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松江の夜は美味しい鶏すき鍋を

 鳥取行きのつづき

 鳥取で主に墓参りをした後、夕方山陰本線へ乗りました。
 スーパーまつかぜ
 スーパーまつかぜ

 およそ一時間半くらいで、松江駅〈島根県)に着きました。
  JR松江駅

 松江に来るのは3年ぶり2回目。今年は「松江開府400年祭」の記念すべき年ということで、ちょっと寄ってみることにしました。

 着いたのが19時過ぎくらいでしたので、駅そばで食事するところを探します。
 前回来た時は和食のお店で松江名物「しじみ料理」をいただきましたが。。。

 今回は、美味しい地鶏をいただけるお店があるというので行ってみました。
 「ヤキトリダイニング シキアン」というお店です。松江駅から2,3分のところにあります。
 お店のホームページ⇒「ヤキトリ・シキアン 松江店」

 こちらのお店のおススメは「鶏すき鍋」だそうなので、「とりすきコース」一人前2500円を頼みました。

 それと、とりあえずビール(笑) 揚げギョーザのお通しがつきます。グループの方なら飲み放題にしてもいいかもしれません。
  シキアン1
 
 その後、「鶏のチリマヨあえサラダ」が来ました。軽く揚げた鳥を、チリソースとマヨネーズで和えたもの。さっぱりして美味しかったです。
  シキアン2

 頃合を見計らって、店員さんがお鍋と鶏肉、葱がてんこもりになった皿を持ってきました。いよいよ鶏すき鍋の準備です。
 お鍋の仕度は店員さんがやってくださいます。
 まず鶏肉を入れ、火を通します。鶏肉は出雲産の地鶏「大山鶏」を使っているそうです。
  シキアン3

 鶏肉の色が変わってきたら。。。
  シキアン4

 葱をいっぱい入れ、その後出汁汁を注ぎます。ふつう、お鍋を頼むと野菜は白菜や水菜とかついてきますが、コチラは葱と豆腐が少々のみ。
  シキアン5

 お鍋がぐつぐついって、葱がしなってきたらちょうど食べごろです。
  シキアン6

 取り皿に生卵を入れ、いただきます。まいう~(´д`)♪ 葱と鶏肉ってすごく合いますね!
 いつも自分ちで鍋をやると、ついつい具材をいろいろ入れてしまうのですが、こういうシンプルな鍋もアリですね。今度家でもやってみようと思いました。
  シキアン8

 お鍋がぐつぐつ行ってる間、コースについている焼き鳥一人前5本(もも肉、ねぎま、こころ、砂肝、つくね)が運ばれてきました。
 本来なら鍋より先に出すべきでしょうが、あいにく宴会の団体さんがいたので出てくるのが遅くなってしまったようです。まあ、それは仕方ないですね。(写真は一部食べてしまってますw)
 あ、もちろん美味しくいただけましたよ。
  シキアン9
  シキアン7

 こうして、鶏三昧でいただいた後は、〆にうどんを。もうおなか一杯です。
  シキアン10

 口直しにゆずシャーベットをいただきました。
    シキアン11

 
 この日は平日だったので割合空いており、焼き鳥が出てくるのが少々遅かった他はゆっくり食事を楽しむことができました。
 


 ヤキトリダイニング シキアン  松江市朝日町488-1F TEl0852-20-2523 営業時間17:00~24:00 年中無休
  ヤキトリダイニング シキアン


 松江400年祭キャラクター「あっぱれくん」
 あっぱれくん
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【予告】林氏墓地(国史跡)公開

 東京都では毎年10月末から11月上旬の限られた期間に、「東京文化財ウィーク」と称して都内各自治体で通常は非公開の文化財や史跡の特別公開を行っています。
 それに関連しての催しだと思いますが、新宿区では毎年11月上旬の限定日のみ、
 国史跡「林氏墓地」(新宿区)を公開しております。
 私は昨年行ってきたのですが、当ブログに書きそびれてしまったので、予告も含めここに記すことにいたします。

 林家は徳川家康に朱子学者として仕えた林羅山に始まり、3代・林鳳岡以降「大学頭」に任じられ、昌平黌をおこし、幕府の教学たる正当朱子学の宗家として代々続いてきた家柄です。
 
 元禄11年より、この地には林家の別邸があったのですが、約1000坪もの広さだったといいます。その屋敷の一角に一族の墓所を造り、林家の人々は歴代当主をはじめその家族も亡くなるとこの地に葬られることになりました。
 
 明治維新後も引き続き林家の管理下にありましたが、大正15年に国史跡の指定を受けました。しかし、時代の移り変わりと共に維持していくのが困難となり、昭和50年に新宿区が林家より墓地を買い取り、史跡として整備することになったそうです。

 林氏墓地は新宿区市谷山伏町1-15にあります。普段は中に入ることができません。(以下、2010年11月撮影)
     林氏墓地2


 かつては3300平米もあった敷地も、明治以降縮小され、現在ではわずか約10分の1となる359平米の広さです。
 明治以降は荒れ放題だったそうですが、新宿区が買い取った後、墓石の修復等環境整備を行い、今は整然としています。
     林氏墓地1


