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良いお年を。。。

 今年も残すところあと二時間を切りました。
 今年最後の〆に何を書こうか、頭の中で言葉が浮かんでは消え、浮かんでは消え、を繰り返したのですが、なかなか良い言葉が見つかりません。
 
 今年は3月11日の大震災があり、混乱を極めた一年であったと思います。震災のことや、福島原発のことなど、思うところはいろいろあったのですが、ブログのテーマから逸脱しそうなので、なかなか書くことが出来ませんでした。
 ただ、最近常々思うことは、「生きているうちが花」といいましょうか・・・どの人にも等しく、一寸先は闇とでもいいますか、明日のことは誰にもわからない、ということです。ハッキリいえば、人はいつ死ぬかわからないんですね。当たり前のことですが。
 だからこそ、今日を精一杯生きよう、身近な人を日頃から大事にしよう、とかぼんやりとした頭にそんな言葉が浮かんできました。

 さて、今年も一年にわたり、この拙いブログをご覧いただき、どうも有難うございました。おかげ様で昨年の春からブログをはじめ、このエントリーまで記事数466を数えました。
 なるべく、リアルタイムでの更新を心がけましたが、なかなか思うようにはいかないのが正直なところでした。
 4年にわたって歩いてきた「100名城」の旅も無事終了したことが個人的には印象深い出来事でした。

 もうしばらく、書きたいことが色々ありますので、引き続きよろしくお願い申し上げます。おそらく、今年書きそびれたことの続きになると思います。

 それでは皆様、良いお年を。。。
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西播磨の戦国時代

 兵庫県たつの市にある、たつの市立埋蔵文化センターでは現在、
開館5周年記念特別展「西播磨の戦国時代」を開催中です。(2012年1月29日まで)
  たつの市立埋蔵文化センター
    西播磨の戦国時代

 もともと、この西播磨という地域は室町時代、守護大名の赤松氏が勢力を張っていました。しかし、室町幕府6代将軍・足利義教を赤松満祐が暗殺した事件・・・いわゆる嘉吉の乱の後、赤松氏はいったん衰退してしまいます。
 しかし、応仁の乱に乗じて、赤松氏は山名氏より播磨を奪回して、もう一度再興されるという、波乱万丈の一族であります。

 展示ですが、この地域のお城に関する展示で、狭い展示室内に城跡の写真や発掘資料がほとんどでした。正直、私はこの地域にあまり土地勘がないので詳しい知識がなく展示を見たのですが、一度行った但馬竹田城や、月山富田城の写真などはなつかしく拝見しました。
 それから、地元の龍野古城に関しては、この近隣に在住しているニュージーランド人男性がコツコツ城跡から拾い集めたという遺物(鎧・刀剣類の付属品とか古銭、鉄砲の弾など)が展示してありました。外国の方が日本の史跡で発掘するというのは珍しいのではないかと思います。
 展示を見て、この周辺は多くの山城があることがわかったので、また将来機会があれば、山中鹿之介ゆかりの上月城や城山(きのやま)城など足を運んでみたいと思いました。

  
より大きな地図で たつの市埋蔵文化センター を表示



 今年もあと残すところ一日を切りましたが、今日(31日)は、主人の母が体調を崩しているので、主人の実家へ正月の手伝いへ行く予定です。
 今日の夜、もう一回くらい記事が書けそうかな?なので、まだ〆のご挨拶はいたしません(笑)


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今更ですが・・・偶然お市の方の供養塔を見つける

 先日書き綴っていた兵庫県たつの市の旅の補足です。(過去記事「龍野城」の続き)

 紅葉を楽しみ、城跡を見学した後、恒例の墓巡りをしていたのですが、龍野藩主・脇坂家の菩提寺があるというので行ってみることにしました。

 普音寺(たつの市龍野町福の神)  浄土宗のお寺さんです。藩主の菩提寺としては、少々こじんまりとした印象。
 普音寺4

 ところが、ここで本堂の脇に目をやると、小さな小屋みたいなのがあり、「お市の方御霊屋」と書いてあるのです。
 お市の方って、あの浅井長政夫人のこと!?なんでしょうか。
 普音寺3

 その中を覗いてみますと・・・お市の方の肖像画や、「お市観音」、それに御位牌まで安置されていました。
 ただし、お市観音と御位牌は数年前に作られたものらしい。
 普音寺1

