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五島軒 函館カレーEXPRESS  五稜郭タワー(二)

 つづき

 ちょうど五稜郭タワーにいたのがお昼時だったため、タワー2Fアトリウムにある「五島軒 函館カレーEXPRESS」にてランチにすることにしました。
 五島軒さんというのは函館でも指折りの老舗の洋食屋さんとして有名です。明治12年(1879年)の創業だそうです。
 屋号は初代の料理長の名前(五島英吉)にちなんだものだそうですが、この人は元々、長崎奉行所の通詞だったそうですが、故あって戊辰戦争で旧幕府脱走軍に加わり、五稜郭に立て篭もって戦っていたという異色の経歴を持つそうです。

 五島軒函館カレーEXPRESS


 ※詳細⇒五島軒ホームページ

 以前函館へ来たとき、末広町にある五島軒さんの本店の前を通りかかったのですが、その時はあいにく時間がなくて食事できませんでした。
 五稜郭タワーに支店があるのは今回始めて知りました。4年前にはテナントで入っていなかったような記憶があります。

 五島軒さんの創業以来の伝統の味というイギリスカレー800円を注文してみました。+400円でサラダ、スープ、オレンジラッシーのセットメニューに出来ます。
 シンプルなビーフカレーではありますが、まろやかでコクがあって美味しかったです。私好みの味でした。
 五島軒イギリスカレー
 五島軒サラダ

 連れは「蘆日野カレーセット」1400円を。こちらは牛筋とマッシュルームが入っています。船山馨という作家が書いた『蘆日野』という小説にちなんだネーミングです。この『蘆日野』という小説は箱館戦争を題材とした歴史小説ですが、五島軒がモデルになっているそうです。
 五島軒蘆日野カレー

 こちらも大変美味しくいただけたそうです。
 レジの方でこのカレーのレトルトが売っていたので、お土産に買って帰ればよかったと少し後悔。
 次回函館へ来たときは、本店の方でロシア料理でも食べてみたいものです。

 この日、タワー裏手の桜は満開でした。これで五稜郭の桜は見納めです。
 五稜郭タワー裏の桜

 これにて98城目を数えた五稜郭関係はおしまいです。100名城まであと残り「2」城になりました。
 最後までお読みいただき有難うございました。


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五稜郭タワー(一)

 五稜郭の☆型の城郭を把握するには、五稜郭のすぐ外にある五稜郭タワーの展望室から眺めるのが一番です。
 五稜郭タワーは五稜郭築城100年を記念して、1964年(昭和39年)に高さ60mの旧タワーが建設されました。
 2006年4月に高さ107mの新タワーがオープンし、現在に至っています。
 五稜郭タワー外観


 五稜郭タワーの入口を入ると、すぐ売店になっています。ここではお菓子や飲料、五稜郭グッズや新選組グッズなど多数揃えてあるのでお土産の購入に便利です。
 五稜郭売店

 それからホールには箱館戦争を戦った元新選組副長・土方歳三や、「蝦夷共和国」総裁・榎本武揚、五稜郭を設計した武田斐三郎のブロンズ像がありました。
 土方の立像は新選組ファンと思しき若い女性たちに人気の記念撮影ポイントになってます。土方は「蝦夷共和国」の幕僚の中で唯一戦死しました。
 土方歳三像1

 榎本武揚像。人気はイマイチ?4年前来た時は設置されてなかったような。。。
 榎本武揚像

 武田斐三郎。五稜郭設計にあたって参考とした西洋式築城法の書を片手にしています。これも4年前はなかったと思います。
 武田斐三郎像

 展望室は有料なので、券売所で入場料を支払います。なお、ここにも100名城のスタンプが設置されておりますので、利用してください。(受付の人に申し出れば貸していただけます)
 五稜郭券売所