 初代・林羅山の墓  林羅山(信勝)は京に生まれ、朱子学を志して藤原惺窩に師事、後に師の推挙により徳川家康に仕えます。有名な「方広寺の鐘銘問題」の黒幕の一人でもあります。
 上野忍ヶ岡に先聖(孔子)殿を建て、家塾を開いて子弟の教育にあたりました。もともとお墓は上野にありましたが、後にこの地へ改葬されました。
     林羅山の墓


 三代・林鳳岡(信篤)の墓   忍ヶ岡の聖堂を幕命により湯島へ移し、拡張して昌平黌の基礎を築きました。この鳳岡の時、上野にあった屋敷が火事に遭い、牛込に広い敷地を与えられて、ここに一族の墓地を築きました。
 五代将軍・徳川綱吉の信任が厚く、従5位下大学頭に任じられ、以後これが林家の格式となりました。
     林鳳岡の墓


 八代・林述斎の墓   美濃岩村藩主・松平能登守の三男。寛政5年、幕命により林家を継ぎ、大学頭になります。
  子沢山で、息子の一人に「蛮社の獄」で有名な鳥居耀蔵(忠耀)がいます。
     林述斎の墓

 
 林家の人々は「儒葬」と呼ばれる独特のやり方で葬られました。現在ではその詳細は判然としないといいますが、古代中国の制度にのっとっているそうで、墓の中に石製の墓誌を入れることが特徴です。
 なお、林家のご子孫は墓地を手放した後、どこかの寺の檀家になってしまったそうです。明治以降、わが国で儒学は廃れてしまったので、時代の趨勢ということでしょうか。

 前述した通り、これらの写真は昨年の11月一般公開日に撮影したものですが、それほど人もいないだろうと思っていましたが、いざ現地へ足を運んでみると意外に多くの見学者が訪れていて少々驚きました。
 中には「墓マイラー」っぽい人も。。。(私より若い世代のお兄さんでした)
 この手の墓は大変珍しいタイプだったので、こうして残っていることが私には新鮮に感じられました。
     林氏墓地3

 今年度の公開日は、11月3日(木・祝)、5日(土)、6日(日)の3日間(時間は10時~15時まで)になりますので、お近くの方はぜひ足を運んでみては如何でしょうか。
  参考サイト レガス新宿

 上記サイトにもありますが、現地へ行くには都営大江戸線「牛込柳町」が一番近い最寄駅です。(少し歩きます)

 他所の自治体の情報は日頃アンテナを張り巡らしておかないとわからないものですね。私も2,3年前ぐらいにこの件を知り、昨年やっと参詣することが出来ました。
 取り急ぎ、予告まで。(この項、後日加筆するかもしれません)

 墓の話題が続いてしまいましたので、次回は鳥取行きの続きを書きます。

 


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鳥取池田家墓所

 今回鳥取へ来たのはもう一つ大きな目的がありました。
 鳥取池田家墓所への参詣です。前回(3年前)に鳥取へ来訪した折はほとんどお城とその周辺を巡ることで終わってしまったので、今回ようやく参詣することが出来ました。
 大名家墓所へ訪れるのは、春先に行った松前家墓所(北海道)に続き今年2箇所目です。

 池田家の墓所は鳥取城からやや離れた国府町というところにあります。車だとおよそ10分くらいの距離です。
 周囲には自然が豊かで、野鳥のさえずりも聞こえてくるような静かな場所にありました。
  (写真はすべてサムネイルをクリックすると拡大します)
   鳥取池田家墓所1

  墓所には池田家初代から第11代藩主の墓とその家族の墓があります。昭和56年(1981年)国史跡の指定を受けております。
   鳥取池田家墓所8


  墓域は広く、歴代藩主の墓がずらりと立ち並びます。大藩の藩主の墓だけあってどれも立派!江戸時代までは御霊屋や回廊があったそうですが、明治以降取り壊されてしまったようです。
   鳥取池田家墓所7

   鳥取池田家墓所9


 鳥取池田家の成立事情は少し複雑です。播磨姫路藩主であった池田輝政(1565~1613年)には正室が二人いました。
 先妻は糸姫(絲姫)といって賎ヶ岳の戦いで戦死した中川清秀の娘さんで、夫の輝政との間には嫡男の利隆も生まれていましたが、豊臣秀吉の命により、徳川家康の娘・督姫(北条氏直の元妻)が輝政の室として配されることが決まり、糸姫は無理やり離婚させられ、実家に帰されてしまいました。
 輝政の死後、先妻糸姫の子である利隆が姫路藩42万石を継ぎましたが、元和2年に33の若さで死んだため、その子の光政が跡を継ぎます。しかし、その翌年、幼少を理由に光政は姫路から因州鳥取32万石へ国替えを命じられます。
 一方、輝政の後妻の子である忠雄は備前岡山藩に封じられていましたが、寛永9年に31歳の若さで亡くなり、子の光仲はその時わずか3歳であったため、山陽の拠点である岡山は治めがたいとされ、幕命により鳥取藩へ国替えとなり、鳥取を治めていた従兄の光政が交替する形で岡山へ転封させられました。
 以後、光政の家系は岡山藩を、光仲の家系が鳥取藩を治めることになります。
    池田家系図