   普音寺5


 どうやら、こちらのお寺の初代住職である近藤某という人は浅井家の旧臣であり、浅井家滅亡の際に長政夫妻から阿弥陀仏を預かり、本人は逃げて助かったらしい。
 その後、近藤某は出家し、脇坂安治の家臣と懇意だったことから、浅井家から託された阿弥陀仏を本尊として、寺を開いたという話でした。

 本堂の裏手に行ってみると、肝心な脇坂家の墓は見事に整理されていました。
 お寺の方に伺ったところ、当寺は脇坂家藩主の菩提寺ではなく、脇坂姓を許された一門(家臣)の菩提寺であるというお話でした。
 普音寺2

 そして、その後方に「お市の方」の供養塔があったのです。しかし真新しい墓石で、いかにも後付けといった感じです。
   お市の方供養塔

 
 そういえば、脇坂安治も元々は近江の出身ですし、開山が浅井家ゆかりの人物という話もおそらく本当だろうと思われましたが、ちょっと違和感を覚えました。
 本当に偶然というか、まったく予想しない展開でしたが、「犬も歩けば棒に当たる」とはこのことです。
 大河ドラマも終わってしまい、今更な感もぬぐえませんが、あまり一般には知られていないだろうと思うので一応記しておきます。
 実は、お江に関するネタは他にも色々あったのですが、肝心のドラマがああだったため、すっかり書く気力を失ってしまい、ネタをもてあましてしまいました。。。(泣)

 なお、肝心な脇坂氏藩主の墓ですが、帰宅後手許の資料で確認したところ、一部を除き、東京にありました。。。orz

 お寺さんで飼っている犬と猫。どちらも大人しく、こちらを見ていたのでパチリ。
 私は旅先でよく犬や猫に遭遇するのですが、もともと幼い頃から動物が苦手なため、たまに寄ってこられてもどうかまってあげていいのかわからないのが悩みのタネです。。。

 普音寺6
 普音寺7


 関連記事 柴田勝家・お市の墓

 
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テーマ : 国内、史跡・名勝巡り
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大河ドラマ「江」は私の理解を完全に超えた・・・

 今更何ですが、今年の大河ドラマ「江」に関する感想を。
  大河ドラマ「江」


 
 ドラマ全話終了後の先月下旬より、この件に関してアンケートを実施したところ、40名のブロガー様、当ブログ読者様より回答をいただきました。

 「大河ドラマ 『江』 全話見終わった感想は?」 

 ・面白かった  5件
 ・どちらかといえば面白かった 4件
 ・面白くなかった  11件
 ・どちらかといえば面白くなかった  3件
 ・どちらともいえない  0件
 ・見ていなかった  9件
 ・その他(ご意見を自由にどうぞ)  8件


<ご意見、ご感想>

「面白くなかった」 : 人物名は全部別名にして創作歴史物語にれば、罪はなかったのに。 (男性/60代/北海道)

「面白かった」 : 明治の男の気概、女の気丈さ、慎ましさに時代を感じた (女性/60代/新潟)

「面白かった」 : 江はすごいなぁと思いました。 (女性/10代/兵庫)

「面白くなかった」 : あまりにもヒドイ駄作だと思います (男性/40代/東京)

「面白くなかった」 : なんじゃこりゃあー (男性/50代/石川)

「どちらかといえば面白かった」 : あり得そうであり得ない。。。でもあり得たら面白そう。 (男性/40代/静岡)

「その他(ご意見を自由にどうぞ)」 : 最悪 (女性/20代/愛知)

「その他(ご意見を自由にどうぞ)」 : あ~やっと終わってくれた

「その他(ご意見を自由にどうぞ)」 : 途中から見るのをやめてしまいました。 (女性/40代/山梨)

「どちらかといえば面白くなかった」 : 主役の女優と相方の夫役の俳優に年間を通じて見られるほどの力量が感じられなかった (男性/50代/千葉)

「その他(ご意見を自由にどうぞ)」 : まともな大河ドラマ作れ (男性/10代/奈良)

「見ていなかった」 : 主役がとにかく嫌だから見なかった (女性/10代/京都)

「面白くなかった」 : 幼稚なキャラばかり。着物の色柄下品じゃなかった?? (女性)

「面白くなかった」 : 他所で一度見たが、5分と見てられなかった。見てるこっちが恥ずかしくなったほど、程度が低かったから。

「見ていなかった」 : やっと江toヘブンだわな。やっと”雲”第三部だ。清盛?やらかしたらしいんで観ない。

「その他(ご意見を自由にどうぞ)」 : 金の無駄

「面白くなかった」 : 来年の『平清盛』の予告編見たさに70分耐えました。 (男性/20代/東京)