 エレベーターで展望室2階へ。ここへ来たのは二回目ですが、やはり真っ先に窓側へ。☆型の五稜郭が遠望できます。
五稜郭遠望

 新しく出来た箱館奉行所もご覧の通り。
 箱館奉行所遠望

 なお、展望室には五稜郭の歴史や箱館戦争などについてパネル展示があります。GW中だけあって、混雑していました。
 五稜郭展望室

 そしてまたまた土方歳三のブロンズ像。こちらもお客さんには大人気で、皆さん入れ替わり立ち代り記念撮影しています。今も昔も二枚目は得ですね(笑)
 土方歳三像2

 展望室2階のすぐ下の階には売店や喫茶スタンド等があります。(省略)       つづく
 
 参考サイト 五稜郭タワー・オフィシャルウェブサイト


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五稜郭の春

 箱館奉行所(左)と五稜郭タワー
箱館奉行所と五稜郭タワー


 結局、わが国初の西洋式要塞である五稜郭は、箱館奉行所を護るために造られたということが言えると思います。
 しかし、造られた目的は諸外国からの防衛という理由からでしたが、実際は旧幕府軍と官軍という日本人同士の戦場になってしまったというのは皮肉です。
 しかも、3Kmほどの箱館湾上から放たれた艦砲射撃で、奉行所の太鼓櫓の部分が被弾していたということですから、五稜郭は大砲の破壊力の向上等兵器の発達の前にすでに「時代遅れ」となっていたことがわかります。武田斐三郎が当初描いた図面よりも実際は予算の関係等で小ぶりな規模に留まったことも原因しています。

 最後に五稜郭を一周してみることにしました。
 
 唯一残された当時の建物である土蔵造りの兵糧庫。隣に100名城のスタンプが置いてある売店があります。
 五稜郭・兵糧庫

 兵糧庫の前に設置してある外国製の大砲。手前がドイツ製クルップ砲。新政府軍軍艦「朝陽」のもので射程距離3000mという。
 後方が英国製ブラッケリー砲。旧幕府軍が築島台場に設置したといわれ、1961年に函館市豊川町で発見された。
 五稜郭3


 大砲を運んだ坂。付近を発掘調査をしたところ、長屋を壊して大砲を運んだと思われる2筋の轍(わだち)が発見されたそうです。以前書かれた資料を読むと、五稜郭の砲台に実際大砲が設置されたか疑わしいという記述もありましたが、実際は設置されたということがわかりました。
 五稜郭2

 表門の対岸に築かれた三角形の陣地、半月堡。当初の計画では5箇所に設置の予定だったが、予算不足のため一箇所しか築かれなかった。
 五稜郭4・半月堡

 半月堡から見た二の橋と表門跡。向こう方の見隠塁に阻まれて、奉行所は太鼓櫓しか見えませんでした。
 五稜郭5

 五稜郭の北側にある三の橋と裏門跡。
 五稜郭・裏門

 裏門付近にある空堀。
 五稜郭・空堀

 掘割。石垣上の土塁の高さは約5~7m。堀幅は約12~13m。堀の深さ約4m。設計当初は堀幅を30mくらいで構想していたといいますが・・・。
 五稜郭7


 取り立ててお城に興味がなくても、五稜郭内の散策は楽しいものです。外周は1815mのジョギングコースになっており、この日も午後から天気が回復したのでジョギングやウォーキングの方たちがいました。

 この日(5月2日)、五稜郭の桜はまだほとんどが蕾の状態でしたが、やっと咲いている木を数本見つけました。
五稜郭の桜2

 地元の方に聞いたところ、年々五稜郭の桜の開花時期が遅くなっているようで、今年もGW後半からやっと開花しだしたようです。今年は高遠城で見事外してしまったので、一部ですが桜が見られて良かったです。
 五稜郭の桜1


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箱館奉行所(三)

 つづき

 前にも書きましたが、復元された箱館奉行所は当時の建物の3分の1に留まりました。下の写真は奉行所の図面ですが、青い部分が復元された箇所で、本当はもっと広い建物だったことがわかります。
箱館奉行所全体図

 奉行所の裏側。この辺には奉行の役宅が続いていたはずだった。
箱館奉行所外観3

 奉行所向って左側より。この辺には「白洲」があった。奉行所にとって、裁きの場である「白洲」は重要や役割の場所だったはずですが、建築基準法等の制限により復元されなかった。
箱館奉行所外観2

 この辺りも本来は長屋や板庫があったはずだが、復元は見送り。
箱館奉行所外観1

 なお、奉行所の周囲にあるアカマツは、当時建物に沿って植えられていたので、赤松の配置を見ると奉行所のおおよその範囲がわかります。

 最後に越前産の赤瓦。昔は瓦の一枚一枚が色むらが出来てしまうのが当たり前でしたが、現代では機械化生産によりすべて均質な色合いの瓦が出来るのが当たり前。ですので、往年の雰囲気を出すために塗り薬等を調整し、わざわざ色合いの異なる瓦を数種制作し葺いたそうです。大変手間がかかっております。
 箱館奉行所太鼓櫓