 鳥取池田家初代・池田光仲(1630~1693年)の墓。光仲は徳川家康の外曾孫ということになります。
  池田光仲の墓b

  光仲をはじめ藩主の墓はユニークな形をしており、ほとんどの人の墓が「亀趺」と呼ばれる台石の上に墓標がのっかっていました。
    池田光仲の墓a


 全員掲載するわけにいかないので、もうお一方だけ紹介。
 6代藩主・池田治道(1768~1798年)の墓。
 この方は子沢山で、娘たちが薩摩島津家や佐賀鍋島家など大藩へ嫁いでおり、従って島津斉彬や鍋島直正(閑叟)の母方祖父にあたります。
 大河ドラマ「篤姫」放映時、地元ではちょっとした話題になったとか。ただし、治道は早死(31歳で死去)だったので、生前斉彬をはじめ孫たちには顔を合わせることはありませんでした。
    池田治道の墓

 なお、墓所には管理人さんがおられ、墓所内を清掃しておられました。こちらがお参りしていると声をかけていただき、パンフレット等資料を頂けました。結局、墓所の参詣や写真撮影で1時間半以上もかかってしまいました(汗)

 墓所へ至る旧参道の傍らにコスモス畑がありまして、ちょうど満開でした。コスモス畑の向こうには古墳があるのだとか。
   鳥取池田家墓所6
 
 コスモスというと普通は9月くらいですが、今年は暖かいのでまだ咲いています。(この日も昼間は汗ばむ陽気でした)
   鳥取池田家墓所5

 これから秋が深まるにつれ、池田家墓所内は紅葉が見ごろを迎えるそうです。

 ※鳥取の旅行記はまた日を改めて掲載します。

 関連記事 上杉家廟所
        吉川広家の墓(吉川家墓所)
        黒田如水の墓(黒田家墓所)


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因州兵の墓参り

 先日は鳥取市歴史博物館にて開催中の特別展「因州兵の戊辰戦争」について書きました。このたび、同館の学芸員さんのご教示を受け、数人ですが戊辰戦争で犠牲となった鳥取藩士の墓参りをしてきました。
 そのうちの一部を紹介します。いずれも無名の人々の墓です。遺骸は戦死した付近の土地に葬られたので、こちらの墓はすべて親族が建てた供養塔と思われます。
 この記事は自分の備忘録という意味合いもあるため、ご興味のない方はスルーでお願いします。


 伊藤猪吉の墓 (鳥取市立川町 広徳寺)
 戊辰戦争では大砲隊の砲手をしていた。
 上野の彰義隊との戦いで深手を負い、数日後に横浜大病院にて死去。この時、17歳の若さであったという。
  伊藤猪吉の墓



 中井範五郎の墓(鳥取市新品治町  景福寺)
 大坂にて勝海舟の下に入門していた。この頃、鳥取藩では尊攘派と守旧派とが対立し、藩論が不統一であった。
 文久3年8月、京都本圀寺において鳥取藩の尊攘派22名が、藩主の側近であった守旧派の黒部権之助ら4人を暗殺する「因幡二十士事件」がおき、範五郎もこれに加わり、二人を殺害した。
 事件後謹慎処分となったが、脱走し、東山道軍に従軍する。
 大総督府により中井は豆相両州軍監を命じられて箱根・権現坂まで来たが、勤皇から左幕へ転じた小田原藩先鋒隊に殺害された。時に29歳であった。中井の遺骸は小田原の寺院に他の犠牲者と共に葬られた。
  中井範五郎の墓


 近藤類蔵の墓(鳥取市新品治町 玄忠寺)
 上記の中井範五郎と共に大坂の勝海舟の下へ入門していた。
 戊辰戦争では砲隊長を務め、奥州広野の戦で戦死した。享年37歳。遺骸は久ノ浜(現いわき市)の寺に葬られた。
 なお、久ノ浜のある旧家が近藤の霊璽(位牌のようなもの)と慰霊祭に使用された幟旗を大切に保管していたが、今年3月11日の大震災で家が被災したものの、近藤の霊璽と幟旗は奇跡的に難を逃れたということである。
  近藤類蔵の墓



 いずれの人たちも無名の戦士でありますが、彼らの短い人生を振り返ると、戊辰戦争のある一面が垣間見えると思います。なお、因州兵は箱館戦争までは従軍しなかったということです。




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テーマ : 歴史
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因州兵の戊辰戦争(鳥取市歴史博物館)

 鳥取県鳥取市にある鳥取市歴史博物館(やまびこ館)では、現在特別展
「因州兵の戊辰戦争~いくさと弔いの明治維新~」を開催中です。(10月30日まで)

 参考サイト  鳥取市歴史博物館「やまびこ館」

  鳥取市歴史博物館

 【展示趣旨】
 因州藩の戊辰戦争についての展覧会。国事周旋にかかわる鳥取藩士の動きを踏まえつつ、主に鳥羽伏見の戦いから上野戦争、北越奥羽戦争への従軍の経緯、戦没者の弔いに至るまでを関連の資料で追跡します。また、全国に散在している関連資料を収集、展示することで、従来顧みられなかった輜重方(軍需品を取り扱う下級兵士)や下級藩兵の視点から近代の幕開けとなる「いくさ」の実態も語り継ぐ内容となっています。