「その他(ご意見を自由にどうぞ)」 : 途中で見るの止め江と秀吉の最初からギャグ調がきつくて背中に物ぶつけられ怒りの顔が笑顔で振り返ったり爆

「その他(ご意見を自由にどうぞ)」 : 主役以外の (女性/40代)

「その他(ご意見を自由にどうぞ)」 : ボケが進みそうなのでTV処分した。おかげで健康で文化的な生活になった。

「面白くなかった」 : 脚本も演出も映像も稚拙で、観賞に堪えない代物。

「見ていなかった」 : 早々に見るのやめた (男性/40代)

「見ていなかった」 : 韓流と一緒。嘘ばかり (男性/50代/東京)

「面白くなかった」 : 脚本内容鈴木保奈美最悪 若手女優かわいそう



《私の私的感想》

 結局、視聴率的にも過去10年でワースト3という結果が出たそうですが、やはり低迷した一番の原因は田渕久美子さんの脚本の内容が中途半端なもので、よく練られていなかったことにつきると思います。
 散々な評判であっても楽しく見ている方もいるでしょうから今まで書きませんでしたが、江本人や織田信長の「生霊」が登場したり、「清洲会議」に江が「乱入」するなど、あの場面は私の理解の範疇をもはや完全に超えていました。

 長らくNHKは女性の大河ドラマ視聴者を増やそうと色々な試みをしているのですが、オーソドックスな内容を淡々と制作していればいいものを、視聴者の気を引こうとして無理なストーリー運びを展開するといった見当違いの努力をしているため、かえって視聴者が興味を失い、ドラマから離れていってしまっているのがわかっていないのです。
 過去の大河ドラマでも、ジェームス三木さんや先日亡くなられた市川森一さんなどは相当細かいところまで勉強して脚本執筆に臨まれていました。だからこそ、歳月が経過しても鑑賞にたえうるクオリティの高い作品を維持しつづけていられるのです。
 ところが、田渕さんは長編を執筆できるだけの「体力」は充分あるのですが、どうも終始「やっつけ仕事」をしているように思えて仕方がなかったです。
 
 願わくば、制作の皆様には「大河ドラマ」の原点に立ち返り、下手に視聴者に媚びることなく、多くの人々の共感を呼べるスタンダードな作品作りへの努力を忘れないでいただきたいものです。

 なお、アンケートにご協力いただいたブロガー様、読者の皆様、どうも有難うございました。
 (上のご意見で、一部意味不明なものもありますが、そのまま掲載しております)


 
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テーマ : テレビドラマ
ジャンル : テレビ・ラジオ

長岡城

 山本五十六の故郷・長岡。その玄関口であるJR長岡駅は上越新幹線の停車駅となっています。
 実は、この長岡駅はその昔、「長岡城」の本丸があった場所でした。現在、駅ビルの前に標柱が立てられています。
 
 長岡城本丸跡

 長岡城は梯郭式の平城で、本丸、二の丸、三の丸、詰の丸、南曲輪、西曲輪があり、それぞれが堀で区切られていました。石垣は築かれず、各曲輪は土塁で囲まれていました。
 本丸に天守は築かれず、北側隅の御三階櫓を天守の代用としていました。
 長岡城絵図

 

 慶長10年(1605年)、堀直竒によって築城が開始されました。ところがその5年後、主家である越後福島城主・堀忠俊が改易されたため、一族である直竒の長岡城も工事の半ばで没収され、直竒は信州飯山へ国替えとなります。
 その後、松平忠輝の家臣・山田隼人正が一時入城しますが、元和2年(1616年)忠輝が改易されたため、再び堀直竒が飯山から入封し、頓挫していた城の整備を進めます。
 しかし時間を置かずして、幕命により徳川譜代の大名である牧野忠成が入封し、牧野氏によって長岡城は完成をみます。


 幕末、戊辰戦争の折、長岡藩は家老・河井継之助が幕府にも官軍にも与しないという武装中立論をかかげ、官軍側と会談するも決裂し、長岡城は官軍に攻められ落城。その後、城は河井らの手によって城は一旦奪還されましたが再び落城の憂き目に遭います。城下は官軍によってことごとく焼かれてしまいます。
 明治維新後、鉄道敷設の際に長岡城址は停車場(駅)の建設地となったため、堀はすべて埋められ、城の遺構は残っていません。これは長岡藩は官軍に弓引いた、ということから、新政府側によって意図的に城址の痕跡をほとんどとどめないよう破却されてしまったという話を聞きました。
 鉄道を敷設された城跡は他に甲府〈山梨県)、福山(広島県)がありますが、このように徹底的に城跡がなくなってしまったのは唯一長岡だけです。
 