 以上見てきたように、多くの専門家、職人が結集し、手間暇かけた復元工事がなされたわけで、多額の費用もかかったことからここまで復元できれば良しとしなければならないのかもしれません。
 ただ、もし今後さらに他の箇所も復元可能な条件が整ったなら、ぜひともお願いしたいものです。
 私的には少々物足りなさも残りましたが、函館に新たな観光の目玉が増えたことは大変喜ばしいことで、この日もGW中とあって多くの観光客が訪れていて何よりでした。


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箱館奉行所(二)

 つづき

 奉行所の屋根は桟瓦葺きになっており、その上に宝形屋根の「太鼓櫓」がのっかっています。
箱館奉行所太鼓櫓

 そこには名前通り太鼓が置かれていたのですが、見学者は櫓に上がれません。
 箱館奉行所内部10

 奉行所には二階にも「臨時調所」という部屋がありましたが、ここも見学者は立ち入り禁止です。
 箱館奉行所内部9
 写真パネルが置いてありました。
箱館奉行所内部15


 最後に「建築復元ゾーン」の2部屋へ。ここも復元に関するパネルが展示されています。
 同心部屋にあった瓦と釘隠しなどの説明。奉行所の屋根瓦には越前産の赤瓦が使用されています。昨年、福井へ行った時の記事で少し説明いたしました。(過去記事「福井市立郷土歴史博物館/福井県立博物館」の項参照)
 箱館奉行所内部12
箱館奉行所内部11

 足軽部屋。足軽は雑務に従事していました。
 箱館奉行所内部13

 最後に出口になっている内玄関のところに置かれている大きな甕。発掘調査を行った際、玄関と内玄関の地中から下の写真のような甕が出土したということです。建築に関する儀式で使用された?との指摘もありますが、詳細はわからないようです。
 箱館奉行所内部14


 以上で内部の見学は終了で、見学時間は45分くらいでしたでしょうか。wktkしながらやってきた私でしたが、少々物足りなさが残りました。
 今回復元されたのは、当時存在した建物のたった3分の1に留まったこと。建築基準法により、建物面積がある一定の基準を超えると防火壁を作らなければならないため、広さが抑えられてしまったようです。ですから、当時あった建物はこれよりもっと広くあったんですね。
 それから、部屋の中が少々殺風景すぎるように思いました。前回のエントリーで大広間の写真がありましたが、至るところ襖がすべて真っ白で、まったく襖絵が描かれてないんです。これは文化庁の方針で、「記録がないものはすべて白で」というのに忠実に従った結果です。
 しかし、記録には残りませんでしたが、当時襖にはなんらかの絵が描かれていただろうと思うんですね。
 一応、掛け軸を飾ったり多少の工夫は見られるのですが、奉行所の執務の様子を再現してみるとか、もう少し「見せ方」に工夫があってもいいのではないでしょうか。

 最後に、この日途中で雨は上がったのですが、相変わらず強風だったため窓が全部塞がれていたことです。自然光がまったく入らなかったこと、中庭が見学できなかったのが残念でした。

 次は奉行所の外観を。
 
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箱館奉行所(一)

 箱館奉行所正面2

 幕末、開国後の対外防衛のために江戸幕府が箱館山の麓からここ亀田の地に移設した箱館奉行所ですが、明治維新により、完成してからわずか七年の明治4年(1871年)に北海道開拓使の命によって解体されてしまいました。
 近年、箱館奉行所の復元という話が持ち上がった時、箱館奉行所を写した古写真が二葉(うち一枚は所在不明)あったので、それを元に多くの文献調査、発掘調査を行い、その甲斐あって昨年このように復元建物が完成しました。
 ちなみに手前の梅の木も古写真に写っており、元の位置に植えなおされました。