  因州兵の戊辰戦争

 幕末、鳥取藩はいち早く官軍側に付き、家臣たちは戊辰戦争へ従軍しています。今回の展示では因州兵が各地を転戦していった足跡を辿る内容となっています。
 鳥羽伏見の戦いの後、因州兵は大きくわけて二手にわかれ、一方は東山道を、もう一方は北陸道を進軍していきます。
 戦の過程で、かなり多くの犠牲者を出しているのですが、大きな犠牲を払った割には新政府からその功は認められず、従って鳥取藩から明治新政府に出仕した人はほとんど輩出しておりません。
 こうして報われなかった鳥取藩士族のフラストレーションは維新後に高まっていきます。
 
 今回の展示で特記すべきは、戊辰戦争で戦死した因州兵の墓を一つ一つ丹念に調査しているということなんですね。
 展示にあたり、同館では約1年前から準備していたそうなんですが、3人の学芸員さんで分担して調査に辺りました。
 一人の方は京都方面を、もう一人の方は秋田にある因州兵の墓を、さらにもうお一方は福島にある墓をわざわざ調査しにいかれたそうです。鳥取からですと東北地方は遠方ですので、けっこう大変だったのではないかと思われます。
 このうち、福島県いわき市で戦死したある兵士の位牌や、慰霊祭で使われたという幟旗を地元の旧家の方が大切に保管していたのですが、3月11日の震災でそのお宅も被災し、津波のため一部家財道具が流されたそうです。
 しかし、死んだ因州兵の位牌および幟旗を神棚に置いて保管していたため、神棚までは水が来なくて、奇跡的に難を逃れたということです。(これらの品は出展されています)
 この事は展示にも図録にも掲載していない活字になっていない話なのですが、個人的には静かな感動がありました。
 こちらの墓のみならず、各地で犠牲となった因州兵は、直接関係のない地元の方々の手によって供養され、墓が伝えられてきたという事実にも胸を打たれます。

 展示では歴史のある一部分を扱っているのですが、私からみますと、たとえ敵味方に分かれて戦が行われたとしても、ひとたび死んでしまえば、敵味方関係なく死んだ人を「弔う」という行為は、日本人の良いところ・・・いわば美徳だということです。(残念ながら21世紀の世の中になり、人々の価値観も多種多様となり、供養などは二の次になっている場合も少なくないですが。。。)
 展示で取り上げられている因州兵はそのほとんどが無名の兵士たちです。しかし、墓が残ったことにより、墓の向こうにわずかながらその人の人生が見えてきます。いわば、墓というのはその人の生きた唯一の証ともいえるのです。

 震災後、同館の学芸員さんが福島のある地域を訪ねたところ、以前調査した因州兵の墓石が割れていたということでした。
 こうした災害や、あるいは寺などが無縁仏の墓を撤去したりで、長い歳月の間に墓というのは失われていきます。
 墓が失われるその前に、郷土の先人の墓を改めて調査するというアプローチの仕方がユニークで、私的には感心させられました。
 展示の最後のほうで、各地の墓が一覧表になっており圧巻でした。
 維新からおよそ150年もの歳月が経過し、今では墓を守るべき子孫が見つからない場合も少なくないといいます。

 その他、同展示では鳥取藩と関係があった「山国隊」の資料なども展示されていて、先月は京都から山国隊の子孫の人たちがやってきて、軍楽隊の披露があったという話でした。
 地元の方や近県の方、展示は今月30日までなので、ぜひ一度ご覧になってみては如何でしょうか。ローカル局ではありますがテレビCMまで流したという展示ですので、展示にかける力の入れようが偲ばれました。
 なお、私は同館の学芸員さんのご教示を受けて、この後ほんの一部ですが「因州兵の墓参り」をしてきました。

鳥取市歴史博物館(やまびこ館)
 鳥取市上町88 電話0857-23-2140  9:00~17:00 (最終日のみ18:00まで開館) 月曜(祝日の場合、その翌日)休
  
より大きな地図で 鳥取市歴史博物館 を表示


 
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喉の痛み

 実は8月中旬くらいから体の調子がイマイチでして、時々喉の痛みに悩まされています。というか幼い時から喉が弱かったんですけどもね。
 しかも喉が痛いだけならまだいいんですが、必ず高熱が出たり、しつこい咳に移行していくので長年困っております。
 (8月のNHK番組収録時も実は喉をやられており、後日OAしたものを見たらガラガラ声で聞き苦しかったほどです)

 しかも、これから風邪やインフルエンザの季節になり、毎年必ずといっていいほどその犠牲となりますので、今年は今から対策立てないと。。。と真剣に悩み、いろいろリサーチした結果、こちらのアイテムを購入してみました。

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テーマ : 実用・役に立つ話
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昼も牛たん 夜も牛たんでカロリーオーバー(汗)

 つづき

 このたびの仙台行きは日帰りだったのですが、昼食は軽食にして、夕食には仙台名物「牛タン」を食べて帰ろうというのが当初の予定でした。
 ところが仙台城を散策していたところ、急激な空腹感に見舞われたため、城内にある牛タン屋さんへ入ってしまいました。やはり城攻めというのはお腹が空いてきますね。

  伊達の牛たん 青葉城店
  伊達の牛たん1

 メニューにはボリュームのありそうな厚切りお肉の定食などもありましたが、もう年が年ですし、摂取カロリーを考えて、通常の「牛たん定食」(1470円)を注文しました。味は「塩」「みそ」「塩・みそミックス」から選べたので、ミックスをチョイス。
 おいしく頂くことが出来ました。ただし、「塩」味のほうがどちらかといえば私には合っていたようでした。
  伊達の牛たん2