 ですから、城址をしのぶものは先述した駅前の本丸跡の標柱と、二の丸跡にある石碑ぐらいのものです。
 現在、長岡駅前は整備中で、二の丸跡はビルの工事現場になっていました。
 長岡城二ノ丸跡1

 前回(2007年秋)に来た時には下の写真のような石碑がありました。
 長岡城二ノ丸跡2


 このように、長岡は戊辰戦争で城下が焼かれるという手痛いダメージを受け、さらに城跡は徹底的に破却されたという背景があったので、海軍で出世した山本五十六の存在は、辛酸を味わった長岡の人々にしてみれば「希望の星」であったわけです。
   山本五十六

 帰りがけ、長岡駅前の書店に寄ったところ、山本五十六のコーナーがありました。今でも郷土の偉人として崇敬されているのでしょう。
   山本五十六の本棚

 山本五十六は優れた軍人であったことは間違いなく、日米開戦に反対し「悲劇の提督」として位置付けられていますが、その一方でミッドウェー海戦に敗北し、その後劣勢を挽回できぬまま、まもなく死に至ってしまったという冷厳な事実も忘れてはならないと思います。

(※北越戦争の史跡巡りもしてきましたが、また来年改めて書くことにします)


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山本五十六記念館/如是蔵博物館

 山本五十六に関する記録は実はあまり多くありません。書簡や揮毫などは比較的残っているのですが、公的記録、日記、メモなど彼の職務に関する資料がほとんど残っていません。これは、海軍には現役で死亡した場合、その軍人の家から海軍に関わる記録等を係官がすべて持ち出すという規則があったため、おそらく彼の手許にあった記録は海軍の手によって処分されてしまった可能性が高いといいます。

 五十六の故郷・長岡には五十六に関するごく限られた資料を見学できる施設があります。


 山本五十六記念館(新潟県長岡市呉服町1丁目4-1 TEL0258-37-8001)
 山本五十六記念館

 比較的小さな建物ですが、五十六の人生を追った展示となっています。やはり五十六の書簡が目立ちますが、何といっても展示の目玉は、彼が搭乗し、ブーゲンビル島上空で米軍機に撃墜された海軍一式陸上攻撃機の左翼の部分と、五十六が座っていた座席の残骸です。
 これは、昭和59年(1984)2月山本五十六の生誕100年を記念して、山本元帥景仰会がブーゲンビル島のジャングルへ赴き、搭乗機の残骸を前に慰霊祭を行い、その後、パプアニューギニア政府の厚意により平成元年(1989)、左翼の里帰りが実現したということです。

 その他の詳細は、山本五十六記念館ホームページをご覧ください。




   如是蔵博物館(新潟市福住1-3-8)
   如是蔵博物館

 野本恭八郎翁が収集した資料を展示した三階建ての私的な博物館。野本翁は五十六と親交があったようで、二階部分が五十六関係の展示室になっていました。
 五十六が山本家の名跡を継いだ際唯一伝えられた裃や、彼の肖像画、着用していた軍服、昭和天皇から下賜されたという義指〈彼は日本海海戦時の事故で指2本失っている。詳しくは過去記事「【坂の上の雲】戦艦三笠の運命(二)」を参照のこと)など遺品が展示されてありました。
 その他、五十六や河井継之助の書などもありました。


  
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山本五十六生誕の地

 山本五十六は明治17年(1884年)4月、旧長岡藩士高野貞吉・峯夫妻の6男として長岡本町玉蔵院町に生まれました。
 「五十六」の名は父・貞吉が56歳の時生まれたために名付けられた話はあまりにも有名です。
 
 高野家は代々長岡藩の儒者の家柄で槍術師範も兼ねており、幕末には禄120石取りであったといいます。
 余談ですが、高野家の家系図を見ていたところ、ご先祖はもともと下野国の在であったようで、江戸時代初期に牧野家に出仕した初代・高野七郎左衛門という人の兄は意外にも真田家の家臣でした。

 父・貞吉は長谷川家より養子として高野家に入った人で、養子先である高野貞通の長女と結婚し子をなしますが、妻が早世し、その妹である次女と再婚するもまた早世、そのまた妹の三女・峯(五十六の母)とは再々婚ということでした。どおりで兄弟が多いわけです。
 幕末、北越戦争の折に祖父・貞通は77歳の老躯をおして参戦し、戦のさなか討死を遂げました。なお、父貞吉と五十六の兄二人も従軍し負傷しますが、無事長岡に戻ることが出来ました。

