け、この前の日曜日には今年の大河ドラマ「平清盛」が放映スタートしてしまいましたが、私個人はあまりその時代に関心が薄いので、今更という感もありますが、年末に放映終了したSP大河「坂の上の雲」の関連史跡を若干ですが紹介したいと思います。放映が終了したので観光客の数も一段落して、かえって落ち着いて見学できるかもしれません。

 こちらは秋山好古が学んだ藩校・明教館の講堂です。明教館(めいきょうかん)は、文政11(1828)年、松山藩主松平家11代当主松平定通(さだみち)公が、藩士の文武稽古所として二番町に建てられました。当時、明教館は敷地面積2500坪もの広さがあったそうです。

 昭和12(1937)年、旧松山中学校(現松山東高等学校)の敷地の一画に移築され、今日に至っています。
 明教館1

 明教館3

 内部は108畳の広さがあります。ここで論語などの講義や、入門式等の行事が行われました。
 明教館2


 明治になってから、明教館の敷地に学校が開設され、後に旧制松山中学となり、秋山真之や正岡子規も同校に学びました。彼らのほか、同校からは多くの人材が輩出しました。
 秋山兄弟

 正岡子規の外祖父・大原観山(儒者)も明教館で教授をしていました。
  正岡子規


 昭和20年(1945年)7月の松山空襲の際、同校の建物のほとんどが焼失しましたが、同校に学ぶ中学2年生の生徒たちが必死で消火活動を行い、この講堂だけは焼失を免れました。
 なお、見学の際は見学希望日の一週間前までに松山東高等学校 電話089-943-0187 へ申し込みが必要です。

 これらの写真はドラマ放映前の2007年夏に松山を訪問した際に撮影したものです。


                            つづく 


 関連記事 秋山さん(兄)家のお雑煮


   
より大きな地図で 松山東高等学校 を表示



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歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
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大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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