 こちらのお店ですがレストランの営業時間は11時~15時(LO14時半)ということでランチタイムしかやっていないのでご注意ください。(一階のお土産屋のほうは17時まで)


         *****************************


 夕方になり、やっぱりもう一度牛たんを食べて帰ろうということで、新幹線の時間もありますので、JR仙台駅構内3階にある「牛タン通り」でお店を物色。「利久」というお店が有名店ということで入ってみたかったのですが、あいにく店の外に30名前後の人が並んでいたので断念しました。
 隣近所で比較的空いているお店があったのでとりあえず入ってみることに。

  「喜助」JR仙台駅店
  牛タン「喜助」


 昼と夜と牛たんが続いてしまったので、カロリー的なことも考えて、私は「牛たん炭火焼定食」(1500円)を注文しました。
 味は「塩味」をチョイス。 
  牛タン「喜助」2

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震災から7ヶ月 仙台城は今・・・(後)

 ※お知らせ 急用によりブログ1日~2日お休みさせていただきます。

 つづき

 仙台城詰門から大手門跡へ至る道はゆるやかな坂道になっていますが、道路の至るところに地震の影響とみられるひび割れが見受けられました。
 仙台城大手道a

 地震後、地元の方や車で来た観光客はこの車道が使えなくなったので少々不便になったのは困ったことですが、歩行者はいつもは隅っこの歩道を歩かなければならないのに、今だけは堂々と大手道の車道を歩くことができますので、なんだかおかしな気分です。
 仙台城大手道b


 道の途中、中の門跡にさしかかりました。この門は大正時代くらいまでは残っていたそうです。平成15年(2003年)の宮城県北部地震で石垣が崩れ、修復工事が行われたはずでしたが。。。
 仙台城中の門跡b

 石垣がずれてました。。。(泣) これは危険です。
 仙台城中の門跡


 そのまま道を下っていき、大手門脇櫓(隅櫓)のところへ着きました。この脇櫓は昭和42年(1967年)に再建されたものです。
 しかし、ここにも地震の影響が。。。
 大手門脇櫓b

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震災から7ヶ月 仙台城は今・・・(前)

 伊達政宗の墓「瑞鳳殿」を見た後、また「るーぷる仙台」に乗って仙台城を目指したわけですが、3月11日の震災により、仙台城の石垣が崩壊したため、大手道を抜けていく道路が車両通行不可になった影響で、現在「るーぷる仙台」は迂回ルートで運行しております。
 参考サイト⇒仙台市交通局「るーぷる仙台」

 震災前だったら、瑞鳳殿から仙台城まではバスで5,6分程度で行けた筈ですが、震災後は東北大学の青葉山キャンパス方面へ迂回してくため、いつもの倍以上時間がかかってしまいました。ですから、仙台駅からだと30分くらいはかかってしまうのではないかと思われますのでご注意ください。
 (※一般の車も大手門脇櫓からのルートは入れません)

 「るーぷる仙台」は本丸駐車場の方に設置された臨時バス停に着きました。
 写真を撮り忘れたのですが、埋門跡のある方ですね。(下の写真は2008年9月撮影)
 仙台城埋門跡(2008年)

 仙台城の鳥瞰図はこんな感じです。(↓クリックで拡大します)この図を見ると、江戸時代の仙台城がいかに大きな規模だったかがよくわかります。
 仙台城鳥瞰図


 神社やお土産屋さんを通り過ぎて本丸跡地へ。かつてはここに御殿などの建物がありましたが、明治維新後すべて取り壊されてしまいました。
 仙台城本丸跡(2011年)


 前回来た時は悪天候でしたが、今回はやっと青空のもとで政宗公の勇姿をカメラに収めることが出来ました。
伊達政宗銅像(2011年)

 週末だったので、「伊達武将隊」の皆さんの姿がありました。武将隊の方々は「ずんだもち」を合言葉に、積極的に観光客へ声掛けを行っていました。当然ことながら、若い女性にも人気です。
 後で私たちも一緒に記念撮影していただきました。
 伊達武将隊

 武将隊の方に話を聞いたら、甲冑のフル装備でだいたい20㎏はあるといってました。夏場はさぞや大変だったことでしょう。
 写真は撮れませんでしたが、若い女性のメンバーの方(「くの一」さん)もおられ、忙しく走り回っていました。皆さん、本当に頑張っておられました。
 参考サイト⇒「奥州・仙台おもてなし集団 伊達武将隊」公式サイト


 本丸跡は見たところ、隅っこのほうが一部立入禁止になっていたぐらいで、目立った被害状況は見てとれませんでした。
  DSCF6514_20111017141659.jpg

 
 なお、100名城のスタンプは「仙台城見聞館」というガイダンス施設の中の事務室にあります。事務所の方に声かけて出してもらってください。
  仙台城見聞館
 
 下の写真は2008年9月初回訪城時に撮ったものです。この頃はやっと55城目で、折り返しを過ぎた頃。今にして思えば懐かしいです(笑)
  仙台城スタンプ


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伊達家ゆかりの品々(仙台市博物館)