 明治維新後、父・貞吉は柏崎県庁に出仕し、教養が深かったことが評価され、古志郡村松村(現長岡市)の小学校長を務めています。
 官軍との戦いで城下は丸焼けとなり、高野家でも家が焼失したため、貞吉は木羽葺きの小さな家を建てました。この家で五十六は誕生します。

 五十六の生家跡は現在、史跡公園として整備されています。(長岡市坂之上町3)
 山本五十六生誕の地

 
 五十六の生家。元あった家は残念ながら昭和20年(1945年)の長岡大空襲で焼失したため、戦後長岡市によって復元されました。
 一階は玄関、六畳二間と四畳半の部屋、台所、便所、納屋があり、二階は二畳、四畳、六畳の部屋と物置がありました。
 高野家は子供が多い上、五十六の腹違いの兄の子(甥、姪)らも同居しており、この狭い粗末な家で身を寄せ合うように暮らしていたと思われます。
   山本五十六生家1


 一階の部屋。五十六の手紙が飾ってありました。
    山本五十六生家2


    部屋の中に何故か五十六の胸像(石膏像)が安置されていました。
    山本五十六生家5


  生前、五十六が好んで揮毫した「常在戦場」の書。「常在戦場」の四文字は五十六のオリジナルではなく、主家である牧野家の家訓でした。
  山本五十六生家3 常在戦場


  とても急な階段を上がり、二階には五十六が使用していた二畳の勉強部屋がありました。(ちょっとピンボケですが)
  家がもともと儒者の家系ですから、五十六もまた幼少の折から勉学に励みました。
    山本五十六生家4

 とにかく家中が狭い上、歩くたびに床がギシギシ軋み、このままでは床が落ちるのではないか、と不安になったので早々に退散しました。


 公園内には五十六のブロンズ製の胸像があります。戦時中、茨城県の霞ヶ浦にコンクリート製の全身像があったそうですが、敗戦後に敵をはばかって湖底に沈められたそうです。その像を元に改めて造られたものだということです。
    山本五十六胸像

      胸像のアップです。
    山本五十六胸像


                      つづく


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山本五十六の墓

 明日12月23日(祝)より映画「聯合艦隊指令長官 山本五十六 太平洋戦争70年目の真実が封切られます。

  

 参考サイト 聯合艦隊司令長官 山本五十六公式サイト (※音が出るのでご注意ください)

 今ごろ何故「山本五十六」なのかいぶかしく思ったところ、今年は太平洋戦争開戦から70周年でした。主役の山本五十六役を演じるのは俳優の役所広司さん。
 出演者一覧を見たところ、かなり豪勢な布陣なのですが、お正月映画としては少々重たい内容ではないか、と思われます。
 ちょっと観に行ってもいいかな、とも思ったのですが、4年前ぐらいのこの時期に映画館へ行ったところ、酷い風邪をもらってきて寝正月になってしまったので、観にいくとしたら正月明けになりそうです。

 ところで、今年の8月、山本五十六の故郷である新潟県長岡市へ行ってきました。その時、五十六の墓参りをしたので掲載しておきます。
   山本五十六
 山本五十六 (1884~1943)
 新潟県出身。明治37年(1904)海軍兵学校卒業。海軍大学校修了後、米国駐在武官、空母赤城艦長などを歴任。昭和4年(1929)第一次ロンドン軍縮会議に随員として参加。その後、第一航空戦隊司令官、海軍航空本部長として海軍航空部門の強化に尽力した。11年(1936)海軍次官となり、米内光政海軍大臣と共に日独伊三国同盟に反対した。14年(1939)連合艦隊司令長官、翌年大将。太平洋戦争においては真珠湾攻撃をはじめとする作戦全般を指揮。18年(1943)4月、ブーゲンビル島上空にて米軍機に要撃され戦死、元帥を追贈された。



 実は彼の本当の墓は東京の多磨霊園にあります。長岡にある墓は地元の方たちの要望により、本墓から分骨されたものです。多摩霊園はうちから少々遠いため、まだ墓参をしていません。今後の課題にしたいと思います。

 ところで、現地へ行った日はフェーン現象のため気温が30度を超え汗タラタラ、保冷剤を持参しての取材でしたが、途中で熱中症になりかけました。今頃はとうに冬景色でしょうから、月日が経つのは早いものです。