 私がカメラをもって奉行所の前をうろうろしていますと、近くにいた観光客らしき若いお兄さんが、
「シャッター押しましょうか」
 と言ってくださったので、ご好意に甘えて記念写真を撮ってもらうことに。奉行所の前に立って、
お兄さん「ハイ チーズ!」
 とその時。
 すぐ近くでバキバキバキバキー!といきなり大きな音がしました。
「なんか、木が折れたっぽいっすね」とカメラを返してくれながらお兄さんが言います。
 たしかに・・・折れてますた。。。(´・ω・`) ものすごい強風で、アカマツの枝が折れてしまっていたのです。お兄さんや私たちを直撃しなくて幸いでした。
 五稜郭の赤松

 お兄さんにお礼を言って、奉行所の中へ入ることにしました。
 玄関から入って、受付で入場料を支払います。
 奉行所の内部は大きくわけて4つのエリアに分かれています。まずは再現ゾーンから。
 長年にわたる調査により、出来る限り当時使われていたものと同じ用材を使用してあるそうです。

 手前より四之間、参之間、弐之間、壹之間の計72畳の大広間。畳は備後表の最高級のものを使用。
箱館奉行所内部1


 表座敷 奉行の執務室。最後の箱館奉行杉浦兵庫頭誠の書が掲げられていた。
箱館奉行所内部2

 
 武器置所 刀や槍、弓矢、鉄砲を置いていた。しかし、現在は何も置いてなくてガランとしています。
箱館奉行所内部3


 大広間脇の長廊下。この日は風が強く、すべて雨戸が閉められており、自然光が全く入らず薄暗かったです。
箱館奉行所内部4

 つづいて歴史発見ゾーン。
 奉行所の中で奉行、組頭に次ぐ役職であった御役所調役の執務室。室内には奉行所関係や箱館戦争等に関する説明パネルが展示されてある。
 箱館奉行所内部6

 屋根板の一部が開放され、建物を支える大きな欅の梁を見学できます。
 箱館奉行所内部5

 定役元締 定役手附の執務室。庶務経理等を行っていたという。この部屋もパネル展示があります。
 箱館奉行所内部8


 隣は映像シアター。箱館奉行所の復元までの軌跡をビデオで見ることができます。このビデオを見れば、多くの専門家が結集し、当時とほぼ同じ用材で復元を試みたその過程が詳しくわかります。
 これと同じ映像のDVDが、100名城のスタンプが設置されていた奉行所の向かい側にある売店(お休み処「いたくら柳野」)で販売されています。完全版とダイジェスト版の2種類置いてありました。なお、部屋は同心組頭、同心使役の詰所でした。
 箱館奉行所内部7

 
 長くなるので続きます。
 
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「お城」ではなかった!?五稜郭 (98/100)

 松前、函館の旅も二日目。前日は大荒れの天気に泣かされましたが、翌日も朝から小雨が降ってました。そして、相変わらず風も強い。寒い。

 早く雨やまないかな・・・ 路傍のベンチに腰掛けた坊やとワンコもどんよりとした空を見上げています。冷たい雨にうたれてかわいそう。
少年と犬

 市電と徒歩で五稜郭へ着きました。
五稜郭1

 五稜郭は幕末の元治元年(1864年)に完成したわが国初の西洋式要塞(城郭)です。江戸幕府が開国後の北方防備を強化するために築かれました。伊予大洲出身の蘭学者、武田斐三郎の設計によるものです。武田はフランス軍艦の士官から贈られたたった一冊の築城書を参考に、独自のアイデアも織り交ぜ、星型(稜堡式)の要塞を考案したのです。
    武田斐三郎


 五稜郭はいわゆる藩主の御殿や天守のある「お城」ではなく、あくまでも江戸幕府の役所に過ぎませんでした。当時の正式名称を「亀田御役所土塁」といいました。「五稜郭」は俗称だったそうです。
 五稜郭地図

 五稜郭へは100名城のスタンプラリーが始まる4年前に一度来ていますので、今回の見学のメインは復元された箱館奉行所の見学です。前回来た時はちょうど工事中でした。(2007年4月時)
 箱館奉行所工事中

 お堀を渡り、園内を歩いていくと、お目当ての箱館奉行所が出現!木造による復元でいい感じです。 
 箱館奉行所正面

 いざ中へ入ろうとしたら、ちょうどバスツアー客と思われる団体さんが来てしまいましたので、奉行所の真向かい、赤松並木の後方にある売店・お休み処「いたくら柳野」で少々時間をつぶすことに。
 板壁作りの「板庫」を再現した店内には100名城のスタンプも設置されています。箱館奉行所の受付にはスタンプは設置されてないので、ご注意ください。
 売店にはお菓子などのお土産とセルフの喫茶コーナーがあります。
 五稜郭内売店