 つづき

  伝上杉謙信所用 「朱皺漆紫糸素懸威六枚胴具足 三宝荒神形兜付」
     伝上杉謙信所用甲冑
 その昔、伊達家の家臣であった登坂家で所有していた上杉謙信所用と伝えられる甲冑。登坂家はもともと上杉家の家臣でしたが、後に伊達家に仕えました。延宝7年(1679年)に登坂家より伊達家へ献上されたといいます。
     三宝荒神兜

  三宝荒神の兜が個性的で、大変珍しい一品です。(フラッシュなしのため手ブレしてます ^^;)


   伝鈴木元信所用 鉄錆地五枚胴
     鈴木元信所用甲冑
 鈴木元信はもともと京の茶人だった人で、政宗にスカウトされて家臣に加えられ、行政、財務能力に優れていたため、政宗から大変重宝されました。
 上の具足は桃山時代のもので、鈴木家のご子孫の家に伝わったもの。NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」では、俳優の平田満さんが鈴木元信役を演じていたのを思いだしました。


   黒釣鐘の旗 (片倉家資料)
     黒釣鐘の旗
 伊達家の重臣であった片倉家に伝わったもの。片倉家では「黒釣鐘」を旗印としていましたが、これは政宗の乳母で、片倉小十郎重綱の異父姉であった片倉喜多がデザインしたものといわれています。
 関連記事⇒片倉喜多

 
 吉野懐紙 (重要美術品)
    吉野懐紙(豊臣秀吉)
 文禄三年(1594年)2月、豊臣秀吉は奈良の吉野山で花見の会を催しました。この会には主催者である秀吉の他、徳川家康、前田利家、宇喜多秀家、伊達政宗ら大名・公家20名が参加しました。
 その時に詠んだ桜の花に関する5題の歌を三巻の巻物に仕立てたもので、江戸時代中頃に伊達家が購入しました。
 上の写真は秀吉が詠んだ歌の懐紙ですが、祐筆に書かせたので自筆のものではありません。
 満開の桜の下、天下人・秀吉を囲んで家康や政宗ら実力派大名が居並ぶ光景が目に浮かびます。

 なお、この時伊達政宗は末席の方にいたわけですが、自筆の流麗な筆致で歌を記しています。政宗は書もうまかったんですね。(パネル展示)
    吉野懐紙(伊達政宗)


  ***********************************

   慶長遣欧使節関係資料 (国宝)
    支倉常長像
 慶長遣欧使節関係資料は伊達政宗の家臣・支倉常長がヨーロッパから持ち帰った24件47点の資料で、江戸時代は支倉家から没収した仙台藩によって秘蔵されていましたが、明治以降民間へ流出し、戦後仙台市博物館で購入。平成13年に国宝指定されました。(上の写真は「支倉常長像」)
 現在、藤原道長の「御堂関白記」と共に、ユネスコ記憶遺産への登録を目指しています。つい先日、スペイン政府が日本と共同推薦を提案していることが明らかになりました。
 
 関連記事⇒「支倉常長とサン・ファン・バウティスタ号」


 以上、これらは今回の企画展のほんの一部です。あまりに豊富な資料が展示されていたため、前回来館時のように今回も時間がなくなってしまいました。
 こちらの博物館は16時45分で閉館してしまうのですが、出来ましたら週に一度くらい17時~18時くらいまで開館していただけると大変助かるのですが。
 今回この展示を見逃しても、また近いうちに同様の展示が行われることを期待しています。


 なお、この日博物館でたまたま企画展関連イベントである講演会が開かれていたので聴講してみました。
 講師は博物館の前館長である佐藤憲一氏。
  佐藤憲一
 

 佐藤さんは三十数年にわたって同館の学芸員として、伊達家関連の資料の収集、整理、保存に従事しました。今回の企画展の概要説明や、資料収集にあたっての秘話など、大変興味深かったです。

 この方は今から15年くらい前に出された『伊達政宗の手紙』(新潮社)という本の著者でいらっしゃるのですが、私も以前これを拝読しましたが、とても面白く読ませていただきました。
 政宗という人は自筆の書状を数多く遺した人で、手紙から見た彼の人間像が伺えて、なるほど・・・と思う事柄が多かったです。
 いわゆる「歴女」たちにとっては人気ナンバー1の政宗ではありますが、正直若い頃の私は政宗にはあまり心惹かれなかったんですね。ところが、この本のおかげで目からウロコが落ちた感じで、政宗を見る目が変わったのは確かです。
 今回、偶然ですが著者のお話を伺うことが出来、幸いでした。
 『伊達政宗の手紙』は長らく絶版だったのですが、昨年洋泉社から復刊されました。しかし、発行されてからまだ一年も経たないのにこちらも品切れ間近なようです。

     
伊達政宗の手紙 (洋泉社MC新書)伊達政宗の手紙 (洋泉社MC新書)
(2010/01/07)
佐藤 憲一

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 この本は直接資料を扱った人でなければとても書けない内容で、名著だと思います。戦国大名として、子の父親として、当代一流の教養人としての政宗の素顔が見えてきます。図書館などにも置いてあると思うので、興味のある方はぜひ一読をおススメします。


 この後は地震後の仙台城のお話を・・・。

 
   
より大きな地図で 仙台市博物館 を表示


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政宗の遺宝(仙台市博物館)