  山本家の菩提寺がある普嶽山長興寺(曹洞宗)
 長興寺


 墓地の一画に「山本家の墓」があります。五十六は長岡藩士・高野家に生まれましたが、大正4年(1915年)旧主である牧野忠篤子爵の命により、長岡藩の家老で絶家となっていた山本家の名跡を継ぐことになります。
 山本五十六の墓2


 北越戦争の責任を取らされ処刑された山本帯刀〈左)と五十六の墓が並んでいます。
 山本五十六・山本帯刀の墓


  五十六の分骨墓 (-人-)
   山本五十六の墓


 なお、平成16年(2004年)におきた新潟中越地震で山本家の墓石が倒れる等の被害があった模様で、その後元帥のご長男である義正氏が整備しなおしたようです。


  
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ドラマ「水戸黄門」の終了

 先日書こうと思っていたのですが、例の金正日の死去のニュースがありつい書きそびれてしまいました。

 TBSの長寿番組でもあった、時代劇「水戸黄門」が先日で終了してしまいました。あいにく、帰宅が遅くて最終回も見そびれてしまったのですが、時代の趨勢というか、打ち切りもやむを得ないという感じです。

 打ち切りに至った理由は様々考えられると思うのですが、私個人の感想としては水戸光圀の役が里見浩太朗さんではミスキャストだったのでは・・・ということでした。
 役作りにおいてはご本人様もすごく力を入れていたということはわかるのですが、「助さん」時代の腕っぱしが強い印象が邪魔をしているというのか、私の目にはまったくお年寄りに見えなかったんですよね。。。
 加えて、おそらく演出のせいもあるかと思いますが、水戸光圀が一言多いというのか、セリフが説教くさく冗長に感じられました。


 以前も書いたのですが、私は二代目の黄門様を演じた西村晃さんの時代は再放送も含め、毎回のように見ていたのですが、三代目の佐野朝夫さんの頃から以前ほどは見なくなってしまいました。
 四代目の石坂浩二さんにいたっては、「どうしてこの人が・・・」というほど役が似合っていませんでした。

 ですから、大河ドラマなどもそうなのですが、配役を決めている方がが少し勘違いをされているのでは?と思います。
 水戸黄門を演じるにふさわしい役者さんは、実は常に主演を張っているような大スターではなく、脇役で良い味を出している方こそふさわしかったんですよね。初代の東野英治郎さんも二代目の西村さんもそうでした。
 私見ですと、黄門様には中村嘉津雄さんなんて似合っていたのでは?と思っていました。うちの家人などは、橋爪功さんのような新劇系出身の俳優さんがいいと言ってました。

 ここ何年かは視聴率が低空飛行だったということですが、かなり長い間、由美かおるさんの「艶技」だけでドラマがもっていたのかもしれない・・・と思ったりもしました。そう思わせるほど、長年にわたる彼女の存在感は圧倒的でした。

 打ち切りを惜しむ声も多方面から聞かれるということですが、とりあえず再放送を続けてくれればいいのではないでしょうか。


  水戸黄門ご一行


 過去記事 「格さん」(安積澹泊)の墓
        「助さん」(佐々宗淳)の墓
        頼重と光圀―高松と水戸を結ぶ兄弟の絆―
        


 
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龍野城

 つづき

 煮麺の食事をいただいた後、龍野城へ行ってみました。
 龍野城は明応8年(1499年)、赤松村秀が鶏籠山上に築城したと伝わります。
 天正9年(1581年)以降、豊臣秀吉麾下の蜂須賀正勝、木下勝俊、小出吉政が城主となりますが、この間に石垣をもつ近世城郭として整備されたようです。
 一時池田氏の支城となりますが、その後は本多氏、小笠原氏、岡部氏、京極氏と目まぐるしく城主が交代します。
 万治元年(1658年)に京極氏が丸亀に移封された後、一時天領になりますが、寛文12年(1672年)、信州飯田より脇坂安政が入封し、鶏籠山麓に新しく城を築きます。その後は明治維新まで脇坂家が治めますが、お隣の赤穂藩浅野家が断絶した際、二代藩主・安照が城を受け取った話は有名です。
 明治維新後、城の建物はほとんど取り壊されてしまい、現在見ることが出来るのは昭和54年(1979年)に復元された櫓や御殿、櫓門、土塀です。

 なお、今年11月、3日間のみ発砲スチロールで造られた「天守閣」がお目見えしたそうです。タクシーの運転手さんに聞いたところ、ハリボテとはいえ、なかなかリアルに造られていて感心したと言ってました。
 