 店員さんにスタンプをお借りし、98城目のスタンプをゲットです。
 なお、100名城のスタンプですが、五稜郭タワーの一階チケットカウンターにも設置してあります。(過去記事 「五稜郭タワー(一)」を参照)
   五稜郭スタンプ

 寒かったので、幕末に輸入されたというコーヒー豆を再現した「箱館奉行所コーヒー」(250円)を注文しました。自分には苦味の強い味でした。時間があったら是非こちらで味わってみてください。
 箱館コーヒー


 ちなみにこの売店は以前はありませんでした。売店のあった位置には、かつて市立函館博物館五稜郭分館があったのです。奉行所の新築にあわせて、分館は取り壊されちゃったんですね。(2007年4月時)
 市立函館博物館五稜郭分館

 一息ついたところで、奉行所の内部を見学します。     つづく


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テーマ : 城めぐり
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追悼 長門裕之さん

 俳優の長門裕之さんが亡くなりました。今日、お通夜が執り行なわれたそうです。
 長門さんといえば、かつての日活のスターであり、存在感のある俳優人生を送られてきました。いつも何かしらのドラマや映画に出ておられたので拝見する機会も多く、長門さんの訃報を聞き一抹の寂しさを感じます。

 数多くの映画、ドラマに出演された長門さんですが、私が最初に彼を拝見したのは小学1年のとき見た「ガラスのうさぎ」という戦争映画でした。主人公のお父さんの役を演じておられました。
 それから次に長門さんの存在を意識したのは、大河ドラマ「徳川家康」の中で、家康の家臣である本多作左衛門の役で出ておられた時のことです。本多作左衛門は「鬼作左」と呼ばれた剛毅な武将で、「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」という「日本一短い手紙」で知られた人です。
 NHKで放映していた「シャーロックホームズの冒険」でワトソンの声の役をやっていたり、民放のドラマでもいつも何かしら出ておられました。悪役から良い役まで、幅広く器用に演じることの出来る方だったように思います。

 長門さんの若い頃を私はほとんど知りませんが、坂東妻三郎主演の「無法松の一生」で子役で出ておられたというのですから、芸歴は相当長いということですね。私はこの作品を以前テレビで放映されていたのを見たことがあります。
 やがて、日活に入社され、「太陽の季節」で主演し、この作品で後に奥さんとなる南田洋子さんと知り合います。
 若手スターとして歩みはじめた長門さんですが、後輩の石原裕次郎に人気の面で追い越されていってしまったといいます。それでも、今村昌平監督の「豚と軍艦」に主演するなど良いお仕事をされたそうです。

 長門さんが幼少の頃、何故か女優であった母親から冷たくあしらわれて、母親は弟の津川雅彦さんばかり贔屓し、辛い思いをされたそうです。だからこそ、慈母のような南田さんと出会えて、長門さん自身救われた思いだったのではないでしょうか。だからこそ、最愛の彼女を喪った時の長門さんの悲しみは相当深かったに違いありません。

 それにしても、相思相愛のご夫婦で、奥さんのほうが先に逝ってしまうと残されたご主人が急に弱って、後を追うようなケースを巷でもよく聞きます。有名なところでは俳優の西村晃さんや作家の城山三郎さんなどもそうだったと思います。
 逆に、ご主人を先に見送った奥さんはピンピンしていて、その後も長生きされることが多いです。
 こうしてみると、男の人のほうが精神的に脆いのでしょうかね。

 夫人の南田さんが認知症のような症状で闘病されている様子を某テレビ局のドキュメンタリーで公開した長門さんでしたが、私はあの時、あまりにも南田さんが痛々しくて、このようにテレビで「さらし者」にすべきではないと思いましたが、今になってみると、ああやって他人様に広く知ってもらうことで長門さんご自身、心の均衡を保っていたのかもしれないな、と思ったりしています。
 記者会見を見ると、いつも「洋子、洋子」を連発されていたので、包容力のある奥さんに終始甘えていたのでしょうね。私生活では色々あったようですが、奥さんにはついぞ頭が上がらなかった。長門さんは奥さんのことを深く愛していたのでしょう。
 