 「伊達忠宗・同綱宗の墓」のつづき

 伊達政宗の墓「瑞鳳殿」に参詣した後、仙台城へ向ったのですが、お城の話は後回しにしまして、お城の後に寄った仙台市博物館の話をします。仙台市博物館は仙台城の旧三の丸の跡地にあります。
 現在、同館では企画展「館蔵名品百選~開館50年コレクションの粋~」を開催中です。(10月16日まで)
 仙台市博物館(2011年)

 参考サイト 仙台市博物館ホームページ

 仙台市博物館は仙台藩主伊達家から寄贈された二万点を超える史料を中心に、仙台の歴史を振り返る上で質・量共に充実した内容の展示がなされています。
 3年前に来館した際とても良かったので、今回もまた館所蔵の貴重な史料が展示されると聞き、やってきました。
 過去記事でも取り上げていますので、そちらも合わせてご覧ください⇒「百万石のお墨付」


 此度の展示もやはり期待を裏切らない、充実したもので、見ていてワクワクしてきました。
 
 伊達政宗所用 「鉄黒漆五枚胴具足」(重要文化財)
   鉄黒漆五枚胴具足
 これは以前も一度見たことがありますが、実戦に対応した重厚な作りの甲冑で、なおかつデザイン的にもシックな印象があります。多くの見学者がここで足を止めて見入っていました。


 金梨子地葵紋桐紋糸巻太刀拵(瑞鳳殿発掘史料)
   伊達政宗遺品b
 伊達政宗の墓「瑞鳳殿」に副葬品として納められていたもの。
 関連記事⇒「伊達政宗の墓 瑞鳳殿」 を参照のこと。
 家紋から、三代将軍・徳川家光が死期の近かった政宗に贈った品ということも考えられるといいます。傷みが激しいため、元の鞘と同じ形のものを作り、その上に古い鞘の漆塗りの部分を移植して修理されています。


 金製ブローチ(右)・慶長一分金・鉛筆(瑞鳳殿発掘史料)
   伊達政宗遺品c
 やはり政宗の墓から発掘された遺愛の品々。
 金製ブローチはヨーロッパ製のもので、鹿革製の袋の中に一分金や日時計と共に入れられており、政宗が大切にしていた品であることがしのばれます。晩年の政宗もやはり時代の子で、なかなかお洒落だったようです。
 右側の鉛筆は、久能山東照宮に伝わる「伝・徳川家康使用」の鉛筆と並んで日本最古の鉛筆だそうです。なお、現在のところ、政宗の鉛筆書きの文書は発見されていないとのこと。


 煙管・鏡・文鎮(瑞鳳殿発掘史料)
   伊達政宗遺品a
 政宗は愛煙家で、一日三度タバコを吸っていたと記録にあるそうです。
 禁煙化の進む21世紀のわが国を、泉下の政宗はどう思っているのでしょうか???


   白絹地雪薄紋単衣
     伊達政宗所用単衣
 火縄銃の薬込め役として政宗に仕え、殉死した菅野重成が拝領したという政宗使用の夏用単衣。
 この菅野重成という人は中級武士だったのですが、殉死するくらいですから政宗からはよほど可愛がられたようで、菅野家のご子孫宅には他にも政宗から拝領した品々が伝えらており、後にご子孫から博物館へ寄贈されました。



 
 政宗の遺宝以外にも貴重な史料の数々がありまして、次のエントリーではそれらの一部をご紹介します。
                  つづく


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伊達忠宗・同綱宗の墓

 「伊達政宗の墓 瑞鳳殿」のつづき

 伊達政宗の墓「瑞鳳殿」を参詣した後、さらに境内の奥まった方へと進みます。
    瑞鳳殿境内


 「感仙殿」 仙台藩二代藩主・伊達忠宗の墓

 伊達忠宗(1600~1658年)は政宗と正室・愛姫との間に寛永4年大坂にて誕生しました。父・政宗の死後、38歳で二代藩主となり、仙台藩の基礎を築きます。万治元年(1658年)7月、60歳をもって仙台城にて死去。
 戦前まで御霊屋は国宝指定されていましたが、昭和20年7月の空襲で焼失。昭和60年に再建されました。
 感仙殿

 霊屋再建に伴い、お墓が発掘調査され、出てきた遺骨から複顔された顔を見ると父・政宗に面差しがよく似ていました。
    伊達忠宗像
          (伊達忠宗像  仙台市博物館蔵)


 「善応殿」 三代藩主・伊達綱宗の墓

 伊達綱宗(1640~1711年)は忠宗の6男として寛永17年(1640年)仙台城に生まれます。
父・忠宗の死後、19歳で三代藩主に就きますが、常日頃素行が悪く、遊興酒色にふけるなどして藩政を省みなかったため、21歳の時に強制的に隠居させられてしまい、家督は2歳の息子・綱村が相続しました。このことは後に「伊達騒動」と呼ばれるお家騒動へと発展します。正徳元年(1711年)、江戸で死去。
 こちらの御霊屋も空襲で焼失し、再建時に発掘調査が行われたところ、遺骸は大きな甕の中に入れられており、奥底に小判が10枚置かれていました。(資料館で見ることができます)
  善応殿