 こうしてみると一見なかなか立派なお城に見えますが、左側に見える二重櫓は模擬復元で実際には存在しなかったとか。土塀も復元です。石垣はおそらく当時のものだと思われます。
 なかなか良い復元ではあるのですが、史実とは異なる模擬復元なのが残念なところです。(写真は全てクリックで拡大します)
 龍野城1


 本丸跡に建てられた模擬御殿。
 龍野城4


 復元された櫓門。お城の見どころはハッキリ言ってこれぐらいでしょうか。
 龍野城3

  龍野城2



 実は本丸の裏手の山を登ると、赤松氏が築いた古城の跡があったのですが、体調不良のため今回は登るのは諦めました。

 お城は見るところがほとんどなかったですが、ちょうど紅葉が見ごろでしたので、写真を載せておきます。

 龍野紅葉2

    龍野紅葉4

 龍野紅葉3

 
 曇天だったので少々写りがよくないですが、この黄色い紅葉もとても鮮やかでした。
 龍野紅葉1



  *************************

 本丸跡の隅っこのほうに、「龍野歴史文化資料館」という小さな資料館があり、「龍野城物語」という特別展を開催していました。(現在は終了済です)
 先述したように、龍野は城主が目まぐるしく変わったのですが、歴代の龍野城主に関する展示でした。狭い展示室でしたが、幅広く史料が集められていて、なかなか良い展示でした。予算的にも厳しいようで苦心されたようですが、ちゃんと図録も発行しており、感心しました。
 
  龍野歴史文化資料館


 ※年明けに龍野行きの続きを少々補足します。


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【速報】北朝鮮・キムジョンイル総書記 死去

 タイトルの通りです。享年69才。
 とりあえず速報まで。しかし、年の瀬に来て驚きですねー。わが国に何かとばっちりが来なければいいですが。

  (_´Д`)ノ

 ※携帯であわてて撮った写真
 金正日死去


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「揖保乃糸」と「醤油アイス」

 つづき

 童謡「赤とんぼ」の歌碑を通りすぎると道の突き当たりに「観光売店さくら路」(たつの市龍野町下霞城69-1 月曜定休)というお店があり、そこでお昼にすることにしました。
 この辺りは道沿いに桜が植えてあるので、お店の名前にもなっているようです。
 観光売店さくら路1

 こちらのお店では龍野の名産品である素麺「揖保乃糸」を使った料理をいただくことができます。
 私たちは「鮎麺定食」(1000円)を注文しました。
 観光売店さくら路2

 あたたかい煮麺(にゅうめん)と鮎の甘露煮、桜ごはん、漬物が並んでいます。肌寒い日でしたので、煮麺をいただき身体が温まりました。鮎は近くの揖保川で取れたものなんでしょうか。
 なお、食後にはコーヒーとミニぜんざいが出てきます。
     観光売店さくら路3

 ところで、店内には龍野の名産品が並んでいてお土産として売っているのですが、うちの主人がこんなものを見つけました。
 「醤油アイス」です。
     醤油アイス

 お醤油も龍野の名産品だということです。それを使ったアイスというのですが、ちょっとどんなものか恐る恐る食べてみることに。。。
 たしかにお醤油の風味がしているのですが、しょっぱくはありません。何といいますか、薄味のコーヒーをアイスにしたという感じでした。


 観光を終えた帰りがけ、市内で「揖保乃糸」の工場らしき建物を見つけました。
  揖保の糸

 地元の方いわく、素麺は天日干しするのが恒例なのだそうですが、今年は福島原発の飛散したセシウムの問題があり、風評被害を防ぐため、すべての生産業者が麺を室内干しにしているということです。
 「揖保乃糸」といえば今年の春亡くなった女優・田中好子さんのCMで全国的にも有名になりましたね。
 素麺は圧倒的に夏場にいただくことが多いですが、温かい煮麺も冬場に風邪をひいたときなど消化もよくておススメだと思います。



                      つづく


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三木露風と童謡「赤とんぼ」

 つづき

 龍野藩主・脇坂家の屋敷であった「聚遠亭」から、「文学の小径」と呼ばれるなだらかな坂道を下っていくと、昨日も少しご紹介した童謡「赤とんぼ」の作者・三木露風(1889~1964年)の銅像があります。

   三木露風銅像

 三木露風(本名・操)は兵庫県揖西郡龍野町(現・たつの市)に父・三木節次郎、母・かたの長男として生まれました。父方の家は龍野藩の重臣であり、母は鳥取藩池田家の家老の娘でした。
 露風5歳の時に父親の放蕩が原因で母親が生まれてまもない弟だけを連れて実家へ戻ってしまいます。その後、両親は離婚したため、露風は祖父の元で養育されました。
 幼くして生き別れた母親への思いは終生彼の心から消えることはなかったようです。