 最後の最後まで仕事が途切れずにおありで、これは俳優として幸せなことだったと思います。長きにわたり、存在感のある演技で楽しませてくださって本当に有難うございました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

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テーマ : 訃報
ジャンル : ニュース

新函館らーめん 龍鳳

 つづき
 函館に到着したのは夜9時半すぎ。まだ小雨と北風が強いです。
 とにかく冷えた身体を暖めようってことで、うちの旦那が向った先は「大門横丁」という屋台村。その入口付近にあるのが「新函館らーめん 龍鳳」さんです。函館は塩らーめんの本場だそうですが、ここの塩らーめんは一羽の丸鶏から丁寧に鶏油を抽出し、それを熟成させると黄金色へ変わってくることから「黄金塩らーめん」と呼ばれているそうです。

 店内を覗くと屋台なので席が8席しかなく、おまけに満席でした。店員さんがしばらくお待ちください、というので15分くらい待ちました。とにかく肌寒いので、待つ時間が長く感じられた。
 新函館らーめん 龍鳳

 やっと先客が出ていったので、カウンターに座る。隣の人と袖が擦れ合うほど狭いです。
 とりあえず、ここのおすすめ「黄金塩らーめん」(700円)にコーンと味玉をトッピングして頼みました。それからビールと餃子(400円)も追加で。
 ややあって、ラーメンが出てきました。
 龍鳳 黄金塩らーめん

 触れ込み通り、スープが透き通っていて、あっさりしていて美味しかったです。これだったら、どこかで飲んだ後に〆で寄ってみてもいいかもしれないですね。
 ビールで一杯しながら、餃子もいただきました。
 龍鳳 餃子

 私らの後もお客が立て続けに来ていたので、評判の良い店なんでしょうね。毎日深夜12時くらいまでやっているそうです。
 すっかり身体も温まったところで、予約していたホテルへ直行し、シャワーを浴びた後すぐに爆睡したのは言うまでもありません。

                  つづく


 参考サイト 新函館ラーメン 龍鳳(大門横丁店)

 
 ※ブログ、1、2日お休みさせていただきます。


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テーマ : 北海道旅行
ジャンル : 旅行

松前城ライトアップ

 4月下旬より松前城は日没から夜9時ごろまでお城のライトアップが実施されているそうです。
 この日は午後6時40分すぎからライトアップが始まりました。

松前城ライトアップ

 もう少しお城と桜を楽しんでいたいところでしたが、午後7時の函館行きのバスに乗らなければ帰れなくなってしまいます。ですから、ライトアップを楽しめたのは賞味10分弱。
 たまたま松前城管理事務所の職員の方がおられ、カメラのシャッターを押してくださったので記念撮影もできました。親切な職員の方、どうも有難うございました。

 今回の松前城攻めは大荒れの天気に泣かされました。お城も撮影しそこねた箇所もありましたし、箱館戦争の足跡など城下町もまだまだ見足りなくて少々悔いが残っていますが、それはまた再訪したときの楽しみとしたいと思います。

 それから余談ですが、この時期の函館、松前はけっこう肌寒いですね。私は春用のブルゾンの下にユニクロのヒートテックシャツとウールのカーディガンを着ていました。雨風が強く体感気温もおそらく10度以下だったので、使い捨てカイロも持参して正解でした。
 本州や四国、九州地方はゴールデンウィークにはすでにかなり暖かくなっていますから、油断をして薄着のまま北海道へ行くと大変なことになります。
 少々荷物にはなりますが、裏地のついた春秋向きのブルゾン、スプリングコートに、カーディガンやマフラー、ストールを持参するなど、防寒を考えた服装をしていったほうがよさそうです。

 いよいよ次からは函館編へ。


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テーマ : 桜や紅葉の名所・観光地情報
ジャンル : 旅行

松前藩屋敷

 松前城下の散策をするもすでに時計の針は午後5時すぎ。風雨が強く難儀していたところ、とある施設を発見しました。

 「松前藩屋敷」 江戸時代の松前の城下町を再現したテーマパークだそうです。ガイドブックを見たところ、開館時間は午後5時までと書いてある。あ、もう閉まっちゃうんだな、と思い、パンフだけでももらっておこうと受付へ行ったところ、「今日は特別に7時まで開いてますよ」というので、雨宿りもかねて入ってみることに。
松前藩屋敷10