 祖父・政宗はカリスマ性のある殿様として周囲を圧倒していましたが、創業期の苦労を知らないお孫さんの代になるとなかなか難しいものがありますね。
 綱宗は暗愚であったといわれていますが、芸能・芸術を好み、藩政には無関心であったようです。加えて、祖父・政宗の墓「瑞鳳殿」や伊達家の菩提寺である瑞巌寺への参詣も怠っていたのだとか。
 藩主でいたのはたった二年間で、隠居してからの年月の方が長かった綱宗です。
 下の肖像画は晩年の姿でしょうが、うつむき加減でイマイチさえない表情をしています。
    伊達綱宗像
        (伊達綱宗像  仙台市博物館蔵)

 四代藩主・綱村以降は仙台市内の大年寺山に墓所が設けられ、財政難もあって御霊屋は築かれませんでした。
 なお感仙殿に隣接して、9代藩主・周宗、11代藩主・斉義とその夫人・芝姫のお墓があります。(妙雲界廟)
  妙雲界廟

 
 参道を下っていったところに、「御子様廟」とよばれる藩主の子供たちや側室などの墓域がありました。
  御子様廟

 別当の「瑞鳳寺」。この日、中の建物が工事中で見学できませんでした。
  瑞鳳寺


 この後は仙台城へ向います。  つづく



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伊達政宗の墓 瑞鳳殿

 仙台城本丸より東南約900Mの地に「経ヶ峯」という小高い山があり、ここに伊達政宗の廟所
「瑞鳳殿」(仙台市青葉区霊屋下23-2)があります。
 2008年に仙台に来た時、悪天候のため瑞鳳殿へ行かれませんでしたので、今回改めて出直した次第です。
 瑞鳳殿参道入口でバスを降り、樹齢数百年という老杉に囲まれた参道を登っていきます。
 瑞鳳殿8

 さらに墓所へ続く石段を登っていきます。日頃運動不足なせいか、息切れしてしまいます(汗) 駄目ですねえ。。。
 瑞鳳殿9

 受付にて拝観料を納め、中へ。

 政宗の眠る霊廟の前に着きました。表門右手より中へ入ります。
 瑞鳳殿10

 さらに中の門をくぐると・・・
 瑞鳳殿11


 こちらが廟所です。
 寛永13年4月、この頃すでに体調を崩していた政宗はホトトギスの初音を聞こうと病をおしてこの経ヶ峯を訪れ、側に控えていた家臣の奥山大学に死後この辺りに墓を築くよう杖を立てて命じました。
 その二日後、政宗は江戸へ向けて出立しましたが、病状芳しくなく、同年5月24日江戸桜田の仙台藩邸にて亡くなりました。享年70歳。死因は食道噴門癌(胃と食道の境目あたりの癌)と推定されます。奥州の覇者として戦国乱世を生き抜いてきた政宗も病には勝てませんでした。
 政宗の遺骸はただちに棺に納められ、その日の暮方に江戸を発ち、仙台へ向いました。そして遺言通り、この経ヶ峯に葬られました。
 その後、政宗の嫡男である二代藩主・忠宗によって桃山様式の壮麗な廟所が築かれました。

 こうして、今回やっとお参りを果たすことが出来ました。。。(-人-)  深閑とした森の中で小鳥のさえずりがあちこちから聞こえてきて・・・さすがは政宗自身が気に入った土地だけあります。
 しかし、この日は週末だったため次から次へと参拝客が訪れ、あまり落ちつかなかったです。。。やはり人気ありますね。
瑞鳳殿6


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震災から7ヶ月後の仙台

 去る9月23日、東北新幹線のダイヤはやっと通常ダイヤに戻りました。おめでとうございます。
 出張、帰省、観光等での利用客もこれで東北方面へのアクセスがスムーズになりました。
    東北新幹線やまびこ

 JR仙台駅に着きました。仙台へ来るのは実に3年ぶり2度目。
 JR仙台駅(2011年10月)a


 3月11日の震災では大きな被害を被った仙台駅。復旧には時間を要しましたが、すっかり元の姿に戻っていて一安心です。多くの乗客が降りていきます。
 JR仙台駅(2011年10月)b


 仙台駅の様子。多くの人々が行きかっていました。さすがは東北随一の駅だけあります。
 JR仙台駅(2011年10月)c

 JR仙台駅前。前回来た時は途中で雷雨に見舞われ、泣く泣く観光を中断せざるをえなかったため、この日は青空が見えていてホッとしました。
 JR仙台駅(2011年10月)d

 震災直後は駅前のビルでも壁が崩落した等の被害があったと報道で見ましたが、現在では落ち着きを取り戻していました。
 JR仙台駅前


 駅前から「るーぷる仙台」へ乗り込みます。一日乗車券(大人600円 小人300円)を購入すれば一日乗り放題のバス。レトロな外観が目印です。
 ただし、震災の影響で途中迂回ルートを辿りますので、平日は30分間隔、土日休は20分間隔のダイヤに変更されていますからご注意ください。
 
 参考サイト 仙台市交通局“るーぷる仙台”
 るーぷる仙台


 車窓から見た仙台市街。震災からしばらくはライフラインが止り、生活物資が滞る等、市民の方たちも大変ご苦労されたことと思いますが、現在の平穏な街の様子を見て安堵いたしました。
 仙台市街

      
                つづく

 過去記事 JR仙台駅の被害
        震災から1年の仙台へ行ってきました(2012年3月10日)



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