 街中を歩いていたところ、三木露風が育ったという祖父の家の跡地を見つけました。
    三木露風旧宅

 銅像の少し先に、「赤とんぼ」の歌碑がありました。この前に立つとセンサーが反応して、「赤とんぼ」のメロディーが流れます。
  「赤とんぼ」歌碑1



 幼い頃から詩作に励み、若年の折から詩集を発表するなど、長じて北原白秋と並び「白露時代」と呼ばれ一世を風靡した露風でしたが、童謡「赤とんぼ」は大正10年(1921年)、露風が北海道・函館郊外(現・北斗市)にあるトラピスト修道院に文学講師として赴任していた折に故郷・龍野を想い、詠んだ詩だということです。(作曲は山田耕筰)
 

 それでは、ここで童謡「赤とんぼ」を聴いていただき、しばし郷愁に浸ってみることにいたしましょう。歌は安田祥子・由紀さおり姉妹です。(リンク切れご容赦ください)
   


 露風はその後、故郷龍野に戻ることはなく東京都三鷹市に暮らし、昭和39年(1964年)交通事故に遭い、76年の生涯を終えました。

 歌碑のすぐ側では、鮮やかに色づいた紅葉が見事でした。

   「赤とんぼ」歌碑2

   赤とんぼ歌碑3


 古きよき時代の日本の歌を、これからも大切に伝えていきたいものです。
   「赤とんぼ」歌碑付近



                       つづく


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「赤とんぼ」の里の紅葉

 「【駅弁】チキン弁当2011クリスマスヴァージョン」 のつづき
 
 先々週ですが、関西に用事があったので、ちょっと足を伸ばして兵庫県たつの市を訪れました。
 JR姫路駅より姫新線に乗り、本竜野の駅へ到着しました。来たのはこれが初めてです。
      本竜野駅

  JR姫新線

 ふと駅のホームの傍らに目をやると、なにやら石像が立っています。
 そうです。ここ龍野は童謡「赤とんぼ」の舞台となった町なのです。

  ♪夕焼け小焼けの 赤とんぼ 負われて見たのは 何時の日か♪

 という誰でも口ずさんだことのある有名な歌ですね。この石像は、「赤とんぼ」の三番

 ♪十五でねえやは嫁にゆき お里の便りも絶えはてた♪
 
 という部分を表現しているようです。
 季節はすでに晩秋で赤とんぼを見ることは出来ませんでしたが、山に囲まれた自然豊かな土地という印象を受けました。
 本竜野駅2


 駅から市街地まで少々距離があるので、元気だったら歩いたのですが、今回は私も連れも体調不良だったためタクシーに乗っていくことに。
 最初に来たのは紅葉の名所という「聚遠亭」。かつて、龍野藩主・脇坂家のお屋敷があった場所です。
 「寛政の改革」で有名な老中・松平定信がかつてこの地を訪れた際、ここからの眺望絶景を讃えて「聚遠の門」と呼んだことに由来しているそうです。今は木々が生い茂って遠くは見えなかったのですが、昔は遠く瀬戸内海の島々が眺められたそうです。
 
 邸内は手入れが行き届いており、噂に聞いていたとおりちょうど紅葉が見ごろを迎えていたので、その写真を数枚載っけておきます。
 
 茶室 安政年間、藩主・脇坂安宅が京都所司代の職にあった折に御所が炎上し、その復興に功績があったとして孝明天皇から拝領したといい伝えられています。庭園、池などと調和した書院造りを模した数奇屋風の建築です。

  聚遠亭1

     聚遠亭


 御涼所  1800年代中期に建てられたと推定される藩主脇坂家とその家族が住んだ屋敷。内部はその後改変が重ねられているそうです。床下には城へとつづく抜け穴があったとか。〈中には入れませんでした)
  聚遠亭4


     聚遠亭6

 
 はやり山里深いという土地柄、気温が低いせいか、私の住む南関東よりも紅葉の発色が鮮やかだったです。
  聚遠亭2


  聚遠亭3

 心字池には鯉が数匹泳いでいました。
      聚遠亭5



 聚遠亭の手前には「龍野神社」」があり、賎ヶ岳の七本槍の一人であった脇坂家始祖・安治公を祀っています。
 
 龍野神社

  

                      つづく

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A☆六文銭

Author:A☆六文銭
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日本100名城完全制覇と有名人の墓めぐり(掃苔)
日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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