 中には14棟の建物があります。時代劇のセットみたいな感じです。幕末の松前は8000戸、3万人の人口がいたといわれ、活気があったことでしょう。
 松前藩屋敷11

 松前藩屋敷8
 

 入ってすぐ左手に「松前藩沖の口奉行所」があります。蝦夷地へ入る人、船、荷物を改め、徴税を課すところです。
 松前藩屋敷1

 蝦夷地へわたろうとする人には取り調べが厳しかったそうです。かの吉田松陰が蝦夷地渡航を考えながらも断念し、津軽まで来て引き返したのもこれ故。
 松前藩屋敷12


 商家。松前の城下には近江商人や北陸出身の商人等、他所から来た商人が多かったそうです。北前船の航路があったからですね。商売に成功するとけっこう裕福だった模様。
 松前藩屋敷2


 旅籠屋。現在でいう旅館ですね。間口の広い店で、二階にも座敷がありました。
 松前藩屋敷6

 漁家。松前はにしん漁が盛んだったとか。漁師のお兄さんたちが一杯やってます。
 松前藩屋敷9


 髪結い床。
 松前藩屋敷7

 自身番小屋。松前は海沿いの町なため風が強く、火事がおこりやすかったため防火に力を入れていました。
 松前藩屋敷3

 ざっとこんな感じです。(以下省略)いよいよ風雨がさらに激しさを増してきたため、お土産屋さんで休憩することに。
 桜まんじゅうとお茶のセットを頼み、一休み。おまんじゅうが美味しかったです。
 松前藩屋敷4

 お菓子の他、松前藩に関する漫画や雑貨等が売っていたので購入しました。
松前藩屋敷5


 江戸時代の街並みが再現され、建物も細部までよく復元されており、松前の人々の暮らしぶりがよくわかる施設ですが、正直何かもう一工夫あってもいいかも、と思いました。この日は夕方、しかも悪天候とあって客の姿もほとんど見かけず、閑古鳥でさびしかったです。


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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

松前崇広の墓

 松前藩主松前家墓所より、一人ご紹介します。

 第十二代藩主・松前崇広(1829~1866年)の墓
松前崇広の墓

 第九代藩主・松前章広の6男。嘉永2年(1849年)家督を相続する。同年、幕命により福山城(松前城)築城に着手する。
 文久3年(1863年)以降、寺社奉行、老中格、陸海軍惣奉行、陸海軍総裁、老中を歴任。外様大名からの老中就任は異例であった。(老中は通常、5万石以上の譜代大名から登用される)

 慶応元年(1865年)、英・米・仏・蘭公使が兵庫開港を要求したが、老中の阿部正外と崇広は勅許を得ずに独断で開港を決めた。このため、幕府内の攘夷派より突き上げられ、一橋慶喜からは朝廷へ訴えられた。将軍・徳川家茂はやむなく両名を罷免し、官位剥奪の上、国許謹慎を命じた。
 翌慶応2年(1866年)1月に崇広は松前へ戻り、城内の一室で謹慎生活を送るが熱病にかかり、同年4月38歳という若さで失意のうちにこの世を去った。

松前崇広肖像

 幕末史に関心のある方なら名前くらいはご存知かもしれません。上の肖像写真は第二次長州征伐の途上で撮影されたものです。正装し、自信に満ち溢れた表情をしています。
 若い頃より西洋通でもあり、外様大名ながら老中へ異例の抜擢をされたのも、ペリー来航以後の混乱する国情に対応するためと思われます。
 しかし、上にも書きましたように、時代の趨勢は崇広を長くは生きさせておきませんでした。彼もまた幕末維新の激動の中で一瞬のうちに政治の表舞台から姿を消したのです。上の写真を撮影してからわずか一年あまりで失脚、ほどなくして亡くなったことを考えると、運命の残酷さを思わずにはいられません。

関連記事 暴風雨に大苦戦 松前城


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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 有名人の墓(ま行)

松前家墓所

 お城の北側に、法幢寺という曹洞宗のお寺があります。ここは松前藩主・松前家の菩提寺となっています。
 山門をくぐって左手のほうに土蔵造りのゆるやかな唐破風の車寄せがついた御霊屋がありました。藩主や奥方など一族の位牌が納められているそうです。内部は見られませんでしたが、松前藩家老で絵師としても名を馳せた蠣崎波響の描いた極彩色花鳥の画が描かれているそうです。
 松前家御霊屋1

 松前家の家紋である幸菱が彫られています。松前家は先祖が若狭の武田氏(清和源氏)で、室町時代に遠く蝦夷地へ流れてきたといいます。今年の大河ドラマ「江」で、浅井三姉妹の従姉にあたる京極竜子の前の旦那さんは武田元明といいましたが、彼は若狭武田氏の人ですね。ですから先祖を同じくする遠縁ということです。(過去記事「武田元明の墓」参照)もっとも、本当に武田氏の出なのかは確証はないようですが。
松前家御霊屋2


 寺の裏手の方には松前家の墓所があり、石廟が55基並んでいます。昭和56年(1981年)国史跡の指定を受けました。
松前家墓所1

 墓石は石造りの切妻屋根の覆屋で覆われています。冬に降雪で墓石が傷まないようにとの配慮からでしょうか。花崗岩で出来たものと、遠く越前から北前船で運んできた笏谷石で出来たものとがあります。
 江戸後期になると、墓石は越前で墓の形に加工され、そのまま運ばれてきたそうです。
松前家墓所2

 墓石を一人一人確認したいところですが、夕方しかも悪天候ということもあり薄暗くてよく見えません。(写真はかなり感度を上げて撮影していますが)靴は泥だらけにはなるし、また再訪したときにきちんと撮影しなおそうと思い、早々に退散しました。

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松前城(二)

 つづき

 松前城天守閣の中で100名城のスタンプを無事押印し、とりあえず第一の目的は果たしました。
 天守閣の中は「松前城資料館」になっており、松前藩やアイヌ関係の資料が多数展示されてありました。
松前城資料館2

松前城資料館1

 写真パネルもいくつか展示してありましたが、昭和24年(1949年)の火事で天守閣が炎上している様子を写した写真がありました。本当にもったいない事をしましたね。
  炎上する松前城天守閣

 旧幕府脱走軍の榎本武揚、土方歳三の写真も。
  松前城資料館3


 外の雨が降り止まないもので、30分くらい雨宿りしていたのですけれども、そうこうしているうちにも時間は刻々と過ぎていきます。
 仕方ないのでお城の裏手へ行ってみる。

 大雨により辺りにはもやがかかってしまっており、お堀の水が濁っちゃってます。
松前城天守2

 天守の裏手にはかつて本丸表御殿がありましたが、今はただの広場になっています。
 隅っこのほうに、1669年におきた「シャクシャインの乱」で犠牲となったアイヌ人たちの「耳塚」がありました。
耳塚

 その脇には何やらいわくありげな井戸が。「闇の夜の井戸」と呼ばれているようです。江戸時代前期の頃、時の藩主に対し度々諫言を行っていた重臣を快く思わない一派がだまし討ちにして、この井戸に放りこんで殺害したんだとか。
 もっとも、その当時の井戸は本丸御門の目の前にあって、こちらの井戸は後世移動したのだそう。
 たしか、四国の丸亀城にも人を城内の井戸に放りなげて殺したという逸話がありました。(※丸亀城(二)参照)
 闇の夜の井戸

 物騒なので(汗)、お城から離れて北の方面へ少し歩いてみました。道すがらふと気がつくと、同じ木に白梅と紅梅の両方がつくという珍しい梅の木がありました。写真の真ん中あたり、白梅に混じって2,3厘紅梅が見えます。
 それにしても桜と梅が同じ時期に咲いているというのは北海道ならではの気候によるもの?かと思われます。
紅白梅


 お城の北側、鬼門にあたる方角に「阿吽寺」というかつて松前藩の祈願所であったお寺があり、こちらの山門はかつて松前城の堀上門だったそうです。

 松前城堀上門


 雨が降りしきる中、次は恒例のお墓巡りです。


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日本100名城スタンプラリー終了・・・2011年7月、根室半島チャシ跡群にて、無事100名城完全制覇しました。
2010年5月、47都道府県踏破済み。(離島を除く)
歴史の現場を、実際歩いて確かめることをモットーに、全国を行脚中。いつかあなたの住む町へ行くかもしれません。
東京生まれ東京育ち。
大卒後、音楽関係の仕事、専業主婦、現在は零細企業で総務関係の仕事をしています。

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